しらくもじんじゃ
白雲神社のお参りの記録一覧
京都二日目⑧
京都御苑を散歩しながら次の目的地へ
もう17時過ぎてたような…でもまだ明るかったのでお参りだけでも…と思いましたが社務所にまだ人がいらっしゃって御朱印を頂くことが出来ました😆
御苑の梅ももうすぐ見頃❤️
出張先での仕事が思いの外早く終わったので、下賀茂神社までおまいりに行くことにし、その途中の京都御苑の中にある白雲神社におまいりしました。
直書きの御朱印をいただきました。
初穂料は500円です。
京都市上京区にある神社です。
京都御苑内にある神社です。
白雲神社は旧西園寺家の鎮守社であり、西園寺公経が北山殿造営に際し建立した妙音堂に由来するとされます。
明和6年西園寺邸とともに御苑内に移りました。
明治以降、西園寺家が東京に移り「白雲神社」と称されるようになりました。
妙音弁財天と称する市杵島姫命で、西園寺家が琵琶の宗家であることから音楽の神として祀られてきました。
こちらは御朱印がいただけました。
境内には薬師石があり、石を撫でた手で患部を摩ると怪我や病気の治療に効果があると伝えられています。
頭から足まで摩っておいたので、私は長生きできます。
(あれ、こんなん前にもあったような)
京都御所に訪れた際に立ち寄らせていただきました。 京都御苑内のやや南側、旧西園寺家の邸址に鎮座し、祭神に妙音弁財天と称する市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)を祀ります。 元仁元年(1224年)、西園寺公経(さいおんじきんつね)が北山殿(現在の金閣寺がその旧址)造営の際に建立した妙音堂に由来するとされ、その後西園寺家の盛衰に伴い一時期、赤八幡京極寺にも鎮座されたと伝わります。 明和6年(1769年)西園寺邸の移転と共に現在地に移り妙音堂を再興、天保11年(1840年)、安政4年(1857年)には禁中各御所から寄付を賜り社殿を改築し、禁裏御祈祷所に定められます。 明治に入り西園寺家が東京へ移ると、妙音堂は廃祀の危機に遭いますが、地元有志等の尽力もあり明治11年(1878年)かつての鎮座地名から社号を白雲神社と改めこの地に留まることになりました。 戴いた御朱印には琵琶の印が押されていました。 これは琵琶を家業とする西園寺家に楽神として伝えられた妙音弁財天のお姿を表したものとのご説明でした。
白雲神社・境内入り口と神社名碑
白雲神社・鳥居と狛犬
白雲神社・手水舎
白雲神社・拝殿
白雲神社・薬師石
「御所のへそ石」とも呼ばれています。
白雲神社・由緒書
御朱印
白雲神社(京都市上京区)
京都御苑内にあり、音楽の神様としても信仰されているとのこと。御朱印にも楽器の印が押されています。
入口
ご由緒
鳥居
手水舎
境内
本殿
御朱印(500)
白雲神社(しらくも~)は、京都府京都市上京区京都御苑内にある神社。旧社格は無社格。祭神は市杵島姫命。
当社は旧西園寺家の鎮守社で、鎌倉時代の1224年に西園寺公経が北山殿造営に際し建立した妙音堂に由来する。神仏習合の下、祭神は妙音弁財天と称し、西園寺家が琵琶の宗家であることから音楽の神として祀られた。江戸時代中期1769年に西園寺邸とともに御苑内に遷座した。明治時代に入り、神仏習合を神式に改め「白雲神社」と称した。なお、1869年に西園寺公望は当地で私塾「立命館」を開いている。
当社は、京都市営地下鉄烏丸線・丸太町駅の北北東、道のり600mほどの京都御苑西部にある。御苑西側の蛤御門から入ると、東に少し進んで南に向かってちょっとの場所。境内は広くはなく、狭い場所に建物がみっちり建っている感じ。そんな中でも小さな境内社があるし、社務所では御朱印を拝受できる。
今回は、京都御所に観光に来たが、たまたま見掛けたので参拝することに。参拝時は平日の午前中早めの時間、参拝者は自分以外にはいなかった。
境内西端入口にある<鳥居>。
鳥居をくぐって、参道右側にある<絵馬殿>。
絵馬殿の奥(左隣)にある<手水舎>。
参道左側に見えてくる<拝殿>。
左側の<狛犬>。なかなか古そうで年季が入っている。
右側の<狛犬>。
<拝殿>正面。
拝殿に向かって左手にある<社務所>。御朱印はこちら。
本殿の右側にある<福壽稲荷神社>。
拝殿後ろの<本殿>。独特な形状をしている。鳥居は福寿稲荷神社のもの。
本殿の裏手にある<薬師石>。「御所のへそ」とも呼ばれるそうで、撫でると身体の悪い部分が治癒するとのこと。
神仏習合の名残りなのか、<献灯台>がある。
京都御所の東側の塀。南北450mある。
京都御所内、京都迎賓館そばの紅葉。(^▽^)/
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