じんむじ|天台宗|醫王山(醫王山来迎院神武寺 いおうざん らいごういん じんむじ)
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御朱印 | |||
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限定 | - | ||
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御朱印帳 | - | ||
駐車場 | あり(ただし、檀家さま参拝用なのでしょうか?広くは公にされていないと思しきルートにての場所に在ります。舗装されていますが細く急な坂を登った転回できない場所の、入り口にポール&チェーンで閉鎖されている場合があります。) |
その他の巡礼の情報
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神武寺開創一千三百年記念大開帳ということで、秘仏、本尊薬師三尊の特別開帳(通常は三十三年ごとか、お煤払い法要時)。
客殿の特別参拝がありました。(二十四日まで)
沼間道、車での通行可
途中、園児たちとすれ違いました。
駐車場、檀信徒用とありました。
惣門、宝暦十一年(1767)建立。
木鼻や斗栱等を用いない簡素な四脚門、建立当初は今の東逗子駅付近にあり、昭和五十年に移築。
六地蔵
楼門、階段下から。
楼門
仁王像
仁王像
楼門天井画ー青龍・玄武
楼門天井画ー白虎・朱雀
観音堂(本堂)
観音堂には、薬師三尊(薬師如来、脇侍日光菩薩・月光菩薩)、十二神将、四天王が安置
薬師堂からの客殿
客殿、阿弥陀如来三尊(阿弥陀如来立像、脇侍・観音菩薩立像、勢至観音立像)、釈迦如来坐像、十一面観音菩薩坐像(鎌倉、荏柄天神より廃仏毀釈時に遷座)
『相模国三浦郡神武縁起』によると、神武寺(じんむじ)は、724年(神亀元年)、聖武天皇の命によって、行基が十一面観音・釈迦如来・薬師如来を彫刻し祀ったことがはじまりだといわれている。
その後、857年(天安元年)、慈覚によって中興され天台宗に改宗された。
『吾妻鏡』の記録によると、源頼朝も崇敬し、北条政子の安産祈願に神馬が奉納している。
また、三代将軍源実朝は、1209年(承元3年)、神武寺と岩殿寺を参詣した。
1590年(天正15年)、豊臣秀吉の小田原攻めの際に諸堂が焼失するが、1598年(慶長3年)に薬師堂が再建された。
その後、他の堂宇も再建され現在に至っている。
歴史
< 神武寺さま公式Webサイトから引用
_ https://www.jinmuji-kanzoin.com/about-jinmuji/history/ >
.
醫王山来迎院と号する神武寺は、
神亀元年(七二四)正月、聖武天皇の命により
行基菩薩が十一面観音・薬師如来・釋迦如来の尊像を彫刻・奉安し、
玉体安穏・萬国和平・萬民豊楽の祈祷道場として開山された寺院です。
天安元年(八五七)になると、慈覚大師により中興され、
法相宗から天台宗に改宗されました。
鎌倉時代の史書 『吾妻鏡』 では、
建久三年(一一九二)八月九日、
後に三代将軍となる実朝公の御誕生に際し、源頼朝公が夫人政子さまの安産祈願の為、
當山を含めた二十七ヶ所の社寺に神馬を奉納された記録や、
承元三年 (一二〇九)、実朝公が岩殿寺(坂東第ニ番)と併せて當山へ御参詣された記録など
鎌倉幕府より篤い信仰を受けていた往時の様子を見ることが出来ます。
鎌倉幕府の滅亡や後の動乱期には度々罹災し、小田原北条氏より庇護されて復興もなされましたが、
天正十八年(一五九〇)太閤秀吉公の小田原征伐の際にその余波をうけて
山内の殆どが焼失し、次第に衰退していきました。
江戸時代となり、ようやく德川幕府より寺領寄進や保護が加えられましたが、
天保五年(一八三四) 再び大火を蒙りました。
その後、御歴代や檀信徒の協力により、伽藍の復興や境内の整備が行われ、現在に至ります。
また、明治二十八年から五回にわたり昭憲皇太后・大正天皇が御登山され、
大正八年に貞明皇后の御参拝、昭和三年に昭和天皇・皇太后が三度にわたり
植物や菌類研究の為に御来山されるなど、皇室からの行幸が続きました。
昭和・平成にかけて参道整備や薬師堂改修を行い、
當山は逗子鎌倉でも希少となった山岳信仰の面影を残す寺院として、今日まで法灯を伝えています。
神武寺の基本情報
住所 | 神奈川県逗子市沼間2-1402 |
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行き方 | ・JR横須賀線「逗子駅」よりタクシー/
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名称 | 神武寺 |
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読み方 | じんむじ |
参拝にかかる時間 | 30分 |
参拝料 | 堂内特別参拝料500円 |
トイレ | あり。かなり離れた場所にポツンと在ります。 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 046-871-4565 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | https://www.jinmuji-kanzoin.com/ |
SNS |
詳細情報
ご本尊 | 薬師如来 |
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山号 | 醫王山(醫王山来迎院神武寺 いおうざん らいごういん じんむじ) |
院号 | 来迎院 |
宗旨・宗派 | 天台宗 |
創建時代 | 神亀元年(724年) |
開山・開基 | 行基菩薩 |
文化財 | 県指定重要文化財 ・ 薬 師 堂 文禄三年 ・ 大威徳明王画像 鎌倉時代 ・ 千手観音画像 鎌倉時代
市指定重要文化財 ・ 薬師三尊像 伝行基作 ・ 不動明王像 室町時代 ・ 緑釉唐草文瓶ほか 室町時代
市指定史跡・市指定天然記念物 ・ みろくやぐら 鎌倉時代 ・ 周辺岩隙植物群落 市指定天然記念物
県指定名木百選 ・ なんじゃもんじゃ 樹齢四百年 (ホルトノキ) |
ご由緒 | < 神武寺さま公式Webサイトから引用
天安元年(八五七)になると、慈覚大師により中興され、
鎌倉時代の史書 『吾妻鏡』 では、
鎌倉幕府の滅亡や後の動乱期には度々罹災し、小田原北条氏より庇護されて復興もなされましたが、
江戸時代となり、ようやく德川幕府より寺領寄進や保護が加えられましたが、
また、明治二十八年から五回にわたり昭憲皇太后・大正天皇が御登山され、
昭和・平成にかけて参道整備や薬師堂改修を行い、
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体験 | 御朱印重要文化財武将・サムライ札所・七福神巡り |
Wikipediaからの引用
概要 | 神武寺(じんむじ)は神奈川県逗子市沼間にある天台宗の寺院である。山号は医王山。詳しくは医王山来迎院神武寺(いおうざん らいごういん じんむじ)という。 周囲は鷹取山と同様、第三紀の凝灰岩の岩場に囲まれ、森林の中にあるため気温が低く、従って相対湿度が高いため、シダ類や昆虫が多い。 逗子八景の1つ。『逗子市歌』の歌詞にも披露山、田越川などと共に登場する。 |
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歴史 | 歴史[編集] 縁起によれば神亀元年(724年)、聖武天皇の命で行基が創建し、平安時代、円仁が再興したというが、定かでない。 『吾妻鏡』承元3年(1209年)5月15日条には、源実朝がこの日「神嵩と岩殿観音堂」に参詣したことが見える[1]。このうち「神嵩」は神武寺、「岩殿観音堂」は岩殿寺を指す。 ^ 新編相模国風土記稿 1932, p. 230. |
アクセス | 交通[編集] 京急逗子線神武寺駅より徒歩30分 横須賀線(JR東日本)東逗子駅より徒歩30分 鷹取山より徒歩30分 |
引用元情報 | 「神武寺」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%A5%9E%E6%AD%A6%E5%AF%BA&oldid=101798826 |
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