あやこてんまんぐう
文子天満宮のお参りの記録一覧
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東本願寺さまへ向かう途中に鎮座されておられます。偶然に発見。
「天満宮」発祥のお社だそうです。
「文子さん」とは、菅原道真公の乳母の多治比文子(たじひのあやこ)さんのことで、
このお方が、すでに「天神」となられた道真公から「京都の北野の地に天神宮を建立せよ」
とのお告げを受けたため、今の「北野天満宮」があるということになります。すごい・・・
御朱印は3種類ありました。そのうちの2種をいただきました。
夏空に映える鳥居。
文子さんの像です。
ご拝殿。ご本殿が3メートルほど後ろにありますが、1.5メートルほどの石垣にご本殿がのっているせいか、ご拝殿正面からお参りすると、ご本殿の扉がかなり上方にあるように見えます。少し不思議な感覚でした。
道真公が腰かけられたという石。さすがに座るのはためらいました。
天満宮さまといえば「牛」さんですね。
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京都市下京区にある神社です。
ご祭神は菅原道真、多治比文子(たじひのあやこ)です。
ご祭神菅原道真公は 太宰府への左遷の後 失意のうちに亡くなられました。
その後天候不順や政治の混乱が続き 人々は道真公の怨霊が原因だと恐れました。
天慶5年(942)道真公は 乳母をつとめていた多治比文子に 現在の北野天満宮の地にまつってもらいたいと託宣され 文子は自分の家の庭に小さな祠をもうけ 道真公を拝んでいたそうです。
その後 天暦元年(947)6月9日に北野天満宮が創建されました。
北野天満宮が創建されるきっかけをつくったのが 多治比文子だったのです。
文子天満宮が 「北野天満宮の前身神社」と称される由縁であり 文子天満宮は菅原道真公を「天神」として最初におまつりをした神社であることから 「天神信仰発祥の神社」と位置づけられているそうです。
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京都市下京区の文子天満宮へ⛩️
東本願寺前の烏丸通りから東へ入った住宅街に鎮座。
菅原道真の乳母多治比文子(たじひのあやこ)がその遺徳を偲び、庭前に祠を建て道真手彫りと伝わる神像を祀ったのが始まりという。
この後に北野天満宮が創建されるため、文子天満宮は「天神信仰発祥の神社」「北野天満宮の前身神社」と呼ばれています🐮
境内には太宰府左遷の際に、道真が立ち寄って腰掛けたと伝わる石がありました。
御朱印は3種あります(この日は全て書置き)。
烏丸通りから東へ2本目の通り(かな?・😅)
学問の神様にお詣り🙏
多治比文子託宣(お告げ)の像
境内社。三柱大神(老松社、福部社、火之御子社)と白太夫社。
白瀧稲荷🦊
菅原道真腰掛石
こちらをいただきました
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北野天満宮の前身神社、天神信仰発祥の神社
本殿御祭神 菅原道真公
多治比文子さんは、菅原道真公の乳母でした。
道真公は、太宰府への左遷の後、失意のうちに亡くなられました。文子さんの夢枕に立った道真公は「北野の右近馬場に社殿を造って自分を祀ってほしい」と述べられましたが、文子さんには社殿を建てる経済力がなく、自宅のある西京七条二坊の土地の一角に祠を建てて祀られました。
その後、天暦元年(947)6月9日に北野天満宮が創建されました。
北野天満宮が創建されるきっかけをつくったのが、文子さんです。なので「北野天満宮の前身神社」と言われてます。
天満宮さんは何社がお参りしていますが、他の天満宮さんにはない独特な雰囲気(空気)なような気がしました。
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学業成就
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菅原道真公を御祭神とし、全国、約一万二千社を誇る天満宮・天神社
薫り高い”梅”
東風吹かば にほひをこせよ 梅の花、
主なしとて春を忘るな
(拾遺和歌集)
飛梅伝説は有名であり、梅の香りこそ御霊を鎮めると考えられている
撫で黒光りされた”牛”
道真公の遺骸を乗せた牛車が動かなくなり、動かなくなった場所を墓所と決めたと言われている
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神社は生命誕生を表現している。
そんな一節を読んでから、生まれ変わる場所、として時間を作り足を運ぶようになりました。
習うは一生。学ぶことを止めず、学び続けるからこそ若さを保てると考え、臥牛の像を撫でた手で頭を触るり、賢くなるように毎度毎度神妙に頭を垂れ、先ずは学業成就を願います。
もちろん、家内安全・健康長寿・商売繁盛・勝負運・金運・・・頼み事は両手で零れるほどありますが、御祭神にあわせ一つ二つ三つまでに留めて、心改め生まれ変われる場に感謝します。
御朱印
天神信仰発祥の神社
縁起より~当神社の御祭神は学問の神として人々から崇敬されている菅原道真公(天神様)であります。道真公は延喜元年(901)藤原時平のざん言により太宰府へ左遷、その途次、道真公の乳母多治比の文子(あやこ)に形見として、道真公自身で彫られた神像を授与された。文子は御遺徳を偲び庭前に小祠(ほこら)を造り、その神像をおまつりしたのが当神社の起こりであります。~(略)~当神社は菅原道真公を天神様として、日本で一番最初に信仰の対象におまつりした次第から《天神信仰発祥の神社》の由縁であり《北野天満宮の前身神社》といわれる由縁であります。
菅原道真公の乳母・文子の屋敷跡であり、乳母と道真公を奉る社。
その昔、九州の地で道真公が亡くなると京の都で災いが続いた。これは無実の罪で都から追放された道真公の祟りであると恐れられる中、道真の乳母であった文子の夢枕に道真が立ち、このままでは怒りが収まらない。どうか私の社を建て、この地で私を弔って欲しいと願う。
しかし当時社を建てるお金などなかった乳母は社を建てる代わりに自分の家を社としてこれを弔ったところ、災いがぴたりと収まった。
この話を聞いた朝廷がその後改めて建立したのが、現在の北野天満宮である。
ちなみに天満宮の「天満」とは道真公に与えられた神格名「天満大自在天神(ソラミツダイジザイテンジン)」のことであり、天皇家由来である「神社」と区別するために天満様のお宮、天満宮と表される。
とても小さな「文子天満宮」
道真公の乳母、文子様。
京都府のおすすめ2選🎌
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