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だいちょうじ|浄土宗亀鏡山

大長寺
神奈川県 本郷台駅

御朱印について
御朱印
あり
限定
-
御朱印帳
-
ありません
パーキング
駐車場
あり

あり

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こばけん
こばけん
2024年05月28日(火)
1076投稿

24.05.26。先の稲荷神社より徒歩15分。鎌倉市岩瀬の鎌倉街道沿いを少し奥へ入った閑静な住宅地にある浄土宗の寺院。
《徳川家康に愛された寺》

山号 亀鏡山(ききょうざん)

院号 護国院

創建 天文17年(1548年)

開基 北条綱成

開山 感誉存貞(増上寺十世)

本尊 阿弥陀如来

【歴史】〜Wikipedia より引用〜
 天文17年、時の玉縄城主の北条氏繁が、母の供養のために建立された。その後、代々後北条の崇敬を集め、北条氏ゆかりの寺宝も多い。

 豊臣秀吉による小田原征伐においては、徳川家康の名を受け、時の住職暁誉源栄が植木村の龍宝寺住職、良達とともに玉縄城主北条氏勝を説得し、開城に繋げた。

 暁誉源栄と家康は古くから面識があり、その後も度々交流した。寺名を現在の「大長寺」(以前の名は大頂寺)に変更したのもこの頃の事で、一説によると山号が「亀鏡山」であることを聞いた家康が、亀は大長寿なので、「大長寺」と名乗るよう寺名を変えさせたとの事である。

 本日は日曜日ですが、鎌倉市中と違い、大船エリア(岩瀬)の当寺まで来る観光客は一人もおらず、緑溢れる静寂な境内に癒されて満足な参詣でした。印象に残る良きお寺さんでした。
 

大長寺(神奈川県)

直書き

大長寺(神奈川県)

門前

大長寺(神奈川県)

掲示板

大長寺(神奈川県)

山門(冠木門)

大長寺(神奈川県)

参道

大長寺(神奈川県)

参道右側に🅿️

大長寺(神奈川県)

参道の石段
家康を乗せた駕籠が横になっても上がれるように造られたようです!

大長寺(神奈川県)
大長寺(神奈川県)

境内

大長寺(神奈川県)

本堂
明治43年(1910)9月再建。

大長寺(神奈川県)

葵の紋

大長寺(神奈川県)
大長寺(神奈川県)
大長寺(神奈川県)

境内左側↓
名号碑

大長寺(神奈川県)
大長寺(神奈川県)

家畜類供養碑

大長寺(神奈川県)

紫陽花

大長寺(神奈川県)

宝蔵
家康と父松平広忠の位牌・家康像等が安置されているようです。

大長寺(神奈川県)

こちらにも葵の紋

大長寺(神奈川県)

大銀杏
家康のお手植えとか?

大長寺(神奈川県)

鐘楼

大長寺(神奈川県)

梵鐘
文政3年(1820)の銘。

大長寺(神奈川県)
大長寺(神奈川県)

客殿

大長寺(神奈川県)

庫裡
こちらで直書き御朱印と縁起書を拝受しました。

大長寺(神奈川県)
大長寺(神奈川県)

頂いた縁起書

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ハマの「寺(テラ)」リスト
ハマの「寺(テラ)」リスト
2020年05月24日(日)
2975投稿

大船駅からバス砂押橋停留所下車。徒歩5分の所にある浄土寺寺院。ご本尊は阿弥陀如来。
徳川家康ゆかりの寺院で元々は「大頂寺」であった。
徳川家康は山号が「亀鏡山」である事を聞いて亀は大長寿なので「大長寺」と名乗る様になったと言われています。

大長寺の山門

山門です。
関所の入口の様です。

大長寺(神奈川県)

境内へ向かう階段です。
徳川家康が横にして上がれる様広く作られたそうです。

大長寺の建物その他
大長寺の本殿

宝蔵
徳川家康とその父の位牌が祀られています。

大長寺の芸術

徳川家の「葵の御紋」です。

大長寺の本殿

本堂です。

大長寺の建物その他
大長寺の建物その他
大長寺の建物その他

鐘楼です。

大長寺の建物その他
大長寺の自然
大長寺の像
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大長寺の基本情報

住所神奈川県鎌倉市岩瀬1464
行き方

JR大船駅東口よりバスで7分、「砂押橋」下車徒歩5分

アクセスを詳しく見る
名称大長寺
読み方だいちょうじ
参拝にかかる時間

20分

御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳なし
電話番号0467-46-4428
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。

詳細情報

ご本尊阿弥陀如来
山号亀鏡山
院号護国院
宗旨・宗派浄土宗
創建時代天文17年(1548年)5月
開山・開基開山:感誉存貞 中興開山:暁誉源栄 開基;北条綱成

Wikipediaからの引用

概要
大長寺(だいちょうじ)は、神奈川県鎌倉市岩瀬にある浄土宗の寺院。山号は亀鏡山。本尊は阿弥陀如来。創建当初は「大頂寺」と名乗っていたが、後年「大長寺」に名称を改めた。
歴史
歴史[編集] この寺は1548年(天文17年)、時の玉縄城城主の北条氏繁が、母の供養のために北条綱成の開基により建立された。なお開山は綱成が兼ねてから尊崇していた感誉存貞が勤めた。その後、代々後北条氏の崇拝を集め、北条氏ゆかりの寺宝も多い。 豊臣秀吉による小田原征伐においては、徳川家康の名を受け、時の住職暁誉源栄が植木村の龍宝寺住職、良達とともに玉縄城主北条氏勝を説得し、開城につなげた。 暁誉源栄と家康は古くから面識があり、その後も度々交流した。寺名を現在の「大長寺」に変更したのはこのころの事で、一説によると山号が「亀鏡山」であることを聞いた家康が、亀は大長寿なので、大長寺と名乗るよう寺...Wikipediaで続きを読む
引用元情報大長寺 (鎌倉市)」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E5%A4%A7%E9%95%B7%E5%AF%BA%20%28%E9%8E%8C%E5%80%89%E5%B8%82%29&oldid=97981097

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