なんぜんじ
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南禅寺ではいただけません
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南禅寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年12月18日(土)
参拝:2020年12月吉日
南禅寺(なんぜんじ)は、京都府京都市左京区南禅寺福地町にある臨済宗南禅寺派の大本山の寺院。山号は瑞龍山、正式には太平興国南禅禅寺と号する。開山は無関普門(大明国師)、開基は亀山法皇。本尊は釈迦如来。日本最初の勅願禅寺で、京都五山、鎌倉五山の上に置かれる別格扱いの寺院で、日本のすべての禅寺の中で最も高い格式を持つ。方丈は国宝、三門、勅使門、大方丈障壁画などは国指定の重要文化財。方丈前庭は国の名勝。境内全体が国の史跡。
創建は鎌倉時代末期の1291年、亀山天皇が大宮院(亀山天皇の母)の御所として造営した離宮を、無関普門(大明国師)を開山として寺院に改めたことに始まる。1334年には、禅寺の格付け制度である五山の制の下で京都五山の第一位となり、さらに足利義満によって五山の上という最高位に位置付けられ隆盛を極めた。その後、1393年、1447年の火災、1467年の応仁の乱の兵火で伽藍をことごとく焼失、江戸時代に入り、のちに徳川家康の側近になる以心崇伝が1605年に入寺してから本格的に復興が進んだ。なお、明治時代中期に、境内を通る琵琶湖疎水の水路閣が完成している。
当寺は、京阪本線・三条駅の東方2kmあまりの小山の裾野にある。明治時代に政府の上地に遭ったとはいえ、いまだに境内はかなり広々としている。観光客としては国宝の方丈や重文の三門、勅使門などを見て廻れば満足しそうだが、個別の建物や庭園を丁寧に見て廻ると、半日はゆうにかかると思われる。自分は初参拝につき、今回は観光客コースにした。
今回は京都旅行の1日目で3寺社目、臨済宗南禅寺派の大本山であることから参拝することに。参拝時は週末の正午ごろで、観光客が多く訪れていた。
※有料拝観エリアの方丈庭園、三門、南禅院をすべてパスしてしまった。要再参拝。
創建は鎌倉時代末期の1291年、亀山天皇が大宮院(亀山天皇の母)の御所として造営した離宮を、無関普門(大明国師)を開山として寺院に改めたことに始まる。1334年には、禅寺の格付け制度である五山の制の下で京都五山の第一位となり、さらに足利義満によって五山の上という最高位に位置付けられ隆盛を極めた。その後、1393年、1447年の火災、1467年の応仁の乱の兵火で伽藍をことごとく焼失、江戸時代に入り、のちに徳川家康の側近になる以心崇伝が1605年に入寺してから本格的に復興が進んだ。なお、明治時代中期に、境内を通る琵琶湖疎水の水路閣が完成している。
当寺は、京阪本線・三条駅の東方2kmあまりの小山の裾野にある。明治時代に政府の上地に遭ったとはいえ、いまだに境内はかなり広々としている。観光客としては国宝の方丈や重文の三門、勅使門などを見て廻れば満足しそうだが、個別の建物や庭園を丁寧に見て廻ると、半日はゆうにかかると思われる。自分は初参拝につき、今回は観光客コースにした。
今回は京都旅行の1日目で3寺社目、臨済宗南禅寺派の大本山であることから参拝することに。参拝時は週末の正午ごろで、観光客が多く訪れていた。
※有料拝観エリアの方丈庭園、三門、南禅院をすべてパスしてしまった。要再参拝。
仁王通りの南禅寺前交差点から東方を望む。ここに<寺号標>がある。
境内入口の<中門>。1601年細川家家老・松井康之により伏見城内松井邸の門を勅使門として寄進されたもの。日の御門拝領に伴い現在地に移築、幕末までは脇門と呼ばれた。当寺は一般エリアは拝観無料。入ってすぐ右側は駐車場。
中門を入って左側に進むと、勅使門、三門、法堂を繋ぐ参道に出る。正面は<三門>。
きれいに色づいた木々。
参道脇にある昭和の臨済宗の高僧・森永湛堂自筆の石碑。「この門を 入れば涼風 おのづから」とある。高浜虚子に師事したホトトギス派の俳人でもあり、南禅寺住持に何度も推挙されながらも終生、臨済宗円通寺(佐賀県伊万里市)で過ごしたという。
こちらが<三門>。江戸時代初期1628年に津藩主・藤堂高虎の寄進。五間三戸の二重門。国指定の重要文化財。歌舞伎『楼門五三桐』で石川五右衛門が「絶景かな!絶景かな!」という名科白を回すのがこちら。
創建当時の三門は1295年に西園寺實兼の寄進だが応安年間(1368年~1375年)に建替えられ、1447年の南禅寺大火で焼失。
上層の「五鳳楼」には釈迦如来、十六羅漢、藤堂家歴代の位牌、大阪の陣の戦死者の位牌などを安置。拝観有料。(次回要参拝)
知恩院三門、東本願寺御影堂門とともに「京都三大門」の一つに数えられている。
創建当時の三門は1295年に西園寺實兼の寄進だが応安年間(1368年~1375年)に建替えられ、1447年の南禅寺大火で焼失。
上層の「五鳳楼」には釈迦如来、十六羅漢、藤堂家歴代の位牌、大阪の陣の戦死者の位牌などを安置。拝観有料。(次回要参拝)
知恩院三門、東本願寺御影堂門とともに「京都三大門」の一つに数えられている。
参拝のタイミングが良かったみたいで、燃えるような紅葉が三門下から見える。
三門をくぐり、<法堂>を望む。
参道進んで振り返り、紅葉と<三門>。
紅葉を振り返りながら進むと、いよいよ<法堂>が見えてくる。
<法堂>全景。
<法堂>内部の須弥壇。中央には本尊・釈迦如来坐像、右側に文殊菩薩、左側に普賢菩薩を配置。
<法堂>内部の<幡龍>。今尾景年画伯畢生の大作と云われる。
法堂の右奥にある<本坊>。御朱印はこちら。
本坊の南側にある、琵琶湖疏水の<水路閣>。 明治中期の1888年築。レンガ造りのアーチ橋。
<水路閣>と紅葉。後ろは<南禅院>。拝観有料。(ここで大失策。拝観パス。次回要参拝。)
写真映えする水路閣だが、観光客が多いので、人が写り込まないようにするのは至難の業!(^_^;)
水路閣近くにある<波気都歌(刷毛塚、はけつか)>。工芸に使用される刷毛(はけ)には動物の活毛が多く使用されているため、刷毛の恩恵、動物たちに感謝するために1969年に建立。
本坊の北側にある<大方丈>。方丈庭園は拝観有料。(ここで再び大失策。拝観パス。次回要参拝。)
境内北東にある<龍渕閣>。南禅寺派宗務本所。
境内北側にある南禅寺塔頭の薝蔔林寺(せんぷくりんじ)。南禅僧堂、南禅寺専門道場ともいう。
薝蔔林寺の境内の一部。臨済宗南禅寺派の専門道場は全国に4カ所(ほかに永保寺(岐阜県多治見市)、円通寺(佐賀県伊万里市)、広園寺(東京都八王子市))あり、その中心道場。
薝蔔林寺前から見た<法堂>。
ふたたび、三門から法堂までの参道。
ふたたび、三門の下から法堂を望む。
中門につながる坂道から見た<三門>と紅葉。
境内入口の中門を入って参道を進み、右手にある<天授庵庭園>の入口。天授庵は1339年に南禅寺15世・虎関師錬が開山の無関普門の塔所として開いた塔頭。1602年に細川幽斎が再興。この中にも方丈、庫裡、大書院などの建物があり、その周りが庭園となっているみたい。拝観有料。
境内入口の中門の隣にある<勅使門>。1641年に明正天皇により御所の「日の御門」を拝領し移築したもの。国指定の重要文化財。
すてき
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