だいきゅうじ
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楽しみ方大久寺のお参りの記録(1回目)
投稿日:2025年04月23日(水) 20時04分07秒
参拝:2025年3月吉日
日蓮宗大久寺は、天正19年(1591)徳川家康公の忠臣であった小田原藩祖・大久保忠世公が自身の菩提寺として建立したお寺になります。
小田原征伐の後、遠州の二俣城から小田原城に移り、日ごろから帰依していた法華宗の僧・日英上人を招請し開山として住寺させました。境内墓所には初代忠世公をはじめ、初期大久保一族の真葬墓、供養塔があります。
2代忠隣(ただちか)公の時に、政治の謀略により小田原藩を改易(領地や屋敷を没収、身分を取り上げられる刑罰のこと)されると、寺をいったん江戸の下谷に移し、わずかに命脈を保っていました。
((ちなみに現在の東京都北区にある大久寺がそれにあたり、明治37年に下谷から現在地に移転、忠隣公のニ男が伊勢亀山藩石川家の養子になっていたことから、大久保家と石川家の菩提寺となっています。))
その後、忠世公の伯父の玄孫、大久保新八郎康任が箱根入湯の道中、大久寺が廃れていることを惜しみ同地に再興、現在に至っています。
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この日は直書き対応日ではなかったので、書置きの御首題と桜と切り絵の御朱印を拝受しました。いただく際に少しお話をして、最後に「また小田原に遊びに来てね」とのお言葉をいただけたことがとても嬉しかったです😊
小田原征伐の後、遠州の二俣城から小田原城に移り、日ごろから帰依していた法華宗の僧・日英上人を招請し開山として住寺させました。境内墓所には初代忠世公をはじめ、初期大久保一族の真葬墓、供養塔があります。
2代忠隣(ただちか)公の時に、政治の謀略により小田原藩を改易(領地や屋敷を没収、身分を取り上げられる刑罰のこと)されると、寺をいったん江戸の下谷に移し、わずかに命脈を保っていました。
((ちなみに現在の東京都北区にある大久寺がそれにあたり、明治37年に下谷から現在地に移転、忠隣公のニ男が伊勢亀山藩石川家の養子になっていたことから、大久保家と石川家の菩提寺となっています。))
その後、忠世公の伯父の玄孫、大久保新八郎康任が箱根入湯の道中、大久寺が廃れていることを惜しみ同地に再興、現在に至っています。
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この日は直書き対応日ではなかったので、書置きの御首題と桜と切り絵の御朱印を拝受しました。いただく際に少しお話をして、最後に「また小田原に遊びに来てね」とのお言葉をいただけたことがとても嬉しかったです😊
すてき
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ひなぎく848投稿
幼少期から神社や神話に触れてきました。ご由緒やその土地の歴史、かかわる人々に想いを馳せたり考察をするのが好きです。歴史を調べながら関連する場所を数珠繋ぎに巡っています。 すてきやフォローありがと...もっと読む
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