れんこうじ|浄土宗|負別山
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方100年後に神社お寺を残せる未来へ
蓮光寺について
長宗我部盛親のお墓
土佐の大名長宗我部盛親の五輪供養塔がある。大坂夏の陣で敗れ六条河原町で斬首された後、生前親交があった住職蓮光上人が首級を葬り供養したと伝わる。遺品の太刀、鎧などが伝持されている。
京都府のおすすめ❄️
おすすめの投稿

京都浄土宗寺院特別大公開で昨年に引き続きお詣り。そして昨年同様小雨が・・・😥地蔵様と長曽我部盛親公墓所にお詣りし、本堂へ。ご住職は今年も健在。浄土宗京都教区長のお偉いご住職ですが今回ものっけから「エンドレスでず~~~~っと喋ってますので適当にお焼香してお帰り下さいとのこと😅そこからお寺の由緒と御本尊の負別如来の」お話が面白おかしく始まり、気が付けば一時間たち、「次にそこの地蔵堂にある駒止め地蔵の・・・「ってこれから地蔵様と長曽我部盛親公のお話へと続くようでした🤣全部聞いていたら他所回れなくなるのでご焼香して退出しました😅

山門

タペストリー

玉すだれも終盤ですね

稲荷さん

白玉稲荷

地蔵堂

駒止め地蔵

扁額

地蔵尊由緒

長曽我部盛親公墓所前

長曽我部盛親公墓所

本堂

手水鉢

扁額
歴史
1492年(明応元)真盛上人が高野山の苅萱堂に模して新町高辻に創建した。当時は天台宗で萱堂と号した。真盛の弟子・光順上人が1500年(明応九年)浄土宗に開宗。
本尊の「負別如来(おいわけにょらい)」と呼ばれる阿弥陀如来や、地蔵堂に安置される「駒止地蔵(こまどめじぞう)」と呼ばれる地蔵で有名である。
本堂に祀られる本尊は、鎌倉時代を代表する仏師・快慶(かいけい)の作と伝えられる。その昔、快慶が東国の僧の求めに応じて阿弥陀如来を作った際、あまりの尊い出来映えに自ら護持したいという気持ちを止められず、僧の後を追いかけた。山科の辺りで僧に追いつき懇願すると、僧も大いに感銘し箱を開いたところ、仏像が二体に分かれていたという。二人は感涙し、それぞれ一体を背負って東西に別れたと伝えられる。蓮光寺の本尊はその一体であるといわれ、「負別山(おいわけざん)」という山号もこれにちなんだものである。僧が持ち帰ったもう一体の仏像は「笈分如来」と称され、仙台市泉区にある阿弥陀堂に安置されている。
駒止地蔵は弘法大師(空海)の作といわれ、もとは六条河原町の処刑場に祭られていたと伝えられる。鴨川の氾濫で埋もれていたが、平清盛が乗る駒(馬)が六条河原町に差し掛かったとき、急に馬が動かなくなり、その場所を掘ってみると、この地蔵が出てきたとされる。そこからこの名がついたとされる。
境内には、関ヶ原の合戦や大坂夏の陣で活躍した武将・長曽我部盛親(ちょうそかべもりちか)の墓がある。
| 名称 | 蓮光寺 |
|---|---|
| 読み方 | れんこうじ |
| 通称 | 負別阿弥陀 |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 075-351-3066 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| メールアドレス | http://www.renkouji.info |
詳細情報
| ご本尊 | 阿弥陀如来 |
|---|---|
| 山号 | 負別山 |
| 院号 | 洛陽院 |
| 宗旨・宗派 | 浄土宗 |
| 創建時代 | 明応元年(1492) |
| 開山・開基 | 真盛上人 |
| ご由緒 | 1492年(明応元)真盛上人が高野山の苅萱堂に模して新町高辻に創建した。当時は天台宗で萱堂と号した。真盛の弟子・光順上人が1500年(明応九年)浄土宗に開宗。
|
| 体験 | 仏像御朱印武将・サムライ有名人のお墓 |
ホトカミのデータについて
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
近くの神社お寺
周辺エリア
京都府のおすすめ❄️
蓮光寺に関連する記事
おすすめのホトカミ記事
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ



































14
0