ぐみょうじ|高野山真言宗|瑞応山
弘明寺のお参りの記録一覧(3ページ目)
弘明寺(ぐみょうじ)は、神奈川県横浜市南区にある高野山真言宗の寺院。山号は瑞應山、院号は蓮華院。本尊は十一面観世音菩薩(ケヤキの一木造り、鉈彫りの像で平安時代の作とされる。国指定重要文化財)。横浜市内最古の寺院。坂東三十三観音第14番。武相不動尊第18番。
寺伝では創建は奈良時代で、インドの善無畏(ぜんむい)三蔵法師が当地に渡来し結界を作って聖地とし、行基が観音像を刻んで一宇を建立、この行基を開基としている。平安時代には空海が訪れ一千座の護摩を焚いて庶民の除災招福を祈願し、双身歓喜天(弘明寺聖天)を刻んで安置したという。実際には平安後期、1044年に光彗上人によって本堂が建立されたのが開山とされる。その後は武家からの信仰が篤く、鎌倉時代には将軍源家の祈願所となり、戦国時代には北条早雲から寺領を寄進され、江戸時代には将軍徳川家から朱印地を賜った。現在の寺有地はさほど広くないが、江戸期までは現在の5倍の面積があったようだが、明治に入って廃仏毀釈による公有地化で境内北側の大半を横浜市に譲渡(現在は弘明寺公園)したとのこと。
当寺周辺は弘明寺町という地名で、最寄りの駅も京急線・弘明寺駅となっている。駅は本堂の裏すぐにあるが、出入口がないため仁王門まではぐるっと迂回して徒歩3分。かつての参道は<弘明寺かんのん通り>という屋根付きアーケードの商店街となっている。
参拝時は週末の昼ごろ。コロナの緊急事態宣言下であるが、寺院は屋外ということで参拝客は割と多かった。
寺院入口にある<仁王門>。江戸期の再建、平成に改修。
門をくぐって左手には小さな売店。
門をくぐって右手には、大小さまざまの地蔵像と観音像。
階段を登る。
階段の途中にある<身代り地蔵菩薩>。2001年に京浜急行電鉄が設立100周年を記念して奉納。
階段を登り切ると正面に<本堂>。江戸中期1766年に再建。一部床材など1044年建立時のものが使われているとのこと。1976年に茅葺から銅板葺に改修。丸みを帯びた曲線とエッジの効いたラインの組合せが独特。
本殿正面右手に<手水舎>。
本殿正面、五色の寺幕。この日はたまたま本尊の<十一面観世音菩薩立像>が外部に貸出中で不在とのこと。観音像がないのにあった場所に向かって礼拝する、複雑な気分...
本殿正面、<感應>の扁額。御朱印は入って左手の授与所にて。
本堂から境内を望む。参道の左手に<七ツ石>、右手に<大師堂>
<七ツ石>はインド渡来の善無畏三蔵法師がこの山の霊域を感得し。陀羅尼(だらに)を書写して結界を立てた霊石。
鐘楼。江戸中期1798年に造られた鋳銅製の梵鐘。川崎大師平間寺の梵鐘と同じ鋳物師(いもじ)の作とのこと。
鐘楼から本堂を望む。独特な銅板葺屋根が美しい。
大師堂正面。少し開いたところから見える<弘法大師像>。
大師堂の脇にも諸像が。参拝者が窓を開けて拝む。左から順に閻魔大王、弁才天、奪衣婆、役行者の4体。
大師堂脇を登ると<聖天堂>。弘法大師が刻んだ<双身歓喜天>を安置。
聖天堂の扁額。
梅がほころび始めている。
大師堂脇から境内を望む。
最後、下り階段。そこそこの高さがある。
新年初のお参りは地元の古刹。板東三十三観音霊場第14番札所です。
コロナの分散参拝という事もあっていつもの賑わいではありませんが、一年の計は元旦にありという事で参拝される方がいらっしゃいました。
普段は4種類の御朱印がありますが、弘法大師を含め10種ありました。
山門前では検温のチェックをしてから入山です。
山門をくぐると六地蔵に出会います。
本堂の階段を上がる途中にある「身代わり地蔵」です。
参拝方法もソーシャルスタンスを守っていきます。
本堂です。
今年は除夜の鐘は中止になりました。
いただいた御朱印です。
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