かごしまじんぐう
鹿児島神宮のお参りの記録一覧(3ページ目)
初鹿児島は、鹿児島神宮から。彦火火出見尊 山幸彦と奥様の豊玉姫が御祭神の天孫降臨つながりの神宮です。
ちょうど桜のきれいな時でした。
神功皇后と仲哀天皇、応神天皇の神社もあります。
本殿のさらに奥の奥に稲荷神社があり、神功皇后の神社はその途中です。
小高い山上にある静かな趣のある神宮です。
御朱印もいただきました。
御朱印は本殿横の授与所ではなくて、ちょっと戻って社務所でいただけます。
本殿
階段上った上にあります。
八幡。応神天皇ですね。
本殿奥に稲荷神社へ続く道。こういう雰囲気好きです。
稲荷神社です。狐が凜々しいです。
鹿児島空港からも近いので、鹿児島に着くとまずお参りにいきます。
昔から東アジアなど、海外との交流が盛んだった鹿児島らしい、トロピカルな色彩です。
天井画には沖縄の植物のサボテンなども描かれているそうです。また柱の規模も日本一なのだとか。
「延喜式」にも、大隅國五座の中でも桑原郡の大一座に数えられる、と記載されており、昔から全国有数の権威ある神社です。
また「八幡愚童訓」には、
「震旦国隣大王(陳大王とも言う)の娘の大比留女(おおひるめ)は七歳の時に朝日の光が胸の間にさし入り、懐妊して王子を生んだ。王臣たちがこれを怪しんで空船に乗せて、船のついた所を所領としたまうようにと大海に浮かべたところ、船はやがて日本国鎮西大隅の磯に着いた。その太子を八幡と名付けたので船の着いたところを八幡崎と言う。継体天皇の代のことであると言う。」との記載があるそうです。
今昔物語にも、「八幡神は大隅国に現れ、次に宇佐に遷り、ついに石清水に跡を垂れた」と記載されています。
とても広く、美しい神社です。
この広い境内で色んな雰囲気が同居しているそんな神社です。
流鏑馬用の馬場がとても印象的でした。
ウサギの彫り物見っけ♡
武内神社
隼風神社
四所神社
広大な馬場
神馬
稲荷神社
稲荷神社のお狐さま
#鹿児島神宮 #正八幡宮
主祭神はヒコホホデミの尊、トヨタマヒメの命。相殿神にタラシナカツヒコの命、オキナガタラシヒメの命、ホムダワケの命、ナカツヒメの命。
#豊玉比売命
トヨタマヒメの命は夫に対し、出産の時は本当の姿に戻るから、決して産屋を覗かないでほしいと要請した。だがヒコホホデミの尊は我慢できず、中を見てしまった。正体を知られたトヨタマヒメの命は恥じ、産んだ子を置いて父ワタツミの神の宮殿へ帰ってしまった。
その正体が、古事記では巨大なワニ、日本書紀の本文では龍とある。
ワニに関して諸説あるらしいが、大概サメだと説明される。中国地方では今もサメをワニと呼ぶとか。
ここで思い出されるのが、ハワイ王族のサメトーテム。あちらでも、有力者はサメを自分たちの先祖だと主張したそうだ。
そのハワイ語で、太平洋やインド洋といった大洋はモアナ。
ところで、ディズニーのモアナはハワイなどオセアニアの神話を参考にしているそうだ。そういや作中で、マウイはやたら釣り針に固執していたが、オセアニアにも釣り針がキーアイテムになるような神話があるのかね?
大隅國一宮です。創建は神武天皇の時代だといわれ、主祭神は山幸彦で知られる天津日高彦穂穂出見尊と豊玉比売命です。古事記では海幸彦と山幸彦の兄弟の話が出てきますが、海幸彦の子孫が神武天皇となります。
平安時代から江戸時代まで正八幡宮と呼ばれていました。全国の八幡宮の総本宮は宇佐神宮と言われていますが、実は鹿児島神宮の方が古いともいわれています。(八幡愚童訓、今昔物語集)
また宝物として14〜16世紀の中国やタイ産の陶磁器が納められています。鹿児島は大変古くから海外との交流があり、日本の中の先進国だったということがわかります。
阿吽の極彩色の龍柱が大変見事でした。
鹿児島神宮の参道です
鹿児島神宮の拝殿
本殿です。
初午祭の馬の等身大の人形です。
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