えんとくいん|臨済宗建仁寺派高台寺塔頭
圓徳院のお参りの記録一覧

秋の特別展・夜間特別拝観に行きました(令和6年10月25日〜12月15日 ※12月13・14日は休み)。
圓徳院さんは、北政所ねね(高台院)様が余生を過ごした場所にあります。
豊臣秀吉公を祀る高台寺さんの西側に位置し、北政所ねね様は毎日のように高台寺さんに通い、秀吉公をお参りしたと伝わります。
2024(令和6)年、北政所ねね様が亡くなられて400年を迎えます。
やはり庭園は見事です!
北庭は国指定名勝です🍁
南庭も、多年にわたり圓徳院さんの庭園を整備されている北山造園(北山浩)さんが、ねね様が亡くなられて400年の祈念として、禅世界を感じる庭の様相をつくられたそうです。
今回はタイミングが良かったからか、まだ紅葉は早かったからか、思ってたより混雑していなくて良かったです。
正直に言いますと、コロナ禍前にも圓徳院さんの秋のライトアップに来たことがあり、あまりの混雑と参拝客のマナーの悪さに嫌気がさして足が遠のいてました🙇💦💦
最後に、豊臣秀吉公が念持仏にしたという三面大黒天さんも、忘れずに参拝しました。
次は、昼の時間帯に行きたいです。
(他の参拝客が写ってるので、投稿する写真は限定的ですm(_ _)m)
(左)北政所ねね様400年遠忌の記念御朱印『大安寧』、(右)三面大黒天さんの御朱印『豊福』。両方とも書置きをいただきました。
食べる御朱印(書置き)。落雁が付いてます。
三面大黒天さん
南庭『慈愛』
北庭。国指定名勝。

清水寺にお参りした帰り 落ち着いた雰囲気を味わいたいと 圓徳院にお参りしました。
投稿するのは2回目かな。でも何回かお参りしています。
豊臣秀吉の正室・北政所が晩年に自身の本拠地としたことで知られます。
一説にはその終焉の地ともいわれています。
こちら圓徳院さんの北書院と北庭が大好きなんです。
北庭は国指定の名勝であり 桃山時代の枯山水庭園の典型的なお庭です。
ほんと 畳に腰を下ろしゆったりお庭を見ていると 心がすうっと落ち着きます。
宗旨宗派は臨済宗建仁寺派 寺格は高台寺塔頭 ご本尊は釈迦如来 創建年は寛永9年(1632年) 開山は三江紹益です。
由緒については
豊臣秀吉の没後 正室の北政所は 慶長8年(1603年)に朝廷から「高台院」の号を勅賜されると 秀吉の菩提を弔おうと寺院の建立を発願し徳川家康もその建立を支援した。
家康と高台院は 現在高台寺や圓徳院があるこの地にあった岩栖院を南禅寺の境内に塔頭として移転させると 慶長10年(1605年)に高台院は実母である朝日局が眠る康徳寺(現・上京区上御霊馬場町にあった)をこの地に移転させて 新たな寺院・高台寺を建立し その境内を整えていった。
その際 高台院は高台寺の西側に自らの屋敷と甥の木下利房の屋敷を造営することとし 同年に伏見城にあった北政所化粧御殿とその前庭をこの地に移築して自らの邸宅・高台院屋敷とした。
翌慶長11年(1606年)に高台寺は完成している。
高台院は没するまでの19年間を高台院屋敷と高台寺で過ごすと 寛永元年(1624年)9月6日に屋敷で亡くなった。
寛永9年(1632年) 高台院屋敷は木下利房によって高台寺の三江紹益を開山として高台寺の塔頭・圓徳院に改められた。
以降は木下家の菩提寺となった。
とありました。
由緒書
外門
秀吉公好み手水鉢
本堂前庭
五体投地の作法
雪月花の襖絵
蔵
北庭
ここが好きです
桧垣の手水鉢
大黒天
内陣
食べる御朱印 についてくる飴

北政所ねね終焉の地 圓徳院
北政所ねね終焉の地 圓徳院
北政所ねね終焉の地 圓徳院
北政所ねね終焉の地 圓徳院
北政所ねね終焉の地 圓徳院
北政所ねね終焉の地 圓徳院

元旦に参拝
ここにも外人さんがたくさんお見えで
どこに行っても日本人よりも多い
毎年恒例の御抹茶
値段が上がってて残念
ねね様も、同じ景色見てたと思うと感慨深い

京都市内の寺院巡りの2寺目は、1寺目と同じく東山区に在る圓徳院です。高台寺の西側の石段(台所坂)を下った所に在ります。春の特別拝観を行っていましたので拝観しました。(ねねの没後400年の祈念で、色などの剥落があったのを修復し、当時の様相を復活させた韋駄天立像を初公開されるというのも気になって。)
臨済宗建仁寺派で、本尊は釈迦如来。
豊臣秀吉の妻・北政所(ねね)は、1603年に朝廷から「高台院」の号を勅賜されると秀吉の菩提を弔うため寺院建立を発願、1605年に高台寺を建立し始めた。「高台院」は高台寺の西側に自らの屋敷と甥の木下利房の屋敷を造営する事とし、伏見城にあった北政所化粧御殿とその前庭をこの地に移築して高台院屋敷とした。「高台院」は亡くなるまでの19年間を高台寺と高台院屋敷で過ごした。(1624年に高台寺屋敷で亡くなった。)1632年に高台院屋敷は木下利房によって高台寺の三江和尚を開基として高台寺の塔頭・圓徳院に改められ、木下家の菩提寺としたとの事です。
三面大黒天や掌美術館がある大黒門は出口側になります。入口は長屋門、門をくぐった左側に拝観受付があり、拝観料(500円)を納めるとコロナ退散のお札?が頂けました。唐門をくぐると方丈入口で、方丈に上がると現代日本画家の手による綺麗な襖絵。目を左に移すと南庭。1994年に作庭されたものです。外国人の方々が縁側に座って眺めていました。方丈に本尊・釈迦如来が祀られているはずなのですが、襖が閉じられていて直接拝めませんでした。蔵の中が収蔵庫になっていて什器等が展示されていました。方丈の裏側に長谷川等伯筆による「山水図襖」の一部が展示されており、(本来は32面で重文、展示はレプリカ?)その横に今回初公開の韋駄天立像が展示されていました。
渡り廊下を進むと北書院。伏見城の化粧御殿の前庭を移したもので、桃山時代の代表的庭園のひとつ。賢庭作で、後に小堀遠州が手を加えたものとの事です。(国指定名勝) 現在は新緑の季節のため緑一色ですが、紅葉の時期はとても綺麗だそうです。
これで有料拝観域は終わりで、三面大黒天の裏側に出ます。三面大黒天は、豊臣秀吉の念持仏・守り本尊だったそうです。
御朱印は三面大黒天の右横の納経所で頂きました。
御朱印(書置き)
春の特別拝観
長屋門
拝観受付で頂いた
唐門
秀吉公好み手手水
方丈庭園・南庭
北書院庭園・北庭
出口から見た北書院と北庭
三面大黒天
歌仙堂(歌人・木下勝俊坐像が祀られている)
大黒門

八坂庚申堂から、圓徳院へ
コロナ退散御朱印(無料)と、
御朱印帳が欲しくて。
拝観するつもりが、
買いに来ただけと思われたみたいで、
まぁ、
いいやと思って入らなかった~💦
こちら、2度目みたい。
前回、全然 覚えてなくて、
今回もこんな感じ。
あまり、縁がないのかな?💦
圓徳院の御朱印
無料で頂ける、
コロナ退散御朱印
御朱印帳
秀吉のひょうたん
可愛い(*´﹀`*)
けど、2500円しました!高っ!
けど、少し分厚い気がします。
記録として、残しておきますね😊
もう1つ続きます。
ごめんなさいです💦
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