みむろとじ|本山修験宗|明星山
三室戸寺京都府 三室戸駅
4月〜10月:8時30分〜16時00分
最終入山 15時40分、閉門 16時30分
※朱印最終受付は15時40分
11月〜3月:8時30分〜15時30分
最終入山 15時10分、閉門 16時00分
※朱印最終受付は15時10分
朱印受付は12時~13時の間、停止いたします
終日閉門 8月11日・12日・13日・14日・15日・16日・17日
12月29日・30日・31日
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楽しみ方みむろとじ|本山修験宗|明星山
4月〜10月:8時30分〜16時00分
最終入山 15時40分、閉門 16時30分
※朱印最終受付は15時40分
11月〜3月:8時30分〜15時30分
最終入山 15時10分、閉門 16時00分
※朱印最終受付は15時10分
朱印受付は12時~13時の間、停止いたします
終日閉門 8月11日・12日・13日・14日・15日・16日・17日
12月29日・30日・31日
御朱印(2種類)
三室戸寺では、「大悲殿」と「御詠歌」の2種類の御朱印をいただけます。
また、季節に合わせた限定御朱印が頒布されています。
大悲殿の御朱印
真ん中に大悲殿と書かれ、右上に西國第十番の印、真ん中に蓮華座に梵字(千手観音)の火焔宝珠印、左上に「西国三十三所 草創千三百年 三室戸寺 梵字(千手観音)」の記念印、左下に三室戸寺の文字、三室戸寺の印が押されています。
三室戸寺本堂には、33年に一度御開帳される秘仏である本尊「二臂千手観音菩薩(にひせんじゅかんのんぼさつ)」が祀られています。

京都府宇治市に有ります、
三室戸寺に参拝しました。
西国三十三所巡礼、第十番札所。
本日急遽時間が取れたので、昼に訪れ参拝して御朱印を頂きました。
猛暑でしたが、他の参拝客も多く賑わっていました。
蓮の花が咲き始めています。
枯山水
三室戸寺の帰りに、お茶を使ったジェラートの店発見、外のあまりの暑さに耐えかねたので、立ち寄り頂きました。
和紅茶と香碧(抹茶)のジェラート。
つつじ・しゃくなげ園:平成31年4月20日(土)~令和元年5月12日(日)
あじさい園:令和元年6月1日(土)~7月7日(日)
寺伝によれば、宝亀元年(770年)光仁天皇の勅願により南都大安寺の僧行表が創建したものという。創建と本尊に関しては次のような伝承がある。天智天皇の孫にあたる白壁王(後の光仁天皇)は、毎夜宮中に達する金色の霊光の正体を知りたいと願い、右少弁(右少史とも)藤原犬養なる者に命じて、その光の元を尋ねさせた。犬養がその光を求めて宇治川の支流志津川の上流へたどり着くと、滝壺に身の丈二丈ばかりの千手観音像を見た。犬養が滝壺へ飛び込むと1枚の蓮弁(ハスの花びら)が流れてきて、それが一尺二寸の二臂の観音像に変じたという。光仁天皇がその観音像を安置し、行表を開山として創建したのが当寺の起こりで、当初は御室戸寺と称したという。その後、桓武天皇が二丈の観音像を造立、その胎内に先の一尺二寸の観音像を納めたという。
以上のように、当寺の創建伝承については伝説的色彩が濃く、創建の正確な事情についてははっきりしない。園城寺(三井寺)の僧の伝記を集成した『寺門高僧記』所収の僧・行尊の三十三所巡礼記は、西国三十三所巡礼に関する最古の史料であるが、これによると、11世紀末頃に行尊が三十三所を巡礼した時は、三室戸寺は三十三番目、つまり最後の巡礼地であった[3]。寺は康和年間(1099 - 1103年)、三井寺の僧隆明によって中興されたという。
その後寛正年間(1460 - 1466年)の火災で伽藍を失い、再興されたものの、天正元年(1573年)には織田信長と争った足利義昭に加勢したため焼き討ちされる。
現存する本堂は江戸時代後期の文化11年(1814年)に再建された。
| 名称 | 三室戸寺 |
|---|---|
| 読み方 | みむろとじ |
| 参拝時間 | 4月〜10月:8時30分〜16時00分
|
| 参拝料 | 大人1000円、小人500円 料金改定されているので紫陽花シーズン等は要確認 |
| 御朱印 | あり 源氏物語宇治十帖ゆかりの御朱印 |
| 限定御朱印 | あり |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | あり |
| 電話番号 | 0774-21-2067 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | http://www.mimurotoji.com/ |
| お守り | あり |
| 絵馬 | あり |
| SNS |
| 神仏霊場巡拝の道 | |
|---|---|
| 西国三十三所霊場 | |
| 数珠巡礼 第62番 |
| ご本尊 | 千手観音菩薩 |
|---|---|
| 山号 | 明星山 |
| 宗旨・宗派 | 本山修験宗 |
| 創建時代 | 宝亀年間(770年~781年) |
| 開山・開基 | 光仁天皇 |
| 文化財 | 木造阿弥陀如来坐像及び両脇侍坐像・木造釈迦如来立像・木造毘沙門天立像(重要文化財) |
| ご由緒 | 寺伝によれば、宝亀元年(770年)光仁天皇の勅願により南都大安寺の僧行表が創建したものという。創建と本尊に関しては次のような伝承がある。天智天皇の孫にあたる白壁王(後の光仁天皇)は、毎夜宮中に達する金色の霊光の正体を知りたいと願い、右少弁(右少史とも)藤原犬養なる者に命じて、その光の元を尋ねさせた。犬養がその光を求めて宇治川の支流志津川の上流へたどり着くと、滝壺に身の丈二丈ばかりの千手観音像を見た。犬養が滝壺へ飛び込むと1枚の蓮弁(ハスの花びら)が流れてきて、それが一尺二寸の二臂の観音像に変じたという。光仁天皇がその観音像を安置し、行表を開山として創建したのが当寺の起こりで、当初は御室戸寺と称したという。その後、桓武天皇が二丈の観音像を造立、その胎内に先の一尺二寸の観音像を納めたという。
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| 体験 | 御朱印お守り重要文化財花の名所札所・七福神巡り |
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