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みぞのくちじんじゃ

溝口神社の御由緒・歴史
神奈川県 溝の口駅

ご祭神天照皇大神・日本武尊
ご由緒

神社の創立年代は定かではないが、神社保存の棟札によれば、宝永五年(1709年)武州橘樹郡稲毛領溝口村鎮守、赤城大明神の御造営を僧・修禅院日清が修行したと記されており、江戸時代まで神仏習合にて、溝口村の鎮守・赤城大明神と親しまれ、社名を赤城社と称していた。
 明治維新後、神仏分離の法により、溝口村・下宿・中宿・上宿・六軒町・六番組の各部落を統合、総鎮守として祀るべく新たに伊勢の神宮より御分霊を奉迎し、御祭神を改め溝口神社と改称、更に明治六年(1873年)幣帛共進指定村社に列せられた。
 今日では、伊勢神宮の分霊社として、川崎市内で最も尊い神社の一社として広く信仰を仰いでおり、開運・厄除けをはじめ安産・子育て・縁結び・家内安全の御利益で広く知られております。

歴史
歴史[編集] 主な歴史は以下のとおりである[1]。 1783年(天明3年)2月溝口村鎮守赤城社が再建された。 1841年(天保12年)春に赤城社の社殿が傷んだことから再建工事が開始された。 1842年(天保13年)8月15日までに再建工事完成した。 1848年(寛永元年)8月15日までに拝殿向拝や参道の敷石が完成した。 1852年(寛永5年)2月に赤城社境内の稲荷社が再建された。 1854年(寛永7年)10月4日(現11月23日)の大地震で赤城社の鳥居が倒れた。 1923年(大正12年)9月1日の関東大震災により社殿は全壊した[2][3]。 1934年(昭和9年)11月に氏子達により再...Wikipediaで続きを読む
引用元情報溝口神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%BA%9D%E5%8F%A3%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=99584505

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