はんそうぼうだいごんげん
半僧坊大権現のお参りの記録一覧(2ページ目)
16.12.05 初冬の 鎌倉「半僧坊大権現」 ~ ” 勝上献 ”
(’献 ’はヤマカンムリ ’山’ が付く文字)
_ 「建長寺」最奥の高台 鎌倉市山ノ内
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16.12.05 初冬の #鎌倉 「 #半僧坊大権現 」 ~ ” #勝上献 ” _ 「 #建長寺 」
https://mitch1.blog.ss-blog.jp/2016-12-08-4#more
11.10.29 ・ 鎌倉「半僧坊大権現」からの眺望 _ 「建長寺」最奥の高台
・ 「勝上献」の展望台/勝上献石祠 _ 鎌倉市山ノ内
(’献 ’はヤマカンムリ ’山’ が付く文字)
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< 本来は半僧坊とは別項目「勝上献石祠」であるべきかと思いますが、
デフォルトでの項目が無かったので暫定的に半僧坊項目内に載せました。>
↓ 以下は 半僧坊から更に上方の「勝上献」 ↓
’ 天園ハイキングコース ’ 合流地へ登る方向
下る方向へ振り返って「これより建長寺境内へ入ります・・・ ・・・」
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下る方向へ振り返って「これより建長寺境内へ入ります・・・ ・・・」
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’ 勝上献展望台 ’ からの眺望
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’ 勝上献展望台 ’ から、眼下の「建長寺」堂宇の屋根を望む
’ 勝上献展望台 ’ から、眼下の「建長寺」堂宇の屋根を望む
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「勝上献」の石祠
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「勝上献」の石祠_(’献’はヤマカンムリ ’山’ が付く文字)
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「勝上献」の石祠
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「勝上献」から、’ 半僧坊 ’ へ降りる石段
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11.10.29 #鎌倉 「 #勝上献(’献 ’はヤマカンムリ ’山’ が付く文字) 」
#展望台 / #石祠 _ #鎌倉市山ノ内
https://mitch1.blog.ss-blog.jp/2011-11-08-7#more
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’11.10.29 鎌倉ウォーキング ’ から抜粋個別編集
http://mitch1.blog.so-net.ne.jp/2011-10-23
10.07.18 鎌倉「半僧坊大権現」 _ 建長寺管理敷地内
01) 建長寺最奥、’半僧坊’ 参道入口着_9:28am
02) ’半僧坊’ 参道途中で振り返る_9:31am
03) 同行者が ’半僧坊’ 参道進行中_9:31am
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10.07.18「鎌倉駅~建長寺/半僧坊~天園~西御門~鎌倉駅 ウォーキング」から抜粋編集
http://mitch1.blog.so-net.ne.jp/2010-07-26-3#more
04) ’半僧坊’ 参道進行中_9:31am
05) 多くの烏天狗像に迎えられ、’半僧坊’ まで あとちょっと。 _9:34am
06) 「半僧坊大権現」着_9:35am
07) 「半僧坊大権現」着_9:35am
08) 「半僧坊大権現」着_9:35am
09) 「半僧坊大権現」着_9:35am
10) ’半僧坊’ 富士見台。_9:36am
11) ’半僧坊’ 富士見台。_9:36am
06.07.28 鎌倉「半僧坊大権現」_ 建長寺管轄敷地内 鎌倉市山ノ内
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06.07.28 #鎌倉 「 #半僧坊大権現 」_ #建長寺管理敷地内 #鎌倉市山ノ内
https://mitch1.blog.ss-blog.jp/2019-10-26-1?1572073445
/ #建長寺 #半僧坊
鎌倉二十四地蔵尊霊場第11番札所。臨済宗の総本山である建長寺の鎮守です。
明治23年に浜松のある方広寺から勧請した半僧坊が祀られています。
建長寺の裏山へ向けて約20〜30分の歩きます。途中で大天狗・烏天狗の像が迎えてくれて約250段の急な階段を上がります。
本殿から富士山や鎌倉の海が一望できる絶景ポイントです。
この先「天園」ハイキングコースになっており、鶴岡八幡宮の裏手のあたりに出ます。
なお、戻ってくる場合は、再度入山料をいただくことにあることになるのでご注意を。
建長寺を歩いて、この石碑が見えてきたら半僧坊へのスタートです。
狛犬が出迎えてくれました。
竹林に囲まれて達磨大師です。
向かいには「虫塚」がありました。
二の鳥居が見えてきたら、ここからは急な階段。約250段上がります。
この日はとても初夏の陽気ではなく、真夏の暑さ。
まだまだ序盤です。
古くから信仰の場であったことが伺われます。
本堂の下には天狗像が見えてきました。
ここまで来たらあと少し。
ようやく本殿に着きました。
大粒の汗をかきましたが、心地よい感じがします。
富士見台。ここからはクリアだと美しい富士山を拝めます。
狛犬視点で鎌倉方向へ。
烏天狗視点で鎌倉方向へ。
下界は建長寺の境内が、その奥が材木座の海岸です。
大天狗の団扇。
この先が鎌倉二十四地蔵尊のお堂です。
さらに八幡宮の裏手を経て、天園ハイキングのコースとなっています。
ここからは、「乙女坂」と呼ばれる階段を降りて再び建長寺へ帰ります。
#建長寺 #建長興国禅寺
半僧坊(はんそうぼう)というお堂に同名の天狗を祀る。
#半僧坊大権現 #奥山半僧坊大権現
HPに、建長寺の鎮守とある。真言は「オン ナンノチリチリ ソワカ」。天狗は通常、山伏の出で立ちをしているが、対して半僧坊権現は袈裟をまとう。
彼について、HPに詳しく書かれている。それによれば、彼は本来、浜松市北区に建つ方広寺で祀られていて、ここ建長寺へは明治に勧請された。
方広寺は14世紀、無文元選(むもんげんせん)禅師による開山。方広寺の位置する山に禅師が分け入るや、白髪の老人が現れて弟子入りを希望。素性の知れぬ彼の願いを丁重に断ろうとするも、根負けして許可。以後、山内の力仕事は彼1人で全て担ったと。
禅師が入寂するのと同時に蒸発。だがその後も奇妙なできごとが続くため、彼の仕業だろうということで、その像を刻んで祀ったと。
ここ建長寺へは明治時代、当時の住職が自ら方広寺へ出向き、分霊を受けたそうだ。何でも、半僧坊権現が彼の夢枕に立ち、「私を関東の清浄な場所に祀ってほしい。その地が末永く栄えるようにするから」と告げたと。
方広寺においても鎮守で、あちらでは奥山(おくやま)半僧坊大権現と呼んでいる。あちらのHPには、中国から帰国する海路、しけに遭った禅師の前に現れ、船が博多に寄港するまで見守ったとある。
#建長寺 #建長興国禅寺
半僧坊(はんそうぼう)というお堂に同名の天狗を祀る。またそこへ向かう参道に天狗の像がある。パンフによれば全部で12躰。カラス天狗も鼻の長いオーソドックスな天狗も、両方いる。
#半僧坊大権現
参拝した時点では、僕は建長寺のカラス天狗イコール半僧坊権現なのか、それとも別々の天狗なのか、知らなかった。授与所で尋ねたところ、違うと。彼らは半僧坊権現の「侍従」だそう。
半僧坊権現の絵を見せてくれたのだが、彼はカラス天狗ではなく、鼻の長い天狗だった。と言っても天狗の中ではかなりのイレギュラー。天狗は通常、山伏の出で立ちをしているが、対して半僧坊権現は袈裟をまとう。また鼻の高さも少々、控えめだ。
#烏天狗
衆知の通り、鳥の嘴と翼が生えている。長い鼻など無い、という以前に、人間と同じような鼻は付いていない。有名な天狗の中では、高尾山薬王院(東京都八王子市)のイヅナ権現と、秋葉寺(浜松市天竜区)および常安寺(新潟県長岡市)のアキハ権現が、この姿だ。
何かの本に、カルラ天という天部の仏様が原型だと書いてあった。確かに体型は全く同じ。横笛を吹いていればカルラ天、山伏の服装ならカラス天狗、と言えるかもしれない。アキハ権現を祀る金胎寺(富山県射水市)は、アキハ権現とカルラ天はイコールだと言い切っていた。
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