せいりゅうじ|浄土宗鎮西派|見性山
青龍寺京都府 祇園四条駅
9:00~16:00
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楽しみ方
暑いです。バテます。最近帰宅したらホトカミのページを見ながら寝落ちしてしまいます。
皆様は大丈夫でしょうか?
ホトカミさんでマイログを見ると自分の巡礼の記録が見れますよね。
数が多くなってくると どうしても達成したくなってしまいます。
洛陽三十三所観音霊場の記録を見るとあと少しだと気づきました。
これはお参りしなければ ということでこちら青龍寺に向かいました。
こちら青龍寺は京都市東山区にあるお寺です。
洛陽三十三所観音霊場第9番札所です。
八坂神社から清水寺に通じる観光ルートにあります。
建物内は非公開で 基本山門には柵があります。
写真を撮った直後にかなり雨足が強くなりましたので(御朱印をお願いするのも困難ぐらい) 御朱印は次回にして雨宿りに逃げました。
ネット情報です。
山号は見性山 宗旨は浄土宗 ご本尊は聖観音 創建年は延暦8年(789年) 開基は桓武天皇 中興年は建久3年(1192年) 中興は見仏です。
延暦8年(789年)に桓武天皇の勅命によって長岡京近郊 乙訓郡小塩山に大宝寺として創建され 平安遷都により現在地に移された。
「伽羅(きゃら)観音」の通称で広く信仰を集めてきた本尊の聖観音は 本堂正面に安置されており 身の丈約1メートル 細身の優雅な立ち姿である。
寺伝によると 唐の皇帝徳宗から献上された伽羅木を 桓武天皇が伝教大師(最澄)に命じて彫刻させたものという。
その後 治承・寿永の乱の戦火にあって荒廃していたが 建久3年(1192年)に法然の弟子である見仏が再興し 法然を請待して浄土宗の六時礼賛別時念仏の道場とし 寺名を引導寺に改めた。
江戸時代の寛永年間(1624年 - 1645年) 知恩院第32世雄譽霊巌上人により寺名を青龍寺と改めた。
寺号の石柱
京都市の由緒書
外観しか写真は撮れません
見性山と号し、浄土宗鎮西派に属する。
延暦年間(782~805)に、桓武天皇の勅命によって小塩山(右京区)に建てられ、もと大宝寺と称したが、平安遷都とともにここに移ったといわれる。
その後荒廃していたが、建久三年(1192)、法然の弟子・見仏が再建し、更に、寛永年間(1624~1643)、霊嚴によって青龍寺と改称された。
本堂に安置する本尊聖観音像は平安時代の作品で、伽羅観音ともいい、桓武天皇が伝興大師(最澄)に命じて、唐から渡来した伽羅の木で彫刻させたものと伝えられる。
本堂の前にある大小二つの石は念仏石といい、見仏らが阿弥陀仏を昼夜に六回拝む六時礼賛を行ったとき、伏せ鉦の代わりにこれを叩いて礼賛の調子をとったといわれている。












| 名称 | 青龍寺 |
|---|---|
| 読み方 | せいりゅうじ |
| 通称 | 伽羅観さん(きゃらかんさん) |
| 参拝時間 | 9:00~16:00 |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 075-561-7216 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| 洛陽三十三所観音霊場 |
|---|
| ご本尊 | 聖観音菩薩 |
|---|---|
| 山号 | 見性山 |
| 宗旨・宗派 | 浄土宗鎮西派 |
| 創建時代 | 延暦年間(782~805年) |
| 開山・開基 | 桓武天皇 |
| ご由緒 | 見性山と号し、浄土宗鎮西派に属する。
|
| 体験 | 御朱印札所・七福神巡り |
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