御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方

すぎもとでら|天台宗大蔵山

杉本寺の御由緒・歴史
神奈川県 鎌倉駅

ご本尊十一面観音像
創建時代天平六年(734)
開山・開基発願;光明皇后 開山:行基 開基:藤原房前(ふじわらのふささき)
ご由緒

< 公式Webサイトから引用 
        http://sugimotodera.com/sample-page/ >
.
当山は天平(てんぴょう)6年(734年)
聖武天皇の后である光明皇后の御願により、
藤原房前(ふじわらのふささき)、行基菩薩(ぎょうきぼさつ)
によって建立されました。
御本尊は天平6年(734年)
行基菩薩御作(ぎょうきぼさつおんさく)、
仁寿元年(851年)慈覚大師円仁御作(じかくだいしえんにんおんさく)、
寛和(かんわ)2年(986年)
恵心僧都源信御作(えしんそうずげんしんおんさく)
の三体の十一面観音様です。
鎌倉時代火災がおこった際に
御本尊三体自ら庭内の大杉の下に火を避けられたので、
それより「杉の本の観音」と呼ばれたという言い伝えがあります。
また、礼を欠き、
信心なくして馬で寺の前を通り過ぎる者は落馬するというので
建長寺開山大覚禅師(だいがくぜんじ)が祈願し自らの袈裟で
行基菩薩が彫られた十一面観音様のお顔を覆ったところ
落馬する者がなくなったといいます。
本堂正面には、
源頼朝公寄進の前立本尊十一面観音様が安置されています。

歴史
歴史[編集] 731年(天平3年)東国の旅をしていた行基(ぎょうき)が、ここが観音様を祀る場所にふさわしいと考え、自ら彫った十一面観音を安置したことから始まり、734年(天平6年)、光明皇后が観音菩薩のお告げにより東国の治安の安定を願い、右大臣藤原房前と行基に本堂を建立させたと伝わる[1]。 仁寿元年(851年)に円仁(慈覚大師)が参詣し十一面観音菩薩を自ら刻み安置し、寛和2年(986年)花山法皇の命により源信(恵心僧都)が十一面観音菩薩を自ら刻み安置し、その後花山法皇が巡礼したと伝わる[2]。 寺伝によると文治5年(1189年)堂宇が焼失しているが、このとき本尊の観音像三体が自ら本堂を...Wikipediaで続きを読む
引用元情報杉本寺」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%9D%89%E6%9C%AC%E5%AF%BA&oldid=99781872

歴史の写真一覧

最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう

利用開始をもって利用規約プライバシーポリシー
同意したものとみなします。

※購読はいつでも解除できます。

This site is protected by reCAPTCHA and the Google
Privacy Policy andTerms of Service apply.

御朱印背景
ホトカミを続けるために、あなたのサポートが必要です。
行きたい
投稿する
お問い合わせ

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから

お問い合わせ