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れんこうじ|浄土宗負別山

蓮光寺の御由緒・歴史
京都府 五条(京都市営)駅

ご本尊阿弥陀如来
創建時代明応元年(1492)
開山・開基真盛上人
ご由緒

浄土宗。知恩院を本山とする。
山号は負別山(おいわけざん)。
承安五年(1175年)に開宗。
本尊は阿弥陀如来。

本尊の「負別如来(おいわけにょらい)」と呼ばれる阿弥陀如来や、
地蔵堂に安置される「駒止地蔵(こまどめじぞう)」と呼ばれる地蔵で有名である。

本堂に祀られる本尊は、鎌倉時代を代表する仏師・快慶(かいけい)の作と伝えられる。
その昔、快慶が東国の僧の求めに応じて阿弥陀如来を作った際、
あまりの尊い出来映えに自ら護持したいという気持ちを止められず、僧の後を追いかけた。
山科の辺りで僧に追いつき懇願すると、僧も大いに感銘し箱を開いたところ、
仏像が二体に分かれていたという。

二人は感涙し、それぞれ一体を背負って東西に別れたと伝えられる。
蓮光寺の本尊はその一体であるといわれ、
「負別山(おいわけざん)」という山号もこれにちなんだものである。
僧が持ち帰ったもう一体の仏像は「笈分如来」と称され、
仙台市泉区にある阿弥陀堂に安置されている。

駒止地蔵は攻防大師(空海)の作といわれ、
もとは六条河原町の処刑場に祭られていたと伝えられる。

鴨川の氾濫で埋もれていたが、平清盛が乗る駒(馬)が
六条河原町に差し掛かったとき、急に馬が動かなくなり、
その場所を掘ってみると、この地蔵が出てきたとされる。
そこからこの名がついたとされる。

境内には、関ヶ原の合戦や大坂夏の陣で活躍した
武将・長曽我部盛親(ちょうそかべもりちか)の墓がある。

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