かごしまじんぐう
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楽しみ方鹿児島神宮のお参りの記録一覧(3ページ目)

九州遠征。
霧島山(韓国岳)登山、霧島神宮参拝ときて、最後に大隅国一宮である鹿児島神宮にお参りにきました。
霧島神宮よりは参拝者は少なかったのですが、境内では年末に向けての準備が着々と進んでおりました。
そして御朱印を戴いたのですが、一宮では珍しく初穂料が300円というのが、個人的に驚いた部分であります(笑)







最初の鳥居を真っ直ぐ行っていいのか分からなくて(笑)

こりゃまた立派でございました
結構カラフルで素敵

どーんて感じで!

これがカワイイんですよ
鯛?なんかサカナです(笑)

神社っぽさがない植物①

ご!神木

紆余曲折あり、午後4時過ぎにようやく到着した鹿児島神宮。
「山幸彦」で知られる天津日高火火出見尊と
その妻・豊玉比売命をお祀りする
大隅國一ノ宮です。
境内は、本殿へ上がる階段が何箇所かあり
わかりづらい構造、
(ここであっているのかな・・・)
不安に思いながら大祓詞を奏上しました。
拝殿前でお参りを済ませると
もう巫女さんが授与所前の陳列物を
片づけはじめる時間。
鹿児島神宮は海幸山幸の神話にちなむ
信仰玩具で全国的に有名だそうで、
並べられた素朴で色とりどりの
鯛車や化粧箱、土鈴など
(可愛いなあ。あとでゆっくり見よう)
思いつつ通り過ぎただけに
非常に残念でした😞

拝殿。たぶんここで合ってるだろう。

精進落としは刺身盛り合わせと芋焼酎ロック。焼酎は大山甚七商店「問わず語らず名もなき焼酎」、呑みやすい!

御祭神は海幸山幸の神話の山幸彦 天津日高彦火火出見尊(あまつひだかひこほほでみのみこと)と海神(わたつみ)の娘で火火出見尊の神妃 豊玉比売命(とよたまひめのみこと)
お名前、難しすぎて全く読めませんでした…
鹿児島神宮は大隅國一之宮 旧社格は官幣大社、
かつては国分正八幡と称されていたとのこと。
これも難しくて、調べてみましたが説明できるほどは理解できませんでした。
創祀は遠く神代、今の社殿は1756年、島津重年公に再建されたとのことで、歴史を感じる御社でした。
ありがとうございました。

天皇から幣帛を託された勅使をお迎えする勅使殿

本殿は、たくさんの草花が描かれた図柄が格子状になっている天井絵が見事です。
全部で240枚、身近な果物のバナナやメロンが描かれていますが当時、鎖国をしていた日本では絶対に見ることができないはずなのです。
では、なぜ?それは当時の薩摩藩が琉球を通して密貿易を行っていたからではないかと言われているそうです。


樹齢800年の立派な御神木

ご由緒

御朱印

大隅国一之宮。

ご朱印帳

ご朱印


駐車場から歩いて5分程のところにある『石體神社(しゃくたいじんじゃ)』
彦火火出見命が高千穂宮を営んでいた所で、鹿児島神宮の元宮。


豊玉比賣命はお産の軽かったことから、安産のご利益があるそう。
岩田帯は発祥の地とも云われている。

そしてすぐすばにある『卑弥呼神社』
なぜこんなところに・・・と思った方は
看板の右横を読めばわかるかと・・・


卑弥呼様

大隅国一宮です。表参道に対して左側を向いている社殿が特徴的です。
というか、授与所の位置が変なところにありましたね。

《一の鳥居》

《表参道》

《手水舎》


《拝殿》

《境内案内》

《末社・四所神社》

《本殿》

お土産やさんもあります。

《御神木》

鹿児島神宮の御祭神は海幸山幸の神話によるところの社で創祀は遠く神代にあって、又皇孫神武天皇の御代とも伝えらています。御祭神彦火火出見尊 (別名山幸彦)はこの地に高千穂宮(皇居)を営み給い、500有余歳の長寿に亘り間農耕畜産漁猟の道を開拓し国家の基礎をつくられた。
また正八幡宮、国分正八幡、大隅正八幡等とも称し全国正八幡の本宮でもあります。平安時代醍醐天皇の延喜式には大社に列し大隅國一之宮として朝野の崇敬篤く営繕の費は三州の正税を以て充てられ後鳥羽天皇建久年間(1198年)には社領2500余町歩の多きに至り、江戸末期まで千石を有していた
明治4年國幣中社、同7年神宮号宣下官幣中社、同28年官幣大社に列格、勅使皇族の御参拝は20余度に及び、昭和10年と49年には昭和天皇の行幸を仰いだ。

御朱印

手水舎

御神木


竜宮の亀石

拝殿

拝殿

初鹿児島は、鹿児島神宮から。彦火火出見尊 山幸彦と奥様の豊玉姫が御祭神の天孫降臨つながりの神宮です。
ちょうど桜のきれいな時でした。
神功皇后と仲哀天皇、応神天皇の神社もあります。
本殿のさらに奥の奥に稲荷神社があり、神功皇后の神社はその途中です。
小高い山上にある静かな趣のある神宮です。
御朱印もいただきました。
御朱印は本殿横の授与所ではなくて、ちょっと戻って社務所でいただけます。

本殿

階段上った上にあります。

八幡。応神天皇ですね。

本殿奥に稲荷神社へ続く道。こういう雰囲気好きです。

稲荷神社です。狐が凜々しいです。

鹿児島空港からも近いので、鹿児島に着くとまずお参りにいきます。
昔から東アジアなど、海外との交流が盛んだった鹿児島らしい、トロピカルな色彩です。
天井画には沖縄の植物のサボテンなども描かれているそうです。また柱の規模も日本一なのだとか。
「延喜式」にも、大隅國五座の中でも桑原郡の大一座に数えられる、と記載されており、昔から全国有数の権威ある神社です。
また「八幡愚童訓」には、
「震旦国隣大王(陳大王とも言う)の娘の大比留女(おおひるめ)は七歳の時に朝日の光が胸の間にさし入り、懐妊して王子を生んだ。王臣たちがこれを怪しんで空船に乗せて、船のついた所を所領としたまうようにと大海に浮かべたところ、船はやがて日本国鎮西大隅の磯に着いた。その太子を八幡と名付けたので船の着いたところを八幡崎と言う。継体天皇の代のことであると言う。」との記載があるそうです。
今昔物語にも、「八幡神は大隅国に現れ、次に宇佐に遷り、ついに石清水に跡を垂れた」と記載されています。

(2017年<平成29年>)1月に参拝した時のものです。
大隅国一宮と称される鹿児島神宮へお参りしてきました。
鹿児島県隼人市に鎮座しています。
大分県にある宇佐神宮が全国に存在する八幡宮の総本社であることに通じている感じですが、こちらは全国にある正八幡の本宮とのことです。
八幡宮と正八幡の違いを詳しく知らないのですが、それぞれの総本社ということですので何か違いがあるのだろうと思われます。
参拝時は雨が降っていましたので、摂社や末社の参拝を一部割愛させて頂きました。
あと、御朱印は拝受しています。

鹿児島神宮の拝殿です

御神木は樹齢約800年とのことです

雨の社という名前の社殿です
御神木の右横にありました

稲荷神社へ向かう入り口付近の鳥居です

招魂社です

鹿児島神宮の御朱印です
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