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さいしょういん|天台宗系単立

最勝院のお参りの記録一覧
京都府 宇治(JR)駅

れん太郎
れん太郎
2025年08月13日(水) 05時52分50秒
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朝霧橋を渡り平等院様へ向かいました。
到着は8時20分で開門待ちは私達の前に4組でした。
境内に進んで行くと右手に最勝院様の山門が見えます。

最勝院様の宗派は天台宗寺門派で聖護院の末寺です。
平等院様の塔頭寺院でもう一つの塔頭寺院である
浄土院様と年毎に交代で平等院様の管理をされています。
御本尊は不動明王をお祀りされています。

最勝院様には「源三位」源頼政の墓所があります。
頼政は保元の乱、平治の乱で勝者の側に立っています。
平清盛からの信頼は絶大で平安末期の
「平家でなければ人で非ず」と言われた時代にあって
清盛の推挙によって従三位に昇った源家の人物です。
平家物語では子息の仲綱が平重盛亡き後に
平家の棟梁に就いた平宗盛より仲綱所有の
名馬を巡り屈辱を与えられ、高倉天皇の母である
建春門院からの圧力で冷遇されていた以仁王を
担ぎ出し平家打倒の挙兵を企んだとされています。
以仁王の令旨が各地の源氏へと飛ばされましたが
当時は平氏寄りの立場であった熊野別当の湛増の
密告により清盛に漏洩します。
一旦 園城寺様に逃げ落ちた以仁王でしたが
恃みにしていた延暦寺様は清盛の調略で動かずでした。
この件で清盛の不興を買った園城寺様は後の
南都焼き討ちの際に平重衡によって焼かれています。
園城寺様で以仁王と合流した頼政は興福寺様を頼り
南都を目指しますが以仁王は疲労困憊で平等院様で
休息をとります。ここで平知盛、重衡、維盛に追い付かれ戦闘が開始されます。
橋合戦と呼ばれる戦では宇治橋の橋板を外し
防戦していましたが平家方が強引に渡河を始め
数において不利な頼政は平等院様へ撤退します。
以仁王を逃すために善戦しますが衆寡敵せず敗れ
この地で自害しています。

最勝院(京都府)
最勝院(京都府)
最勝院(京都府)
最勝院(京都府)
最勝院(京都府)
最勝院(京都府)
最勝院(京都府)
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sasaki3
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2024年12月27日(金) 15時36分57秒
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最勝院 南禅寺塔頭

最勝院(京都府)

最勝院 南禅寺塔頭

最勝院(京都府)

最勝院 南禅寺塔頭

最勝院(京都府)

最勝院 南禅寺塔頭

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惣一郎
惣一郎
2021年03月30日(火) 17時33分57秒
1269投稿

最勝院は、京都府宇治市の平等院の境内にある天台宗寺門派の塔頭寺院。本尊は不動明王。

江戸期の1654年に天台宗寺門派の東洞院六角勝仙院の僧・澄栄が創建。室町時代から存在した平等院塔頭・浄土寺と並立し争いとなったが、1681年に江戸幕府の寺社奉行の裁定により浄土宗、天台宗寺門派の共同管理となって現在に至っている。

当院の境内には、表門を入ると正面に本堂、左隣に不動堂、左斜め前方に地蔵堂、左奥には供養塔がある。本堂には本尊の不動明王像、左手には役行者像を祀る。地蔵堂には池殿地蔵尊を祀る。供養塔は、1180年の治承の乱で平知盛に大敗して平等院境内で自害した源頼政のためのもの。

※平等院の御朱印授与所の方によると、最勝院の御朱印は住持ご高齢のため、最近中止しているとのこと。残念...涙

最勝院の山門・神門

最勝院入口。平等院鳳凰堂の裏手にある。

最勝院のその他建物

門をくぐってすぐの寺務所。

最勝院のその他建物

門をくぐって左手にある、開基・開山の澄栄の碑。

最勝院の本殿・本堂

左に進んで<本堂>。

最勝院の本殿・本堂

本堂正面。<災難よけ不動尊>と書かれた提灯。

最勝院の仏像

本尊の不動明王像。

最勝院のその他建物

本堂左隣にある<地蔵堂>。

最勝院の本殿・本堂

堂内には<池殿地蔵尊>を祀る。

最勝院のその他建物

敷地左奥にある<源頼政の供養塔>。

最勝院のその他建物

最勝院の入口付近から見た鳳凰堂。手前の桜が満開。

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