曹洞宗
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洞昌院の御朱印・御朱印帳
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上粕屋にある曹洞宗、蟠龍山(ばんりゅうざん)洞昌院の境内。本寺は15世紀の武将、太田道灌が中興開基です。
室町時代、文明18年7月26日、主君扇谷(おうぎがやつ)上杉定正(うえすぎ さだまさ)の糟屋にあった館に招かれた太田道灌は、定正の手の者により殺されてしまいました。55歳でした。
道灌の最期については、いろいろな伝承があるようですが、子孫に伝わったものとして、館の風呂場で刺客に襲われ、「当方滅亡」(これでこちらは滅亡するぞ)と叫んで亡くなったとされる話が一番有名です。
遺体は洞昌院の裏手で荼毘(だび)に付されたといいます。墓には宝篋印塔が建てられていますが、年代的にも道灌の亡くなった時期と矛盾しないようです。また、墓前の左右には松の大きな切り株がありますが、道灌の四十九日の供養に当時関東にいた詩僧・万里集九(ばんりしゅうく)が祭文(さいもん)をささげ、植えた松と考えられます。明治半ばに描かれた墓の絵を見ると、立派な松が二本そびえています。さらに木刀と思われるものが奉納されています。風呂場において丸腰の状態で刺客に襲われた道灌に、せめて刀があったならという信仰からのものと思われます。(伊勢原市のページより)
大田道灌といえば、関東各地に伝説がある。
先日、豊島区の黒猫伝説の神社に行ったばかり。
伊勢原市も大田道灌のゆかりの地であったのか。
広い敷地はなかなか手入れが大変のようだ。
私がお邪魔した時は、住職夫人が対応してくださり、書き置きの御朱印をくださった。
人もいないし、大田道灌のお墓もなかなか手入れが行き届かず、と言われていた。
沼津市、前橋市の寺院で見かけた「定年退職したんで、菩提寺の手入れをしてまーす」という人たち。ここにはいないようなのだ。
なんでもお寺に住む人達でするのではなく、もっと開かれた場所にならないだろうか?
などと思うのであった。
こちらが太田道灌の墓になる。
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