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平塚八幡宮について
歴史ある神社です。
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相模国の一国一社八幡宮と称される平塚八幡宮にあがらせていただきました。
この日は朝早くから多くの寺社を巡らせていただき、こちらに着いたのが午後3時。
かなりの距離を歩いていたため足も少々悲鳴をあげかけていたのですが、境内に足を踏み入れるとそれまでの疲れも吹き飛び、足の痛みもどこへやら。
鳥居前に「開運八社詣」の案内板があり、せっかくなのでやってみようかなと思いまずは社務所へ。
社務所にて朱印用紙をいただき、まずは平塚八幡宮拝殿へ。
その後、順番に末社をまわりながらスタンプ形式の朱印を押していきます。
時間的には30分ほどでまわれる感じなので、少し時間がある方はお勧めです。
また平塚八幡宮には2頭の神馬がいて、係の方の案内のもと餌やりなどできるようでした。
私が訪れた際に神厩舎には「皐月」という名の神馬が参拝者をお出迎えしていました。
も1頭は「東風(こち)」という名で、どこかでお休みしているのかな?と思っていたら本殿裏で休憩していました。
そして最近わかったのですが、この東風と皐月の間に子供ができるそうで、3月末から4月ごろに出産予定とのこと。 おめでたいですね!
<御祭神>
応神天皇
神功皇后
武内宿禰
<御由緒>
平塚八幡宮は、仁徳天皇の御代68年(380年)、この地に大変大きな地震があり、人々の苦しむ様を見かねた仁徳天皇(第16代)が社を建てられたことが創祀とされています。
その後も相模國一國一社の八幡宮として、歴代の天皇や源頼朝公をはじめとする武士からも崇敬を集めます。 特に御朱印に揮毫する「鎮地大神」は、推古天皇(第33代)より賜った御宸筆から戴いております。 このように、数多の崇敬を集める神社でありましたが、戦国時代になると兵火に遭い、御社殿をはじめ社宝、社伝記はことごとく灰塵に帰してしまいます。
そのような中、徳川家康公は江戸に入府すると、荒廃していた平塚八幡宮の御社殿を復興させました。
江戸時代になると、平塚八幡宮は東西に東海道が通り、集積港であった須賀への道、そして厚木、大山への道が交わる交通の要衝となり、門前はとても栄え、門前町の大門通は平塚商業発祥の地と言われています。
明治以降も、神社北側に開設された海軍火薬廠によって平塚の街はさらに大きく発展しました。 大正12年(1923年)の関東大震災で社殿は倒壊し、現在の社殿は昭和3年(1928年)に竣工しました。 戦後は平塚市七夕まつりをはじめ、町の平和と発展とともに神社は平塚の人々や街と関わりのある人々からも篤く崇敬されました。 平塚市の市制50周年の記念として、岐阜県高山市と友好都市となりましたが、これは寛治元年(1087年)に平塚八幡宮の御分霊が、高山市に祀られたことに由来します。
このような由緒をもつ平塚八幡宮の大神様の御神徳は、鎮地大神に表されるように、私たちの力では解決することの出来ない大きな災厄から身を守り、傷ついた心身を癒し、前へ進む力を与えてくださることといわれています。
歴史
本宮は、その昔鶴峯山八幡宮と称えられた古い社で、仁徳天皇の六十八年、この地方に大地震があり、人民の苦難のさまを聞召した天皇が詔して国土安穏祈願のため應神天皇をお祀りしたのが創祀であります。
天平勝宝の古記によると、顕宗天皇が、小年魚贄の膳部を定めてその料として、年々稲秀、麦、大豆を多量に献げられ、仁徳天皇は四千余町の土地をお寄せになられました。
推古天皇の代、この地方にまた大地震があり、人民の苦しみを見かねて天皇は”鎮地大神”のご宸筆を捧げて、国家安穏を祈願され、新たに社殿を造営になられ、天武天皇はこの地の税の三分の二をご寄進になり、文武天皇は”天晴彦”の宝剣を奉納になられたことを伝えて居ります。
寛永十四年筆録の八幡宮記、新編相模風土記によると、聖武天皇は相州一國一社の霊場として法華経を奉献されたということです。
岐阜県高山市山口に鎮座の桜ヶ岡八幡神社(旧郷社)は寛治元年、当宮のご分霊が勧請されたもので、高山祭で有名な桜山八幡神社の本社です。
東鑑によると、建久三年源頼朝は夫人安産のため神馬を奉納し、天正十九年には徳川家康は社領五十石を寄進し、慶長年間には自ら参拝し、伊奈備前守に命じて社殿の再建を行っています。正保三年幕府は社殿営繕料として山林二ヶ所を寄進しております。
明和二年平塚宿の僧本誉還真が十八年の間、浄財を集め、青銅の鳥居を奉献したことは青銅に刻まれて今も社頭に聳えています。
明治六年、官の達示により社名を八幡神社と改称しました。
明治二十七年、明治天皇の王女常宮、周宮両内親王殿下が参拝になられ、社頭に松樹をお手植えになり、神池へ緋鯉を放生になられました。
本宮は創祀の昔から”鎮地大神”と称えられ、厄除、招福の神として信仰厚く祭神の應神天皇、神功皇后は、大陸文化を採り入れた功績から、文化神として、又限りない慈しみと深い母性愛を表される母子神として、安産、生育、学業、武運の守護に、奈良、平安、徳川時代、現在と崇敬敬仰を集めてまいりました。
現在も横浜、川崎は勿論、東京、静岡方面の方々の信仰頗る厚く、宮詣りは後をたちません。
こうした厳粛な史実に輝く本宮は、昭和二十八年神社本庁の別表に掲げる神社として全国有名神社の代表の中に列なる栄誉を担い、現在に至って居ります。
昭和五十三年八月、本宮は”平塚八幡宮”の社号に改められ、なつかしい昔のよび名にかえりました。
創祀より数えて、実に千六百有余年、輝く歴史を奉戴し”神威愈々遍”の感慨一入でございます。
平塚八幡宮の情報
| 住所 | 神奈川県平塚市浅間町1-6 |
|---|---|
| 行き方 | JR東海道線 「平塚駅」北口より徒歩8分 |
平塚八幡宮の基本情報
| 名称 | 平塚八幡宮 |
|---|---|
| 読み方 | ひらつかはちまんぐう |
| 通称 | 相模國一國一社 |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | あり |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | あり |
| 電話番号 | 0463-23-3315 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | http://www.hachiman.org/ |
| おみくじ | あり |
| お守り | あり |
| 絵馬 | あり |
| SNS |
巡礼の詳細情報
| 相模國府祭六社巡り 第5番 |
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詳細情報
| ご祭神 | 應神天皇,神功皇后,武内宿禰 |
|---|---|
| 創建時代 | 380年(仁徳天皇68年) |
| ご由緒 | 本宮は、その昔鶴峯山八幡宮と称えられた古い社で、仁徳天皇の六十八年、この地方に大地震があり、人民の苦難のさまを聞召した天皇が詔して国土安穏祈願のため應神天皇をお祀りしたのが創祀であります。
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