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菅谷神社ではいただけません
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御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

あり

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サクドン
2019年07月30日(火)
198投稿

ここのところ歯医者に通ったりで思うように参拝できていませんが、本日は所用で出掛ける用事があったので、帰り掛けに菅谷神社に参拝させて頂きました。

何度か参拝させて頂いでいるのですが、タイミングが合わないのか社務所が閉まっており、残念ながら御朱印が頂けるのかは不明です。

駐車場は特にありませんが境内に数台停められます。

神奈川県神社庁の神社詳細ページよりご由緒を引用させて頂きました(改行のみ変更)。

菅谷神社の建物その他
菅谷神社の建物その他

社号標

菅谷神社の鳥居

鳥居

菅谷神社の建物その他

境内全景

菅谷神社の手水

手水舎

菅谷神社の手水

手水

菅谷神社の建物その他

社務所

菅谷神社の建物その他
菅谷神社の建物その他

神楽殿と神輿殿

菅谷神社の建物その他

神楽殿

菅谷神社の建物その他
菅谷神社の建物その他

神輿殿

菅谷神社の建物その他
菅谷神社の建物その他

お札納め処

菅谷神社の末社

道祖神と石像群
神輿殿とお札納め処の間にひっそりといます

菅谷神社の地蔵
菅谷神社の建物その他
菅谷神社の建物その他
菅谷神社の建物その他

石燈籠

菅谷神社の狛犬

狛犬 阿形

菅谷神社の狛犬

狛犬 吽形

菅谷神社の本殿

拝殿

菅谷神社の建物その他

拝殿中の扁額

菅谷神社の本殿
菅谷神社の建物その他

拝殿の中に太鼓がありました

菅谷神社の本殿

本殿

菅谷神社の本殿

本殿 背面より

菅谷神社の建物その他

合祀五十周年記念碑

菅谷神社の建物その他

合祀百周年記念碑

菅谷神社のおみくじ

御籤結び
掛ける所が無かったのか絵馬も掛かっていました

菅谷神社の歴史
菅谷神社の建物その他

境内(駐車場)入口

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歴史

創建の年代詳かではないが天保年間編纂の新編相模風土記に「神明宮当村(岡田村)及小谷・大蔵三村の鎮守とする云々」とあり、往古より天照大神を奉斎して神明宮(通称天の宮[てんのみや])と称えられたことが記されています。

当地区は相模國一之宮寒川神社に隣接する古代より開けたところで当神社を中心に塔の塚、応神天皇を祀るといわれる応神塚等の古墳が点在し、出土品によれば古代社会が営なまれていたことが推測され、これらの中心をなすところに当神社が位置しています。

神明宮と称えられた当神社は明治四年二月一日村社に列せられ、明治四十二年七月二十三日には村内各所に鎮座する東守(とうす)権現社、八坂神社、山王社(以上無格社岡田村)稲荷社(村社小谷村)諏訪神社(無格社大蔵村)の五社を合祀して社号を菅谷神社と改称しています。
昭和三十三年には合祀五十周年記念大祭斎行、平成二年には合祀八十周年記念事業が完遂して居ります。

当神社の神輿は、天保九年(一八三八)五月國府祭(大磯神揃山)に渡御された寒川神社の神輿がその帰路相模川の増水により流失し、南湖の浜に引き上げられたという神輿(湖南地方随一の祭典浜降祭のルーツとも一説に伝わる)で、天保十年寒川神社との神縁により譲渡され修復したものであります。

この神輿は、全国にも類をみない程雄壮・華麗なものでありますが長年の奉仕により近年傷みがひどく現在は御殿に奉安され、昭和五十四年十二月十五日付「天保神輿」として寒川町重要文化財に指定されています。
尚今日の神幸祭、浜降祭の渡御は昭和五十三年六月氏子崇敬者各位の多額の浄財によって調製された神輿で斎行されて居ります。

御祭神 
 天照大神 建御名方命 大山咋命 倉稲魂命 天忍穂耳命 素盞鳴命

御神徳
 昔より岡田・小谷・大蔵地区の産土神社として厚く信仰され、御神徳は広大無辺であります。
家門繁栄 商売繁昌 交通安全 開運 勝運 厄難消除 病気平癒 学業成就

宝物
神輿(寒川町重要文化財)壱基 古文書(天保神輿譲渡證文)壱巻 古地図(古の氏子区域図)壱面

祭典

一月一日 歳旦祭 年の始めにあたって皇室の安泰と氏子崇敬者の繁栄を祈る祭儀。

一月十四日 古神符及しめ飾焼納祭 古神符守札、しめ飾等を古式に則りお焚上げする小正月神事。

七月第一日曜日 神幸祭 菅谷大神が神輿に遷座し氏子区域内を隈なく渡御される神事。

七月十四日 例大祭 一年中で最重要な祭儀。

七月十五日 浜降祭 茅ケ崎南湖の浜に渡御し「暁の祭典」を執行する。当社の神輿が寒川神社の前駆として往還供奉する吉例である。

十一月中 七五三祝祭 三才(髪置の祝、男女)五才(袴着の祝、男)七才(帯解の祝、女)児の健かな成育を願う神事。

十二月二十八日 師走大祓 一年間の様々の罪穢を祓い清め々しい新年を迎える為の神事。

月次祭 毎月一日・十五日厳修 氏子崇敬者の平安と繁栄を祈る祭儀。

(神奈川県神社庁の神社紹介より引用)

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菅谷神社の基本情報

住所神奈川県高座郡寒川町岡田4-20-39
行き方
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名称菅谷神社
読み方すがやじんじゃ
トイレなし
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし
おみくじあり

詳細情報

ご祭神《合》建御名方神,大山咋命,倉稲魂命,天忍穂耳命,素盞嗚命,《主》天照大神
ご由緒

創建の年代詳かではないが天保年間編纂の新編相模風土記に「神明宮当村(岡田村)及小谷・大蔵三村の鎮守とする云々」とあり、往古より天照大神を奉斎して神明宮(通称天の宮[てんのみや])と称えられたことが記されています。

当地区は相模國一之宮寒川神社に隣接する古代より開けたところで当神社を中心に塔の塚、応神天皇を祀るといわれる応神塚等の古墳が点在し、出土品によれば古代社会が営なまれていたことが推測され、これらの中心をなすところに当神社が位置しています。

神明宮と称えられた当神社は明治四年二月一日村社に列せられ、明治四十二年七月二十三日には村内各所に鎮座する東守(とうす)権現社、八坂神社、山王社(以上無格社岡田村)稲荷社(村社小谷村)諏訪神社(無格社大蔵村)の五社を合祀して社号を菅谷神社と改称しています。
昭和三十三年には合祀五十周年記念大祭斎行、平成二年には合祀八十周年記念事業が完遂して居ります。

当神社の神輿は、天保九年(一八三八)五月國府祭(大磯神揃山)に渡御された寒川神社の神輿がその帰路相模川の増水により流失し、南湖の浜に引き上げられたという神輿(湖南地方随一の祭典浜降祭のルーツとも一説に伝わる)で、天保十年寒川神社との神縁により譲渡され修復したものであります。

この神輿は、全国にも類をみない程雄壮・華麗なものでありますが長年の奉仕により近年傷みがひどく現在は御殿に奉安され、昭和五十四年十二月十五日付「天保神輿」として寒川町重要文化財に指定されています。
尚今日の神幸祭、浜降祭の渡御は昭和五十三年六月氏子崇敬者各位の多額の浄財によって調製された神輿で斎行されて居ります。

御祭神 
 天照大神 建御名方命 大山咋命 倉稲魂命 天忍穂耳命 素盞鳴命

御神徳
 昔より岡田・小谷・大蔵地区の産土神社として厚く信仰され、御神徳は広大無辺であります。
家門繁栄 商売繁昌 交通安全 開運 勝運 厄難消除 病気平癒 学業成就

宝物
神輿(寒川町重要文化財)壱基 古文書(天保神輿譲渡證文)壱巻 古地図(古の氏子区域図)壱面

祭典

一月一日 歳旦祭 年の始めにあたって皇室の安泰と氏子崇敬者の繁栄を祈る祭儀。

一月十四日 古神符及しめ飾焼納祭 古神符守札、しめ飾等を古式に則りお焚上げする小正月神事。

七月第一日曜日 神幸祭 菅谷大神が神輿に遷座し氏子区域内を隈なく渡御される神事。

七月十四日 例大祭 一年中で最重要な祭儀。

七月十五日 浜降祭 茅ケ崎南湖の浜に渡御し「暁の祭典」を執行する。当社の神輿が寒川神社の前駆として往還供奉する吉例である。

十一月中 七五三祝祭 三才(髪置の祝、男女)五才(袴着の祝、男)七才(帯解の祝、女)児の健かな成育を願う神事。

十二月二十八日 師走大祓 一年間の様々の罪穢を祓い清め々しい新年を迎える為の神事。

月次祭 毎月一日・十五日厳修 氏子崇敬者の平安と繁栄を祈る祭儀。

(神奈川県神社庁の神社紹介より引用)

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