かごしまじんぐう
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鹿児島神宮の御祭神は海幸山幸の神話によるところの社で創祀は遠く神代にあって、又皇孫神武天皇の御代とも伝えらています。御祭神彦火火出見尊 (別名山幸彦)はこの地に高千穂宮(皇居)を営み給い、500有余歳の長寿に亘り間農耕畜産漁猟の道を開拓し国家の基礎をつくられた。
また正八幡宮、国分正八幡、大隅正八幡等とも称し全国正八幡の本宮でもあります。平安時代醍醐天皇の延喜式には大社に列し大隅國一之宮として朝野の崇敬篤く営繕の費は三州の正税を以て充てられ後鳥羽天皇建久年間(1198年)には社領2500余町歩の多きに至り、江戸末期まで千石を有していた
明治4年國幣中社、同7年神宮号宣下官幣中社、同28年官幣大社に列格、勅使皇族の御参拝は20余度に及び、昭和10年と49年には昭和天皇の行幸を仰いだ。

鹿児島空港からも近いので、鹿児島に着くとまずお参りにいきます。
昔から東アジアなど、海外との交流が盛んだった鹿児島らしい、トロピカルな色彩です。
天井画には沖縄の植物のサボテンなども描かれているそうです。また柱の規模も日本一なのだとか。
「延喜式」にも、大隅國五座の中でも桑原郡の大一座に数えられる、と記載されており、昔から全国有数の権威ある神社です。
また「八幡愚童訓」には、
「震旦国隣大王(陳大王とも言う)の娘の大比留女(おおひるめ)は七歳の時に朝日の光が胸の間にさし入り、懐妊して王子を生んだ。王臣たちがこれを怪しんで空船に乗せて、船のついた所を所領としたまうようにと大海に浮かべたところ、船はやがて日本国鎮西大隅の磯に着いた。その太子を八幡と名付けたので船の着いたところを八幡崎と言う。継体天皇の代のことであると言う。」との記載があるそうです。
今昔物語にも、「八幡神は大隅国に現れ、次に宇佐に遷り、ついに石清水に跡を垂れた」と記載されています。
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