ごじょうてんしんぐう
五條天神宮京都府 五条(京都市営)駅
社務所:9:00〜17:00
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | - | ||
駐車場 | 近隣のコインパーキング |
下京神社巡り。義経と弁慶出会いの場所とあり色々逸話が多い神社のよう。なにより京都において平安遷都以前から社地が変わっていないというのはなかなか稀有で驚きです。いろいろ聞きたいこと山積みですが社務所は閉まっており、インターホンも故障中という八方塞がりでした😥
京都市下京区にある神社です。
五条通りからわき道を北に上がったところにあります。
町中の神社さんにしては広いかなぁぐらいに思っていたのですが いやいや すごい歴史のある神社さんでした。
主祭神は少彦名命(すくなびこなのみこと) 配祀神は大巳貴命(おおなむぢのみこと)、天照皇大神(あまてらすおおみかみ)です。
来年の干支 「辰」の開運招福の置物がありましたので拝受しました。
結構な金額のものでも 「お代はお賽銭箱に」 とあり 信仰心のある日本人だからこそだなぁと思いました。
由緒については
社伝によれば 延暦13年(794年)に桓武天皇の平安京遷都の折 天皇の命により大和国宇陀郡から空海が天つ神(あまつかみ)を勧請したのが当社の創建であるという。
洛中最古の社である。
当初は「天使の宮」「天使社」と称した。
天皇のご病気や疫病流行の折には 病気退散のため社前に靭(ゆき)を掲げて祈願し 室町時代以降は疫神 医道の祖神とされた。
また最澄と空海は唐への出発前 当社において無事帰国を祈願している。
後鳥羽上皇の時代に「五條天神宮」へ改称された。
社号の五條は 当社北側にある松原通がかつて五条通と呼ばれていたことに由来する。
とありました。
石鳥居 なかなか大きいです
由緒書
拝殿・本殿
開運招福 干支の置物
本殿
市比賣神社から五条通を西へ、西洞院通を北へ200mほど上がると下京区天神前町の五條天神宮です⛩️
通称は天使の宮と呼ばれています。
「天神」表記でも主祭神は菅原道真ではありません。
延暦13年(794)、平安京遷都の際に桓武天皇の命で大和国から「天つ神(高天原の神)」を勧請したのが始まりだといいます。
ちなみに境内社には筑紫天満宮があって、撫で牛さんもいらっしゃいますよ🐮
神社横のマンション1階が社務所になってますが、この日は無人で御朱印はいただけず😣
ところで・・
五條天神宮西側の東中筋通沿いに「天使突抜」という町名があります👼
豊臣秀吉が京都に通りを新設した時に、五條天神宮(天使の宮)の広大な鎮守の森を突き抜いたのが由来だとか💦
周辺を歩くと「天使突抜」があちこちに😅
西洞院通側が正面。
左手のマンションに社務所。
拝殿
社殿の後ろに境内社あり
撫で牛さん🐮
境内社の筑紫天満宮
境内社がたくさん🙏
社務所のインターホン壊れてました😥
2種類の御朱印があるようです
天使突抜二丁目👼
駐車場も天使突抜👼
マンションも天使突抜👼
社伝によれば、延暦13年(794)、桓武天皇の平安遷都に当たり、大和国宇陀郡から天神を勧請したのが当社の始まりといわれる。当初は「天使の宮」(天使社)と称したが、後鳥羽天皇の時代に「五條天神宮」と改めた。
創社の頃は社域も広く、社殿も高荘であったが、中世以来度々火災に遭い、元治元年(1864)の蛤御門の変で社殿は焼失した。現在の社殿は近時の再建である。
当社は古来、医薬・禁厭(まじない)の神として広く崇敬され、今なお節分には、厄除け祈願のために参詣する人が多い。
例祭は、毎年五月十日に行われる。
名称 | 五條天神宮 |
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読み方 | ごじょうてんしんぐう |
通称 | 天使の宮 |
参拝時間 | 社務所:9:00〜17:00 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 075-351-7021 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ご祭神 | 《主》少彦名命,《配》大己貴命,天照皇大神 |
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創建時代 | 延暦13年(794) |
ご由緒 | 社伝によれば、延暦13年(794)、桓武天皇の平安遷都に当たり、大和国宇陀郡から天神を勧請したのが当社の始まりといわれる。当初は「天使の宮」(天使社)と称したが、後鳥羽天皇の時代に「五條天神宮」と改めた。
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