かとうじんじゃ
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加藤神社の御朱印・御朱印帳
| 限定 | |||
|---|---|---|---|
| 御朱印帳にお書き入れ | |||
| その他 | |||
| 御朱印帳 | 普通サイズ(11×16)、大サイズ(12×18) | ||
| 電話番号 | 096-352-7316 | ||
御朱印・御朱印帳の詳細情報
御朱印(1種類)
加藤神社の御朱印

加藤神社は、日本三名城・日本三堅城の一つである熊本城を築城し、土木の神様や築城の名手と呼ばれた加藤清正公を主祭神とする神社で、土木建築や勝運に御利益があるとされています。
境内から見上げる熊本城の大小天守と宇土櫓の眺めは絶景で、宇土櫓は築城以来現存しており、20メートルの高さを誇る石垣の上にそびえる様は、まさに難攻不落の熊本城を象徴しています。
このほか、季節や行事にあわせて特別御朱印が頒布されます。
御朱印帳(2種類)
加藤神社では、2種類のオリジナル御朱印帳が頒布されています。
オリジナル御朱印帳

加藤清正の虎退治とは、朝鮮出兵の際に小姓の上月左膳が虎に喰い殺されたことに怒った清正が、虎の群れを片鎌槍や十文字槍で討ち果したという伝承です。
オリジナル御朱印帳

片鎌槍は、加藤清正の虎退治の際に十文字槍の片側の枝を折られたものを研磨して愛用したという伝承があり、息女瑤林院(ようりんいん)が紀州徳川頼宣(よりのぶ)に輿入れをした際に持参されました。
蛇目紋長烏帽子形兜(じゃのめもんながえぼしなりかぶと)は、『清正記』の中に、慶長3年(1598年)の蔚山での戦いで清正が着用したという記述があります。
授与場所・時間
御朱印・御朱印帳ともに、拝殿に向かって左側にある社務所でお受けできます。

御朱印の受付時間は8時~17時。
詳しくは公式サイトをご確認ください。
過去の限定御朱印
正月限定御朱印

履道応乾(りどうおうけん)とは、清正公が花押や朱印とともに文書に押された黒印で、「信念に従って行動すれば必ず道は開ける」「自らは一歩身を引いて己のなすべきことをすれば必ず道は開ける」という意味があります。
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加藤神社(かとうじんじゃ)は、熊本県熊本市の熊本城内にある神社である。
祭神
加藤清正公を主祭神とし、祭神に殉じた大木兼能公、韓人(朝鮮人)金官(きんかん)公を配祀する。
歴史
元は慶長16年(1611年)の清正の歿後に清正を祀った浄池廟であった。慶長19年(1614年)、火災で焼失した本妙寺が浄地廟に移された。
神仏分離により明治元年(1868年)、浄地廟の儀式を神式で行うこととなり、同4年、浄池廟・本妙寺より神社を分け、熊本城内に社殿を造営して錦山神社(にしきやまじんじゃ)とした。場所は大天守、小天守、宇土櫓に囲まれた平左衛門丸である。同年、大木兼能と金官を合祀した。同7年、熊本城内に熊本鎮台が置かれるのに伴い、城外の新堀町(現在の京町一丁目)に遷座し、翌8年県社列格、同10年2月、西南戦争により社殿を焼失し(神体は健軍神社に避難していた)、明治17年に再建した。明治42年(1909年)に、錦山神社から加藤神社に改称された。乃木希典も加藤清正を信仰していたこともあり、各地に分霊を祀る加藤神社ができた。同44年にはハワイに、大正3年(1914年)には日本統治下の朝鮮・京城府(現 大韓民国ソウル特別市)に当社の分霊を祀る加藤神社が創建された(京城府の加藤神社は戦後に廃社。跡地は聖山教会になっている)。加藤清正を祭る神社は一時90社を数えるが、一部例外(鹿児島県など)を除き全国的に分布し、その約半分は熊本県にある。昭和27年(1952年)、宗教法人加藤神社となった。同37年、道路改修のため、熊本城内の現在地に遷座した。
※ウィキペディア引用
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