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たねまじ|真言宗豊山派本尾山(もとおざん)

種間寺
高知県 曙町駅

御朱印について御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

道路沿い 普通70台・大型5台(無料)

巡礼

その他の巡礼の情報

四国八十八箇所第34番

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くるくるきよせん
くるくるきよせん
2024年05月15日(水) 21時17分29秒
2980投稿

1泊2日四国八十八か所巡り 1日目の8寺院目です。
雪蹊寺から西へ5kmほど車で走った所にあります。
農村地帯の一角の集落という雰囲気の場所です。
境内横にとても広い駐車場がありますので 参拝しやすいです。
山門はなく 柱門になっています。
境内に入ると 立派なしだれ赤松が目に入ります。
初めて見ました。しだれ松。
鐘楼も本坊も 比較的新しいかな?昭和時代かな?と思われる建物ですが 本堂はびっくりコンクリート製のようで これは新しいでしょうね。
古い建物が好きなので 少しだけ悲しかったです。
大師堂はそれなりに古い建物だったので良かったです。
御朱印を拝受する際 奥様だと思うのですが とても丁寧に対応くださったのが印象的でした。

山号は本尾山 院号は朱雀院 宗旨宗派は真言宗豊山派 ご本尊は薬師如来 創建年は(伝)弘仁年間(810年 – 824年) 開基は(伝)空海(弘法大師)です。

ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ころころ せんだりまとうぎ そわか
ご詠歌:世の中にまける五穀(ごこく)のたねまでら 深き如来の大悲(たいひ)なりけり
でした。

由緒については
用明天皇在位(585年 - 587年)の頃 四天王寺を建立するため来日した百済の仏師が 帰国の際に暴風に襲われてこの地に近い秋山の港に漂着 航海の安全を祈願して薬師如来を刻んで本尾山頂に安置したのが起源であるという。
その後 弘仁年間(810年 – 824年)に空海(弘法大師)が巡錫し 堂宇を建立し仏師が刻んだ薬師如来を本尊として安置して開基したといい その際に唐から持ち帰った五穀の種を境内に蒔いたことから寺号が定められたという。
天暦年間(947年 - 957年)には 村上天皇が藤原信家を勅使にして「種間」の勅額を下賜。
土佐藩主からの信仰も得ていた。
神仏分離令で明治4年(1871年)に廃寺となり 跡地には春日神社が創建された。
本尊は近くの池田観音堂に移してあったが 明治13年(1880年)現在地に再興された。
とありました。

種間寺(高知県)

山門はありません

種間寺(高知県)

鐘楼

種間寺の像

修行大師像

種間寺(高知県)

柱門

種間寺(高知県)
種間寺(高知県)
種間寺(高知県)

本坊

種間寺(高知県)

地蔵堂

種間寺(高知県)

しだれ赤松

種間寺(高知県)

並び地蔵

種間寺(高知県)

子育観音

種間寺(高知県)
種間寺(高知県)

手水

種間寺(高知県)

本堂

種間寺(高知県)

扁額

種間寺(高知県)
種間寺(高知県)

内陣

種間寺(高知県)

さわり大黒

種間寺(高知県)

大師堂

種間寺(高知県)

梁の彫刻が見事です

種間寺(高知県)
種間寺(高知県)

内陣

種間寺(高知県)

扁額

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種間寺の基本情報

住所

高知県高知市春野町秋山72

行き方

とさでん交通 「春野庁舎前」下車 (0.8km)
33【雪蹊寺】より
(自家用車)約20分 約8km
(徒歩)約1時間50分 約6.5km
35【清滝寺】より
(自家用車)約40分 約12km
(徒歩)約3時間 約9.5km

アクセスを詳しく見る
名称

種間寺

読み方

たねまじ

参拝時間

7:00~17:00

トイレ駐車場にあり
御朱印あり
限定御朱印なし
電話番号0888-94-2234
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

巡礼の詳細情報

四国八十八ヶ所霊場(お遍路)

詳細情報

ご本尊薬師如来
山号

本尾山(もとおざん)

院号

朱雀院(しゅじゃくいん)

宗旨・宗派真言宗豊山派
創建時代

弘仁年間(810〜824)

開山・開基

弘法大師

文化財

木造薬師如来坐像(重要文化財)
木造薬師如来立像、石造手水鉢(高知市指定有形文化財)

ご由緒

土佐湾の沿岸は、四国霊場のメッカのようである。種間寺もその一つで、土佐湾の航海に結びついた興味深い縁起が伝えられている。
6世紀のころである。敏達天皇の6年(577)百済の皇子から多くの経論とともに、仏師や造寺工を贈る旨の勅書がとどいた。彼らが渡来したのは用明天皇(在位585〜87)の時代、大阪・四天王寺の造営にあたった。ようやく落慶し、その帰途の航海中であった。土佐沖で強烈な暴風雨におそわれて、種間寺が建つ本尾山にほど近い秋山の港に難を逃れて寄港した。彼らは、海上の安全を祈って約145㎝の薬師如来坐像を彫造し、本尾山の山頂に祀った。これが寺の起源とされている。
その後、200年以上が経過して、唐から帰朝した弘法大師がこの地を訪ねたのは弘仁年間である。大師はその薬師如来像を本尊として安置し、諸堂を建てて開創された。その折に唐からもち帰った種子の米、麦、あわ、きび、豆またはひえの五穀を境内に蒔いたことから、種間寺と名付けたといわれる。
天暦年間(947〜57)には、ときの村上天皇(在位946〜67)が「種間」の勅額を下賜され、また、土佐藩主の山内公からの加護が厚く、広大な田畑や山林を寄贈されており、堂舎の修築も行われている。ただ、やはり廃仏毀釈の難では、容赦がなかった。 本尊は「安産の薬師さん」で、また、底の抜けた柄杓に人気があり、信者が多い。

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