いせやまこうたいじんぐう
伊勢山皇大神宮のお参りの記録一覧(7ページ目)
どこに行っても写真はたくさん撮るのですが、なぜか伊勢山皇大神宮では3枚しか撮ってませんでした。
レンズフレア的なものでしょうけど、ちょっと不思議な写真が撮れました。
21.11.23。先の萬徳寺さんより徒歩移動2分。
横浜市西区宮崎町に鎮座。
《横浜総鎮守》《関東のお伊勢さま》
御祭神
本 殿:天照大御神。
杵築宮:豊受姫大神。
大神神社:大物主神。
当宮の創建は、横浜が日本一の貿易港として、また文明開化の先駆けの地として、急速な発展を遂げていた明治3年(1870年)です。
当時の県知事が「急速な近代化・西洋化の流れの中でも、横浜の人々が日本の国柄を見失わない為に、人々の心の拠り所、また横浜の象徴となるものとして、国家を鎮護する天照皇大神を祀る荘厳な神殿を築く」と告諭し、戸部の地にあった伊勢の神宮より勧請されたと伝わる古社を再興し、港を一望する丘の上へと遷座しました。(後略)
〜当宮HPより抜粋〜
本日ラスト箇所。「ホトカミ横浜御朱印めぐり」その14。《関東のお伊勢さま》のキャッチフレーズ通り、伊勢神宮を彷彿とさせる凛とした空気感がありました。本日は新嘗祭の日の為、午前中には神事があったようで、境内にはテント張りが残っていたり、まだ七五三詣のご家族連れもあり、多くの人々で華やいだ雰囲気でした。
社号標。
表参道。
一の鳥居。
参道左側に《伊勢山碑》。
→「伊勢神宮別宮」の文字があります。
明治7年(1874年)建立で当宮の由緒が書かれています。
万葉歌碑。
ニの鳥居。
→総檜造り!
鳥居を潜り左に《手水舎》。
右に《常夜灯》。
→照四海(しょうしかい)と呼ばれ、当宮のシンボルの一つ!
大注連柱(おおしめばしら)。
→明治22年(1889年)に当時の大遊郭・ニ葉楼から奉納!
拝殿。
→昭和3年(1928年)に本殿と共に再建されたもの!
本殿。
境内社 大神神社(おおみわじんじゃ)。
境内社 杵築宮(きづきのみや)。
祓所。
太鼓楼。
→昭和3年(1928年)、昭和天皇の御即位を奉祝して建立!
表忠碑。
→日露戦争で戦没した横浜商業学校出身者の慰霊碑。題字は陸軍大将・乃木希典!
裏手の北参道の鳥居。
境内の《スダジイの木》。
→横浜市の名木・古木指定!
社務所。
→こちらで直書きの御朱印を拝受しました。
当宮案内リーフレット。
ブルーラインで巡拝⑪
最後の参拝です。1並びの日なので11社で!
いやもうHPゼロに近い💦
御朱印帳、当たりますように〜🙏
なんて🤭
万徳寺から坂を下り、また上って10分くらい歩いて到着しましたが、Google Mapにやられました。ほとんど上下せずに5分くらいで着きそうです。。
こちらは以前からずっと行きたかった神社さんでした。
到着〜
社名標
階段を上って行きます。
社殿
ほんとに伊勢神宮に似てますね!
三重の神宮にまた行きたくなってきました。
横から
手水舎
直書きで拝受しました。
ありがとうございました!
2015年以来、2回目の参拝⛩
七五三で大変混み合っていましたが、とても良い雰囲気でした✨
定期的に訪れたいところです☺
◼通常御朱印は直書対応
◼写真にある特別御朱印は書置のみ
※写真は一部加工しています。
※写真は一部加工しています。
横浜港を見渡せる丘の上に建つ、横濱総鎮守また神奈川県宗社(神奈川県の総氏神)の神社です。
社殿は伊勢神宮より譲り受けたもので「関東のお伊勢さま」と呼ばれています。
ちょうど七五三シーズン、そして結婚式があったため参拝者が多めにいました。
社殿の前のスペースが広いこともあり、混み合うほどではなく適度に活気がありました。
みんな幸せそうでほのぼのとした良い空間でした。
表参道
社号標は御影石造り、社号は明治天皇皇女の東久邇聡子さま(聡子内親王さま)の書
境内図
手水舎
二の鳥居
照四海
大正15年建立、高さ6メートルの常夜灯
社殿
平成25年まで伊勢の神宮において、内宮・皇大神宮の西宝殿として用いられていたもの
社殿
御朱印
御朱印
令和3年限定創建150年奉祝大祭朱印(甲)
(乙)として、太陽を右に見た巫女さま版もありました
はさみ紙がかわいい💕
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
1
0