だいごじ(かみだいご)|真言宗醍醐派総本山|深雪山
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楽しみ方醍醐寺(上醍醐)のお参りの記録一覧

今回のお参りの下調べでホトカミの諸先輩方の投稿を
読ませていただき とても参考になりました。
心から感謝です。有り難うございました(^▽^)
登拝開始は14時05分でした。
18丁到着は14時52分でした。
この日は晴れていたのですが途中では薄暗くなる
地点もあったりと かなり木々が生い茂り頭上を
覆っている感じです。
16丁で一旦登りは終わるのですが上醍醐の境内に
進ませていただいてから再び登りでした。
登ったぁ~と油断している所にだったので
これがケッコウ堪えました(^-^;
理性院様で御朱印を拝受している際に職員の方との
お話の中で阿倍野ハルカスビルが見えると教えて
いただいていたので探してみると かすではいましたが
見つけることが出来ました(´▽`)













































京都御朱印さんぽ京都市編①
西國三十三霊場巡り十一番所神仏霊場京都四十六番醍醐寺へ参拝🙏真言宗醍醐派の総本山で広いお寺でした☺️国宝の五重塔も素敵でした😍

唐門

醍醐寺

仁王門

阿形

吽形

五重塔

金堂

鐘楼

不動堂

観音堂

神仏霊場御朱印500円

西國三十三霊場御朱印500円

バスツアーで西国三十三所巡り;;🚌;;
「西国三十三所」第11番札所です。
京都市街の南東に広がる醍醐山(笠取山)に200万坪以上の広大な境内を持ち、国宝や重要文化財を含む約15万点の寺宝を所蔵しています。
豊臣秀吉による「醍醐の花見」が行われた地としても知られています。
874年に空海の孫弟子にあたる聖宝が、自ら刻んだ准胝観音像、に如意輪観音像を上醍醐に祀って開創しました。
907年、醍醐天皇の発願により醍醐寺に薬師堂が建立され、薬師三尊が奉安されました。
薬師三尊の奉安からまもなくして鎮護国家のために五大堂が建立されるとともに五大明王が奉じられました。
926年に下醍醐に釈迦堂(金堂)が建立され、同時期に笠取山全体を寺院に改装する計画が立てられました。
長らく西国三十三所第11番札所が存在し、西国一険しい札所として知られていました。
上り口にはかつて女人結界があったことから女人堂が置かれ、そこから険しい山間に入ります。
平安時代当時のまま残る国宝の薬師堂、醍醐寺の鎮守神である清瀧権現拝殿、准胝堂跡、五大堂などが立ち並び、上醍醐には有名な「醍醐水」が今も湧き出ている他、醍醐山山頂(標高450m)には、如意輪堂と開山堂が並ぶ。山頂から笠取山に向かう途中に奥の院があります。
御朱印は先に紙に希望の御朱印を記入し、金額をはらいます。
納経所はかなり混んでて、40分近く並びました😅

















いざ上醍醐へ。ここから1時間のプチ・・・ではなくまあまあガチなハイキングレベルになります。さすが西國一の難所路言われるだけはある・・・とあとで思い知りました😭入山口で名簿に記入してハイキング開始。1時間かかるだけでまあまあきつかった。山頂についた時は感動でしたがお堂内は暗くてほとんど見えず😂まあだいたいが霊宝館へ移されてるので・・・。帰りに入山口で醍醐水のお守りを拝受。観音堂予定地があったので再建されるんですかとお伺いすると令和10年ごろの再建を目指してすでに動いているとのこと。材木などの運搬ルートさえできれば立て始めたら早いとのこと。観音堂再建されたらまた来ますとお伝えして下山しました🤗

西郷第11番石碑

参道と鳥居。この緩やかな参道入り口が後々罠と知る🤣

女人堂駒札

大鳥居

扁額・・・読めない😅

成身院女人堂

前には五体の仏様


いざ一丁

醍醐寺境内石標

険しそう・・・

二丁

二丁の石標から

三

三丁まだまだ

四

この辺りから急に勾配がきつくなってきます

上のたい古寺・・・かな?

五


醍醐の花見・槍山の御殿跡説明駒札

槍山の御殿跡

六見当たらず七

完全にハイキング


八・・・たぶん

階段も急

九


中間点・不動の滝


休憩所

由緒と火の用心

むしろこれからが

十

参道も徐々に険しく

十一


十二

鳥居が・・・


音羽大王とありました

亀さんと碑

十三見逃し十四


十五


十六


役行者

十七


十八

ようやくトイレ発見

上醍醐寺務所が・・・

清瀧宮


清瀧宮拝殿由緒

清瀧宮

醍醐水由緒

醍醐水お堂。水は飲めます

横尾大明神

清瀧本殿かな?

扁額

地蔵菩薩

宝篋印塔

准胝観音堂再建予定地

手水舎

さらに奥へ

薬師堂

由緒

三尊かな?

鐘楼

五大堂へ

五大堂


五大同由緒

境内図

如意輪堂

同由緒

白山大権現堂

開山堂

同由緒

同駒札由緒

標高450m

蔵かな?

観音堂跡かな?

見落としてた十九

醍醐山略史

寺務所再び

不在

手水舎

准胝観音石碑

見落としてた十三丁

【深雪山(みゆきやま)上醍醐(かみだいご)・准胝堂(じゅんていどう)】
本尊:准胝観音菩薩(じゅんていかんのんぼさつ)
宗派:真言宗醍醐派
開基:聖宝(しょうぼう)(理源大師)
上醍醐は、醍醐寺発祥の地。麓の女人堂から約1所間ほど山道を登ります。時間の都合が気になり早くお参りしたい気持ちが焦ってハードな登山となりました。
世界遺産「古都京都の文化財」。西国三十三所観音霊場(第11番札所) で参拝。
2008(平成20)年8月の落雷が原因による火災により准胝堂が焼失しているため、現在、下醍醐・伽藍内の観音堂に准胝観音は安置されています。上醍醐登山に時間をとってしまい観音堂で頂く御朱印は次回です。

【醍醐水】

【西国第十一番霊場石柱】

【女人堂】

【不動明王・理源大師・弥勒菩薩・役行者・地蔵菩薩】

【参道】

【不動の滝】
あと、30分。


【参道】

【役行者像】
ここから下りになります。

【役行者像】

【参道】

【摂受庵】
客殿と寺務所。

【清瀧宮拝殿】
国宝。

【醍醐水】
「醍醐」は仏教典に由来する最高の味覚の乳製品を指す言葉だそうです。「醍醐味」とは、この「醍醐」から誕生した言葉だったのですね。

【清瀧宮本殿】

【准胝堂跡】

【薬師堂】
国宝。

【鐘楼】
奥に五大堂。

【五大堂】

【観賢僧正・理源大師・役行者】

【如意輪堂】
国の重要文化財。

【縁結白山大権現】

【開山堂】
国の重要文化財。

【開山堂】
龍の彫刻。

【開山堂】

【如意輪堂と開山堂】
醍醐山山頂(標高450m)に並ぶ。

【白河皇后陵】

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清瀧宮(上醍醐境内社)
京都市伏見区 上醍醐にある神社です。
空海が密教の守護神として勧請した清瀧宮は 醍醐の井戸の近くに建つ醍醐寺の鎮守社です。
平安後期に創建されたもので 拝殿は国宝に指定されています。
上醍醐の寺務所から少し進んだ所に拝殿があり 少し階段を上ったさきに本殿があります。
下醍醐の方に向いて本殿が建てられており 屋根が銅板なのでしょう 緑は緑青(ろくしょう)でしょうね きれいです。
拝殿が国宝なので もう少し間近で見られると嬉しかったです。

上醍醐登り口

醍醐山全景図

手水は龍

拝殿を登山道から見上げる

醍醐水の閼伽井屋に上がる途中にあります 国宝ですが近寄れません

正面から 柵があって中には入れません

小高い丘に鎮座する本殿 下醍醐の方を向いています

屋根の緑が印象的です

扁額

太閤殿下の紋ですね

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柏木稲荷大明神(上醍醐境内社)
西国三十三所の御朱印は 本来は下醍醐ではなく 上醍醐の准胝堂で拝受するものです。
それが 2008年に落雷のため焼失してしまったため 札所が下醍醐の観音堂に移されています。
再建予定だということで 准胝観音堂跡を見ようと 開山堂とは違う方向の階段を上ってみました。
なるほど整地されているので 計画は進められているのでしょう。
と 奥に祠のようなものが見えました。
これは 再建のための鎮守社かもしれない と思い近寄ると 新しくない祠でした。
近くに支部結成50周年記念と彫られた石柱がありましたので その記念で建立されたようです。
准胝観音堂の再建を見守るような場所にあり 跡地を見下ろしているので ずいぶん先だとは思うのですが 無事に新しいお堂が建つことでしょう。

上醍醐登り口

醍醐山全景図

准胝観音堂跡の奥に見えます

階段の上です

新しくはない祠

准胝観音堂跡地を見下ろしています

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音羽大王大権現(上醍醐境内社)
醍醐寺の下醍醐を出て 上醍醐に向かいました。
なかなかの登山道でした。
14時ぐらいでしたが 登りでご一緒される方はおられず 下りの方が時々すれ違うぐらいです。
成身院(女人堂)から40分ほどで こちらの音羽大王大権現に着きました。
ちょうどへばり始めた頃でしたので 写真撮影がよい休憩になりました。
小さいながらも立派な祠を持つお社です。
醍醐山の北の音羽山の氏神ではないかと思いました。
むかし この地に天狗杉あり。
諸国を遊行くする天狗が この木に腰かけ休むという。
しかるにその大杉 老いつきて 天狗の休みどころなきをいたみ 昭和十年八月十日 ときの座主 戒玉僧正はここに社殿を建て 音羽魔王大権現を祀りたり。
と書かれていました。
登山も半分は過ぎているので 気合を入れなおしたのですが ここからの坂道が今まで以上にきついことを この時は知りませんでした。

上醍醐への登り口

醍醐山全景図

朱の鳥居が 下からよく見えます

山中ですが 祠は立派です

ここは整地もされています

下醍醐の方を向いています

由緒書

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白山大権現(上醍醐境内社)
縁結白山大権現と彫った石柱がありますので そちらが正式名称なのかもしれません。
上醍醐に建立されている如意輪堂(重要文化財)と開山堂(重要文化財)の間に祀られています。
平安時代前期の897年(寛平9年)に真言宗の開祖である弘法大師・空海の孫弟子で 醍醐寺開山である理源大師・聖宝が 醍醐山山上の鎮守として勧請して祀ったとも言われています。
江戸時代初期に関白・豊臣秀吉の子・豊臣秀頼が社殿を再建したと言われています。
こちらは伝説のような縁起ではなかったです。
このような山奥の寺院ですから お参りするのが大変なため 鎮守の神が複数求められたのかも知れません。
石柱はさほど古いものではないようです。
山だなあと思うのが 文字のへこんだ部分に 虫が巣をつくっていたことです。

上醍醐登り口

醍醐山全景図

石柱の字の中に虫の巣があります

これで全て

拝所と本殿

思ったより本殿の奥行きがあります

上醍醐への山中 丁目を彫った石柱があり 登山口に一丁があり 目指すは二十丁でした。
この石柱の数が増えることだけを楽しみに 約60分の登山の末 16丁 ようやく「上醍醐の境内」の看板を見つけました。
ここから下り坂で 帰りを考えると辛かったです。
境内とは名ばかりで 相変わらずの登山道でした。
18丁に到着 ようやく上醍醐寺務所に到着です。
建物が姿を見せると 急に元気になります。
最後は開山堂にお参りなのですが 途中に寄り道するポイントがありました。
まずは醍醐水の看板が目に入りましたので 閼伽井屋に行きました。
すぐ横に階段が続いていたので上がってみると 更地に出ました。
焼失した准胝堂の跡地でした。
建設予定地とありましたので 再建予定なのでしょう。
ふたたび開山堂へ向かいます。
途中 国宝の薬師堂で手を合わせ 五大堂で手を合わせ 如意輪堂で手を合わせ ようやく開山堂に着きました。
うろうろしていたのもあって 女人堂から100分経っていました。
途中知り合った方と記念撮影をして 一緒に下山することになりました。
下りは会話をすることもでき 楽しく下りてきました。
約60分で女人堂に到着でした。
筋肉痛になったのは 2日後のことでした。
共に登山してくれた妻には感謝です。

一丁 ここからスタート

醍醐寺境内 とあります

記念塔

こんな道から始まります そりゃためらうわ

こういう石柱だけが頼りです

醍醐の花見 由縁

ここが花見の場所だったのか?

20分ほど歩いたら 川というか滝というか 涼やかです

途中の休憩所です

9丁にある不動の滝

由縁

石碑 読めない

16丁 境内とありますが まだまだ建物は見えません

すぐそばに仏様

玄武岩でしょうか 石を重ねて石仏のようにしています

足元が面白い模様になっています

18丁 上醍醐寺務所

ここには入りません

少しだけ階段を下りて写真を撮りました

醍醐山の略史 醍醐味についてふれています

醍醐水の石柱

醍醐水の由縁

お堂のように見えました

閼伽井屋でした

脇にはさらに山上への階段が

急に開けた場所に出ます 焼失した准胝堂の跡地です

墓所になるのでしょうか

子育て地蔵尊

お地蔵様たくさん

ぐるっと回って下りました


上醍醐全景絵図

薬師堂(国宝)

由縁

内陣

再び下り

途中のお地蔵様

やや小さな鐘楼

五大堂


由縁

内陣の撮影は禁止でした

休憩所

玄武岩じゃないかと思うのですが

石仏みたいに見えます

私も立ててみました

如意輪堂

由縁


開山堂(重要文化財)

由縁

由縁


正面

階段に 明治39年2月 とあります

内陣


上醍醐陵


中には入れません

地蔵堂


大日如来とあります

この苔 欲しい

女人堂まで 60分かけて下りてきました

西国三十三観音巡礼第11番。
平成19年以来、様々なウヨキョクセツを経て、ようやくお参りできました。
あの当時は遥か山上に准胝観音様はおられ、エッチラオッチラ登んなきゃ御朱印をいただけなかったので、ここと施福寺さんだけが残っちゃってたのでした💦
平成19年ったら何年前よ⁈
ありゃーもう16年も経っちゃったノカ😱
すいません!観音さま。
トシは取りましたけど、すこしはマトモな人間になってご挨拶できるようになりました。
ありがとうございます🙏

入口

観音様はあの門の先だそうな。
1番奥ね。

仁王門をくぐり

古式ゆかしい門のもとに、観音堂と御朱印の案内が

静かな参道
心洗われます。

観音堂です。
正面から入れず、左手から裏へ。
ほとんど人がおらず、阿弥陀如来様やお地蔵様、お厨子の中の観音様をゆっくり拝めました。

専用の納経帳

御朱印
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