さんじちおんじ|浄土宗
三時知恩寺京都府 今出川駅
通常非公開
3月14日善導忌のみ一般公開あり
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楽しみ方一般公開は3月14日、善導忌のみです(イベント公開は要確認)
三時知恩寺(さんじちおんじ, 浄土宗, 応永年間1394年〜1428年) 山門, 本堂, 宸殿, 書院, 庫裏, 地蔵堂, 庭園, 覚窓性善尼が開山, 本尊は阿弥陀如来, 尼寺
京都市上京区にある寺院です。御所の北西の方向にあります。
残念ながら山門は閉じられていて 中の様子も分かりませんでした。
あとで分かったことですが この辺り 尼寺の門跡寺院が多かったです。
出家された皇族の方々は やはり御所から遠く離れたくないという思いからなのでしょうか。
山号はなし 宗旨は浄土宗 ご本尊は阿弥陀如来 開山は覚窓性善尼 開基は見子内親王 別称は入江御所です。
由緒については
応永年間(1394年 - 1428年) 北朝4代後光厳天皇の皇女見子内親王が 北朝3代崇光天皇の御所で一条西洞院にあった入江殿を賜って寺に改めたのに始まる。
その際 室町幕府第3代将軍足利義満の娘の覚窓性仙尼(性善尼とも)を開山とし 知恩寺が創建された。
また その由緒から入江御所とも呼ばれる。
見子内親王は仏教への信仰が篤く、俊芿(しゅんじょう)が宋から将来した善導大師の自作と伝える像を宮中から賜って当寺の本尊としたという。
後柏原天皇の代に三時知恩寺と称されるようになったが これは宮中における六時勤行(1日6回の勤行)のうち昼間の3回をこの寺で行うようになったことによるとされる。
以来 皇女が相次ぎ入室して尼門跡寺院となった。
正親町天皇の代に現在地へ移転している。
とありました。
全景
山門は閉じられていました
寺標
由緒書
3月14日はホワイトデー・・・ですが仏教、特に浄土宗では法然上人の師である善導大師の御命日。三時知恩寺は善導大師自作の大師像が祀られており、毎年3月14日は善導忌の法要が営まれ、一般開放もされます。以前は文化財特別公開などで公開されていたこともありましたが最近は公開がなく、年に一回、善導忌のみの公開となります。御本尊は阿弥陀如来とされていますが善導大師も阿弥陀如来の化身とされており、お話聞く限り阿弥陀様と善導大師が両本尊といった感じです。朝10時の開門、そして法要。尼寺門跡寺院なのでもちろん住職はじめお坊さんは尼さんですが7人の尼さんが法要されているのはなかなか見る機会もなく、また華道光風未生流家元であるため参列の方々も着物の女性が多く男性は私含めて数えるほど😅40分の正座は久々に堪えました😭法要後少し時間があったので阿弥陀様と善導大師をお詣り。御朱印も拝受し、その後法話の時間に。吉野の来迎院のご住職(だったと思う😅)でどうやら話からすると浄土宗ではないようでしたがなかなかお話も面白く、堂内が笑いに包まれてました😊法話の途中でしたが出勤時間が迫ってきたので残念ながら退出。良きお詣りでした😊
山門
由緒
書院
境内
地蔵堂
蕗の薹が・・・春も近いですなぁ
石仏
稲荷社 国岡稲荷大明神
鳥居が傾いており、鈴緒に鈴がついてなかった 😥
稲荷さん
三時知恩寺は室町時代の応永年間(1394年~1428年)に北朝4代・後光厳天皇の皇女・見子内親王(けんしないしんのう・あきこないしんのう)が室町幕府第3代将軍・足利義満の娘・覚窓性仙尼(がくそうせいざんぜんに・かくそうじょうせんに)を開山として、北朝3代・崇光天皇の御所・入江殿(いりえどの)を寺院に改めたのが起源です。見子内親王は仏教に深く帰依し、真言宗泉涌寺派の宗祖である月輪大師・俊芿(がちりんだいし・しゅんじょう)が中国唐から招来して宮中に安置されていた善導大師像を賜って本尊として安置しました。室町時代後期に第104代・後柏原天皇が浄土教に篤く帰依し、勅命によって宮中の六時勤行の内、昼間の3回を行うことになりました。その後現在の場所に移ったが、1708年(宝永5年)の宝永の大火と1788年(天明8年)の天明の大火で焼失し、第116代・桃園天皇の女御・恭礼門院の宮殿を移して再建しました。なお室町時代に第101代・称光天皇の皇女・了山尼が入寺し、その後も皇女・女王や摂関家の女子が入寺して尼門跡寺院になり、江戸時代に比丘尼御所に数えられました。
三時知恩寺では宮中の六時勤行(1日6回の勤行)の内、昼間の3回を行ったことから三時知恩寺と言われるようになりました。なお六時勤行は1日を日中・日没・初夜・半夜・後夜・晨朝に6分し、4時間毎に念仏・読経などの勤行を行うことです。
-京都ガイドHPより-
名称 | 三時知恩寺 |
---|---|
読み方 | さんじちおんじ |
通称 | 入江御所 |
参拝時間 | 通常非公開
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参拝にかかる時間 | 3月14日善導忌当日 10:00~16:00 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印の郵送対応 | なし |
電話番号 | 075-451-2211 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご本尊 | 阿弥陀如来(善導大師とも) |
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宗旨・宗派 | 浄土宗 |
創建時代 | 応永年間(1394年 - 1428年) |
開山・開基 | 覚窓性善尼・見子内親王(後光厳天皇の皇女) |
文化財 | 重要文化財
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ご由緒 | 三時知恩寺は室町時代の応永年間(1394年~1428年)に北朝4代・後光厳天皇の皇女・見子内親王(けんしないしんのう・あきこないしんのう)が室町幕府第3代将軍・足利義満の娘・覚窓性仙尼(がくそうせいざんぜんに・かくそうじょうせんに)を開山として、北朝3代・崇光天皇の御所・入江殿(いりえどの)を寺院に改めたのが起源です。見子内親王は仏教に深く帰依し、真言宗泉涌寺派の宗祖である月輪大師・俊芿(がちりんだいし・しゅんじょう)が中国唐から招来して宮中に安置されていた善導大師像を賜って本尊として安置しました。室町時代後期に第104代・後柏原天皇が浄土教に篤く帰依し、勅命によって宮中の六時勤行の内、昼間の3回を行うことになりました。その後現在の場所に移ったが、1708年(宝永5年)の宝永の大火と1788年(天明8年)の天明の大火で焼失し、第116代・桃園天皇の女御・恭礼門院の宮殿を移して再建しました。なお室町時代に第101代・称光天皇の皇女・了山尼が入寺し、その後も皇女・女王や摂関家の女子が入寺して尼門跡寺院になり、江戸時代に比丘尼御所に数えられました。
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体験 | 仏像御朱印重要文化財 |
概要 | 三時知恩寺(さんじちおんじ)は、京都市上京区にある浄土宗の寺院(尼寺)。山号はなし。本尊は阿弥陀如来。尼門跡寺院である。 |
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歴史 | 歴史[編集] 応永年間(1394年 - 1428年)北朝4代後光厳天皇の皇女見子内親王が北朝3代崇光天皇の御所で一条西洞院にあった入江殿を賜って寺に改めたのに始まる。その際、室町幕府第3代将軍足利義満の娘の覚窓性仙尼(性善尼とも)を開山とし、知恩寺が創建された。また、その由緒から入江御所とも呼ばれる。見子内親王は仏教への信仰が篤く、俊芿(しゅんじょう)が宋から将来した善導大師の自作と伝える像を宮中から賜って当寺の本尊としたという。 後柏原天皇の代に三時知恩寺と称されるようになったが、これは宮中における六時勤行(1日6回の勤行)のうち昼間の3回をこの寺で行うようになったことによるとされる。...Wikipediaで続きを読む |
アクセス | 交通[編集] 同志社大学今出川キャンパスの東隣 京都市営地下鉄烏丸線今出川駅下車 |
引用元情報 | 「三時知恩寺」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E4%B8%89%E6%99%82%E7%9F%A5%E6%81%A9%E5%AF%BA&oldid=97391652 |
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