御朱印・神社お寺の検索サイト楽しみ方
四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2024年5月
銭洗弁財天宇賀福神社ではいただけません
広告

ぜにあらいべんざいてんうがふくじんじゃ

銭洗弁財天宇賀福神社のお参りの記録(1回目)
神奈川県鎌倉駅

投稿日:2022年08月11日(木)
鎌倉参拝7カ所目は、銭洗弁財天。高徳院から歩いて行きました。けっこうな距離と猛暑だったのでタクシーで行こうとして電話しましたが、どこも予約はしてなく、鎌倉は基本徒歩か電車移動のようですね。高徳院からは歩いて約30分弱でした。

社務所で御朱印をいただく際、ザルを借り、銭の洗い方を教えていただきました。

創建のいきさつについては、
次のような話が伝えられています。

「公式HPより」
平安時代の終わり頃は世の中が乱れ、そのうえ飢饉が続いて人々の苦しみはひどく、目も当てられない有様でした。源頼朝は人々の命を救おうと日夜神や仏に祈っていましたが、巳の年の1185(文治元)年、巳の月、巳の日の夜に、夢にひとりの老人が現れ、ここから西北の方に一つの谷があり、きれいな泉が岩の間から湧き出ている。今後この水を汲んで絶えず用い、神仏を供養せよ。自分はこのかくれ里の主の宇賀福神である。と言って姿を消しました。夢からさめた頼朝がすぐ家来をやってその場所を探らせると、確かに、岩の間から綺麗な水が湧き出ているのが見つかりました。頼朝はさっそく石工に命じて穴ぐらを掘らせ、社を建てて宇賀福神をおまつりし、毎日その水を運んで供えたところ、天下は次第に治まり、人々は安楽な日々を送るようになったといいます。
その後、第5代執権北条時頼もこの神を敬い、人々に参拝させました。そして「銭をこの水で洗い清めれば福銭となり、一家は栄え、子孫は長く安らかになるであろう」と、自ら持っていた銭を巳の日に洗って祈ると、人々もそれにならって銭を洗い清めるようになりました。いつしか銭洗いの水と呼ばれるようになり、今でもこの水でお金を洗う人が絶えません。
銭洗弁財天宇賀福神社(神奈川県)
銭洗弁財天宇賀福神社の鳥居
銭洗弁財天宇賀福神社(神奈川県)
銭洗弁財天宇賀福神社の御朱印
ご朱印

すてき

みんなのコメント0件)

ログインしてください

ログイン無料登録すると、投稿へコメントできます。

ホトカミ見ました! で広がるご縁

ホトカミを見てお参りされた際は、
もし話す機会があれば神主さんに、「ホトカミ見てお参りしました!」とお伝えください。
神主さんも、ホトカミを通じてお参りされる方がいるんだなぁと、ホトカミ無料公式登録して、情報を発信しようという気持ちになるかもしれませんし、
「ホトカミ見ました!」きっかけで豊かな会話が生まれたら、ホトカミ運営の私たちも嬉しいです。
銭洗弁財天宇賀福神社の投稿をもっと見る180件
コメント
お問い合わせ