ごこうのみやじんじゃ
御香宮神社のお参りの記録一覧(2ページ目)
京都神社巡り④京阪伏見桃山駅より徒歩5分、伏見山(木幡山)は神々の坐す山であり、御室山と称し、そこに奉祭されている神社を御諸神社と呼んできた。清和天皇により御香水の名水により「御香宮」の名を賜ったとされる。秀吉による伏見城の築城の際に鬼門封じの為遷座、関ケ原の戦い後、家康により元の地に戻された。鳥羽伏見の戦い時には薩摩藩の屯所となり、伏見奉行所を砲撃したそうです。各年代に歴史を刻んできた神社ですが、もうこの時は暑さで頭がぼーっとしてきて目にしているのに見えていないような状態。この記録をしながら思い出しています。社務所で境内にある桃山天満宮と共に素敵な御朱印を書き入れていただきました。
駅からの伏見城へ向かう大手筋通りに一の鳥居
坂の勾配を意識した石垣と白壁
灯籠
伏見城大手門を移築
社号標
中国二十四孝を彫った蟇股
由緒書
二の鳥居
延享丁卯歳(1747)再建と刻まれていました
伏見義民亊蹟
伏見義民之碑
悪奉行小堀政方(近江小室藩6代藩主)に対して名作庭家、小堀政一(近江小室藩初代藩主)の石庭が同じ神社にあるのは皮肉ですね
愛嬌のある狛犬
大手筋木鳥居旧基礎石 説明文
参道
手水舎(府有形文化財)
土蔵(府有形文化財)
天保十三年(1842)奉納の灯籠
拝殿前の狛犬
割拝殿(府有形文化財) 寛永2年(1625)に徳川頼宣(紀州藩主)の寄進によって再建
唐破風
拝殿
随神像
安産乃社碑
母子像 慈
正保二年(1645)奉納の灯籠
神鑒(かん)静井(石井) 嘉永三年(1626)と刻まれています
本殿(重要文化財) 慶長10年(1605)に徳川家康の命令で板倉勝重が普請奉行となって再建
境内社 八幡社・恵美須社・八坂社・住吉社
境内社 豊国神社鳥居
境内社 豊国神社
境内社 大神宮鳥居
境内社 大神宮(府有形文化財)
境内社 右から春日大明神、天満大神、新宮、熊野社、那智、金札宮
境内社 東照宮鳥居
扁額
境内社 東照宮
安政五年(1858)奉納の境内社鳥居
境内社 松尾社二の鳥居
境内社 松尾社
狛犬
境内社 弁天社鳥居
境内社 弁天社
灯籠
神馬
境内社稲荷社一の鳥居
境内社稲荷社二の鳥居
境内社 稲荷社(菊姫大明神)
御香水
天水桶
能舞台
絵馬堂(府有形文化財) 宝暦5年(1775)建立
社号碑
東鳥居
灯籠
創建年代は不詳ですが、社伝によれば、貞観四年(862年)九月九日に境内から湧水が出て良い香りが漂い、この湧水を飲むと直ちに病が癒えるなどの奇瑞があったので、清和天皇より「御香宮」の名を賜ったと伝えられています。この湧水は明治以降に一時途絶えましたが、昭和五十七年(1982年)に復元され再び滾々と湧き出ています。
天正十八年(1590年)に豊臣秀吉が願文と太刀を献じ、その後伏見城の築城にあたって城内に遷座し鬼門除けの神社として崇敬を受けました。さらにその後、関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康は慶長十年(1605年)に神社を元の地に戻し、社伝を造営しました。現在残っている本殿はこの時のものです。
明治元年(1868年)の鳥羽・伏見の戦いでは当社境内が新政府軍(薩摩藩)の本営となったものの、奇跡的に戦火を免れました。
京都十六社巡りの二社目です。
平安期、境内から病気に効く香水がわき出たので清和天皇からこの名を賜ったと言われています。桃山期の特色ある建築物のうち表門や極彩色彫刻の本殿は重文。神功皇后ほかを祀り、豊臣秀吉は伏見城の守り神としていました。書院の庭は、小堀遠州ゆかりの石庭。鳥羽伏見の戦いでは薩軍の屯所に。10月上旬の9日間におこなわれる神幸祭は「伏見祭」といわれ伏見随一の祭。獅子一対・神輿3基、武者行列のほか、多数の氏子が出仕しての行列があります。1日目、8日目夕方から趣向をこらした大小の花傘が氏子各町から「アラウンヨイヨイ…」のかけ声で参加し、夜遅くまでにぎわっています。
大鳥居です
手水舎です。
本殿です。
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