しんぎょうじ|浄土宗|道源山
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洛陽四十八願第21番。東大路通側の山門は入口がなく、仁王門通り側に勝手口があり、インターホンが山門になかったのでお邪魔😅庫裏前のインターホン押しましたがどうやら不在のようでした。東大路通側の山門横に毘沙門天のお堂があったのでお参り😊
京都市左京区にあるお寺です。
先ほど投稿させていただいた大光寺のすぐそばにあります。
仁王門通にも東大路通にも面しており 山門が2つあります。
ただ残念なことに どちらの門にも柵があり 境内に入ることは叶いませんでした。
待望の京都市作成の由緒書の看板はなかったのですが 何となく気になって 帰宅してから調べたら 大当たりでした。
信行寺は 絵師・伊藤若冲の花卉図天井画で知られるお寺です。
(花卉図と書いて 読み方は「かきず」)
伊藤若冲が晩年に手がけた天井画となっています。
通常は非公開ですが 特別拝観の時に見る事が可能だそうです。
特別拝観は 毎年行われている訳ではないそうで 次はいつなのか分かりません。
天井画 観たかったなぁ。
若冲は 晩年を伏見区にある石峰寺で過ごしました。
花卉図は 伊藤若冲が83歳の頃に描き上げられた作品で 牡丹・菊・梅・紫陽花・菖蒲・朝顔など167図があります。
もともと花卉図は その石峰寺の観音堂の天井画です。
明治時代に人の手に渡り 信行寺へと寄進されたそうです。
由緒については
信行寺は起源が明確ではありません。
信行寺はかつて兵庫西宮に創建されたが 三条東洞院に移り その後も度々移ったとも言われています。
その後1589年(天正17年)関白・豊臣秀吉の命により 寺町丸太町に移されたが 1708年(宝永5年)の宝永の大火後に現在の場所に移されました。
1716年(享保元年)に現在の本堂が建立されました。
なお天井画・花卉図は19世紀後半に檀家総代・井上氏が散逸したものを購入し 寄進したと言われています。
とありました。
仁王門通に面した山門
寺標
本堂と境内の様子
東大路通に面した山門と石柱
こちらから見た境内の様子
With タイガース! 毘沙門天ウル寅マラソン その43 京都府京都市
地下鉄東西線「東山三条駅」下車徒歩2分。もしくは「東山仁王門」バス停下車徒歩1分。
浄土宗寺院。ご本尊は阿弥陀如来です。 平安神宮にも近いこじんまりとした寺院です。
創建年度等は不明ながら、前身となる寺院は、元々摂津の西宮あったとされ、その後豊臣秀吉公の命により寺町に移動されました。
1708年の宝永の大火の後に現在地へ移されました。
ここの寺院には、絵師の伊藤若冲が晩年の作品である「天井花卉図」があり、菊や牡丹など167種が描かれています。
2016年の秋に伊藤若冲生誕300年を記念して特別に公開されました。
東大路通り沿いに面して山門があります。
「開運」と「出世」の毘沙門天だそうです。
仁王門通りの勝手口から入ると正面が本堂です。
2015年と2016年に本堂の天井画である花卉図が公開されました。
花卉図は、元々伏見にある石峰寺にあったものだったそうです。
菊や朝顔の他にハイビスカスもあるそうです。
ちなみにご本尊(阿弥陀如来)の御朱印の印は、牡丹かハイビスカスが用意されていました。
本堂の右手(東大路通り側)にある毘沙門堂です。
「身代毘沙門天」の扁額がありました。
残念ながら中を窺い知ることはできませんでした。
境内の庭園は、巨石が至るところにありましたがとても静かな寺院でした。
名称 | 信行寺 |
---|---|
読み方 | しんぎょうじ |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 075-771-1769 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
詳細情報
ご本尊 | 阿弥陀如来 |
---|---|
山号 | 道源山 |
宗旨・宗派 | 浄土宗 |
体験 | 仏像 |
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