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はこねじんじゃ

箱根神社の御由緒・歴史
神奈川県 小涌谷駅

ご祭神瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)   
木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト) 
彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)
創建時代757年(天平宝宇元年)
創始者伝、孝昭天皇朝
ご由緒

< 箱根神社さま公式Webサイトから引用 _ http://hakonejinja.or.jp >

箱根神社は、古来、関東総鎮守箱根大権現と尊崇されてきた名社で、
交通安全・心願成就・開運厄除に御神徳の高い運開きの神様として信仰されています。
 当社は、人皇第五代孝昭天皇の御代(2400有余年前)聖占上人が箱根山の駒ケ岳より、
同主峰の神山を神体山としてお祀りされて以来、
関東における山岳信仰の一大霊場となりました。
 奈良朝の初期、天平宝字元年(757)万巻上人は、
箱根大神様の御神託により現在の地に里宮を建て、
箱根三所権現と称え奉り、仏教とりわけ修験道と習合しました。
 平安朝初期に箱根路が開通しますと、往来の旅人は当神社に道中安全を祈りました。
 鎌倉期、源頼朝は深く当神社を信仰し、
二所詣(当神社と伊豆山権現参詣)の風儀を生み執権北条氏や
戦国武将の徳川家康等、武家による崇敬の篤いお社として栄えました。
 近世、官道としての東海道が整備され箱根宿や関所が設けられますと、
東西交通の要(交通安全祈願所)として当神社の崇敬は益々盛んになり、
庶民信仰の聖地へと変貌しました。
 こうして天下の険、箱根山を駕籠で往来する時代から、
やがて自動車に変わる近代日本へと移行しますが、
その明治の初年には神仏分離により、関東総鎮守箱根大権現は、
箱根神社と改称されました。
 爾来、明治6年明治天皇・昭憲皇太后両陛下の御参拝をはじめ、
大正・昭和の現代に至るまで
各皇族方の参拝は相次いで行われました
。最近では、昭和55年、昭和天皇・皇后両陛下の御参拝につづいて翌56年、
皇太子浩宮殿下も御参拝になりました。
また、民間も政財界人の参拝や年間2千万人を越える内外の観光客を迎えて、
御社頭は益々殷賑を加えているの箱根大神の御神威によるものであります。

歴史
歴史[編集] 六国史や延喜式神名帳には見えないが、鎌倉時代には『貞永式目』付属の起請文の中で、日本国中の神祇の筆頭にあげられたほど、鎌倉幕府の篤い崇敬と保護を受け、伊豆山神社と共に「二所権現」に指定され、三島大社と併せて「二所詣(三社詣)」が行われるなど、後北条氏の時代まで特に武家たちの信仰を集めた。 『筥根山縁起并序』(建久2年(1191年)、箱根権現別当・行実編纂)によると、古代から箱根山に対する山岳信仰は盛んで特に神山への信仰は篤く、神山を遥拝できる駒ケ岳の山頂を磐境として祭祀が行われていた[1]。 特に、孝昭天皇の時代に聖占(しょうせん)が駒ケ岳において神仙宮を開き開山したのが最...Wikipediaで続きを読む
引用元情報箱根神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%AE%B1%E6%A0%B9%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=101409393

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