はしりみずじんじゃ
走水神社のお参りの記録一覧(2ページ目)
21.06.22。京浜急行線馬堀海岸駅より観音崎行きバスで10分、「走水神社」下車2分。横須賀市走水(はしりみず)の漁港近くに鎮座。
御祭神:日本武尊、弟橘媛命。
創建は不詳。伝説では景行天皇の即位40年(110年)、東夷征伐の命を受けた日本武尊が、この走水から上総へ渡られるにあたり、村民に「冠」を賜り、これを石櫃に納めて、その上に社殿を建て、尊を祭ったことに始まると伝えています。武尊が渡海の際、海上が荒れ、舟が沈みそうになり、海神の怒りと考えた、弟橘媛命は尊に代わって海に身を投じ、風波を鎮めました。
(後略)→横須賀市観光情報より!
上記の伝説等から、女子力アップのパワースポットとして知られている。
本日は走水〜鴨居〜浦賀と一方の三浦半島の突端(自分の故郷でもある地域)を巡る次第です、、
走水港。
入り口!
狛犬。
参道。
手水舎。
拝殿。
拝殿より振り返り!
拝殿右手に!
同上、境内社 稲荷神社!
お稲荷さん前にニャンコ!
拝殿右奥に水神社。
拝殿左手に別宮→弟橘媛命に殉じた侍女をお祀りしている。
弟橘媛命の記念碑。
裏山の三社入り口!
途中に!
境内社の三社。→左から、諏訪社・神明社・須賀社。
境内に戻り、神輿庫。
包丁塚。
宝物殿。
御神木。→クスノキ!
弟橘媛命「舵の碑」→弟橘媛命の顕彰と海の安全と平和を祈る!
針の碑。
社務所。→こちらで直書きの御朱印を拝受しました。
日曜日なのに仕事になってしまい、はァ…😓
いや、待て。場所はあまり行かない横須賀だしぃ、このところ忙しくてお参り行けてないしぃ、合間を見てそっち方面の神社に行けるじゃん!
と、いうことで、やって来ました走水神社⛩😊
海は東京湾。
観音崎灯台の近くです。
紫の幟を目印に道路を曲がると入口。
コチラを左に折れ、案内の通りに進むと駐車場です。
場内はけっこう広いですが、道が狭く、生活道路なので通行に気をつけましょう。
まずは濁世の垢のついた手を清めます。
時世柄、左の除菌スプレーでプシュ💦
おお!緑濃い境内。
海の香りと森の香りがします。
大きな灯籠。
石段は急です。
横須賀の地形はどこもこんな感じ。
上りきって振り返ると…た、高い!
海が見える。
弟橘媛伝説の海です。
「あわれ弟橘媛、身を海に投じ、日本武尊を渡らせたまう」
パンフレットに書いてありました。
善男子善女人がいっぱい。
順番待ちです。
お参りしましょう。
御拝殿の奥に…
お稲荷様と
水神様
お地蔵様も。
鎌倉のやぐらに似ています。
他にも境内には、こんなのや(ロシアの水雷)
弟橘媛の碑や(美人さんだね〜)
包丁塚、なんてのもありました。
この辺りを津波から守ってくれたという河童伝説もあります。
社務所にて、親切な宮司さんから
お手書きの御朱印をいただけて😊😊😊
可愛らしいので、河童さんのおみくじもね。
叶神社の兼務社ですが、正月なので、こちらも社務所が開いてます。結構な参拝者の数でした。駐車場へは細い道を少し登ります。係の人に誘導していただいたので安心です。小高い山の中腹に鎮座していますので、石段を登ります。更に上に登ると境内社が鎮座しています。千葉が望める眺望は素晴らしかった。ご丁寧な御朱印を戴きました。
由緒書
鳥居
社号標
狛犬
手水舎
拝殿へと続く石段
拝殿
拝殿の彫刻
本殿
旧別宮
稲荷社
水神社
別宮
社殿裏へ登る途中の眺望
旧稲荷社
須賀神社
諏訪神社
神明社
神明社
須賀神社
神明社
神明社からの眺望
石灯篭
針の碑
橘って柑橘類だと知りました。
河童の恩返し
包丁塚
走水神社
以下コピペ
---
由 緒
走水神社は、12代景行天皇の皇子、日本武尊(やまとたけるのみこと)と御后の弟橘媛命(おとたちばなひめのみこと)二柱をお祀りしております。
景行天皇即位40年、東国の騒動を静めるため日本武尊にその鎮定を命じました。
勅命を奉じて日本武尊は、伊勢神宮に参詣され戦勝祈願をなし、神宮の斎宮であった叔母の倭姫命(やまとひめのみこと)より神宝の雨叢雲之剣(あめのむらくものつるぎ)と火打袋を授けられ、東国に東征の軍を起こされました。途中、静岡(焼津)において賊にだまされ火攻めの難に遭遇されましたが雨叢雲之剣で草を薙払い向火を放ち形勢を逆転させて賊を討伐したといわれ、これよりこの神宝を草薙之剣(くさなぎのつるぎ)とも呼ばれ、以来熱田神宮の御神宝となっております。
日本武尊一行は、焼津、厚木、鎌倉、逗子、葉山を通り走水の地に到着されました。
ここに、御所(御座所)を建てました。(現在の御所が崎といわれています)
走水の地において、軍船等の準備をし上総に出発するときに村人が日本武尊と弟橘媛命を非常に慕いますので、日本武尊は自分の冠を村人に与えました。村人はこの冠を石櫃に納め土中に埋めその上に社を建てました。(走水神社の創建です)
日本武尊は、上総国へ軍船でいっきに渡ろうと船出されましたが、突然強い風が吹き海は荒れ狂い軍船は波にもまれ進むことも戻ることもできず転覆するかの危機に、日本武尊に付き添ってこられた御后の弟橘媛命が「このように海が荒れ狂うのは、海の神の荒ぶる心のなせること、尊様のお命にかえて海に入らせて下さい。」と告げ、「さねさし さがむのおぬにもゆるひの ほなかにたちて とひしきみはも」と御歌を残し、海中に身を投じられました。たちどころに海は凪ぎ風は静まり日本武尊一行の軍船は水の上を走るように上総国に渡ることが出来ました。以来、水走る走水と言われております。
上総、下総、常陸、日高見の国々の蝦夷を討ち平らげて大和に帰る途中、碓氷峠から遥か東方に光る走水の海の輝きを望み、その海に身を投じ武運を開いてくれた媛を偲び「あ~吾が妻よ」と嘆き呼びかけられたという、そしてこれをもって東国を東(吾妻)「アズマ」と呼ぶようになったといわれております。
奈良時代の初期に編纂された『古事記』『日本書紀』にも記されております。
また、弟橘媛命が御入水されてから数日して海岸に櫛が流れ着きました。村人たちはその櫛を日本武尊と弟橘媛命の御所があった御所が崎に社を建て、櫛を納め橘神社としましたが、明治18年に御所が崎が軍用地になったため、橘神社は走水神社の境内に移され、明治42年に走水神社に合祀されました。
---
前にパワースポットのある神社として紹介されていました。
特に、職場の人間関係を良くする効果があると聞いて是非行きたいと思っていました。
御朱印3冊目の初めは走水神社と決めてました
神社ではよくネコに出会います。
ネコ好きとしては嬉しいです
19.08.09 「走水神社(はしりみずじんじゃ)」参拝
横須賀市走水 8:51am頃~
00-1) 駐車場に在る慰霊碑
’ 櫻庭タニ子殉職之碑 昭和十年四月 大日本國防婦人會 ’
.
-----------------------
01-1) 駐車場から降りてきた所から撮った。
鳥居が在る参道入口は、右方向。 二本の階段を上って、ここへ至る。
01-2) 航海の安全を祈念して舵の形に建立された ’ 舵の碑 ’
.
---
02-1) 当地で大伴黒主が日本武尊に料理を献じて喜ばれた故事に因んだ ’ 包丁塚 ’
02-2) ’ 包丁塚 ’
.
-----------------------
03)K. 拝殿へ至る三本の階段の内、最後の長い階段。
---
04-1) 正中を憚って、拝殿に向かって左斜め前から。
04-2)拝殿に向かって右斜め前から。
---
05) 拝殿に向かって左側に並ぶ、
弟橘媛命(オトタチバナヒメノミコト)に殉じた侍女を祀る(新築された) ’ 別宮 ’
---
06-1) 拝殿に向かって右側: (写真左端奥の ’ 旧 別宮 ’ と)’ 正一位 稲荷大明神 ’
06-2) ’ 正一位 稲荷大明神 ’
---
07) ’ 旧 別宮 ’
---
08-1) 拝殿に向かって右側の更に奥: ’ 水神社 ’
08-2) ’ 水神社 ’
.
.
.
*****************************
19.08.09 #横須賀 「 #走水神社 」参拝 #横須賀市走水
https://mitch1.blog.ss-blog.jp/2019-08-18-2
/ #古事記 #日本書紀 #大和武尊 #弟橘媛命
最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
39
2