ことひらぐう
御朱印・神社お寺の検索サイト
楽しみ方金刀比羅宮のお参りの記録一覧

11月8日(土)に社員旅行で、香川県の金刀比羅宮に行った。
泊まって次の日も観光する予定だったが、次の日に道主叙勲祝賀会が入ったので日帰りすることに。
行きは飛行機✈️、帰りは新幹線🚅でという、かなりタイトなスケジュール💦。
御本宮まで785段の階段(結構楽)。
そこから奥社まではプラス583段の階段で、これが辛い。
時間制限があったため、本来奥社まで30分掛かるらしいが、それを走って登り、往復20分で登って降りてきた。
頭から滝のように汗が出た。
まぁ、その甲斐あって奥社でしか頂けない御朱印もゲット。
奥社意外の御朱印は時間がなかで頂けなかった。
残念。
近くの琴平駅ではドラクエウォークのお土産も頂ける。
次回、行く機会があれば、もっとゆっくり参拝したいところだ。






10月12日早朝、金刀比羅宮へお参りに行ってきました。
昔からいつかはお参りしてみたいと思っていたこんぴらさん。
千段くらい余裕だろうと思っていたが、実際に登ってみると想像以上にしんどい。
途中でスーツ姿の若い女性が2人ほど、辛そうな表情で階段を登っていました。
それを見て、この人たちは毎日この階段を登って出勤しているのかと思い、私も頑張らねばと元気を取り戻しました。
やっと辿り着いた途中の楼門をくぐると、こんぴら狗の石像がお出迎えしてくれました。
こんぴら狗とは、江戸時代に遠方でこんぴら参りへ行けない人がその意思を犬に託し、初穂料、食費などを入れた袋を首からぶら下げてお参りさせたことから、そう呼ばれているそうです。
でも、間違って御本宮ではなく途中の旭社にお参りしたなんていうちょっとお茶目なエピソードもあるそうです。(笑)
私もこんぴら狗に負けじと旭社まで登って参拝し、いざ御本宮へ。
御本宮までの785段を登り切ったところで息切れ。これ以上はしんどい。
御本宮の御祭神は大物主神、農業の神様だそうです。
また、大国主神と同一ではないかとの説もあるそうです。
御本宮での参拝をしたところで、社殿の脇から続々と巫女さんが出て来ました。
中には、先ほど私が階段を登っている途中に見かけた2人の女性の姿も。
あの時の2人は巫女さんだったのか、巫女さんは車出勤が許されていないんだなと思いました。(笑)
さあ、気を取り直して次は奥社へ。
奥社までは、御本宮からさらに583段もあるそうです...
でも、その分奥社まで登り切った時の達成感はとてつもないものでした。
登山で山頂に辿り着いた時のような感覚でした。
奥社は厳魂神社、御祭神は厳魂彦命と言い、戦国時代に金刀比羅大権現の再興に尽力した人物だそうです。
奥社で参拝した後、降りはすいすいと足が進みました。
階段を降りたところで、参道沿いに建ち並ぶお店でこんぴらグルメを堪能。
どれもとても美味しく、旅の疲れが癒やされました。
今回のお参りでは、自分の体の衰えが知れて、とても良かったです。(笑)

大鳥居

楼門

こんぴら狗

神馬

旭社

御本宮

奥社(厳魂神社)

こんぴらうどん

おいりソフト

コロッケ

地元だったから投稿してなかった神社その①
香川県下最大の神社であり、全国にある金刀比羅・琴平神社の総本社であるこんぴらさんです。江戸時代には伊勢参りとともに「こんぴら参り」が大流行し、岡山の由加神社本宮と愛媛の石鎚神社と合わせて日本三大権現と呼ばれていました。

《二の鳥居》
前述の通り「こんぴら参り」が盛んになり香川県内には多くの参拝ルートができ、その中でも丸亀街道・高松街道・多度津街道・阿波街道・伊豫土佐街道が主となり「金比羅五街道」と呼ばれていました。私の地元は丸亀街道にあり、丸亀港に田助燈籠という巨大な燈籠をスタート地点として街道沿いに道標の燈籠と丁石があります。
小学生の時にこの燈籠を辿りながらチャリでこんぴらさんまで行ったのが初参拝でした。2、3時間はかかったと思います。
このルートは丸亀市のHPなどで紹介されているのでもし興味があったらこの街道を通って参拝してみてください。
一の鳥居はJR琴平駅前にあるのですが、この丸亀街道沿いにも丸亀市中府町に金刀比羅宮の扁額がかかった鳥居があります。

《参道前の風景》
ちなみにこれは何年か前のブラタモリで金刀比羅宮の特集をやっていたときに初めて聞いたのですが、現在JRと私鉄ことでんの2路線の駅がありますが、明治あたりまではもう一本の路線と駅があったそうです。

《大門》
写真を撮り損ねましたが、この大門の右手に金刀比羅本教の本部があります。
金刀比羅本教は神仏分離前まであった金比羅講を再組織したもので、金刀比羅宮の傘下にありながら別宗教法人として活動しています。同様のものが石鎚神社傘下の石鎚本教がありますね。
また金刀比羅宮の神使がカニであったり、出雲大社の神在月に金刀比羅宮の神様は出雲に行かないという見解を示しているのは金刀比羅本教であるとされています。

《表参道》
これほど有名で歴史のある金刀比羅宮は式内社ではないのかというと、当社の諸説ある創建由緒に讃岐国多度郡鎮座の雲気神社が当社であるというものがあります。

《神馬舎》
神馬像ではなく本物の馬が2頭います。

《階段》
学生時代には部活で正月に本殿まで走らされましたね…よく体力があったものです。

《境内社》
祓戸社と火雷社です。

《旭社》
本殿であるような風格ですが本社はもう少し上です。こちらは神仏習合時代の金堂でした。
金堂は一般的に寺院の建築物ではその寺院の崇敬対象にあたる仏像を安置する建物であり、かつての金光院時代の本堂にあたります。

《賢木門》
「シュラシュシュシュ」で有名な「金比羅舟々」の歌詞にも出てきます。戦国時代に長宗我部元親が四国を支配するために襲来しこんぴらさんの建物が兵火にかかりますが、この賢木門に火をつけようとしたところ暴風が吹き木の葉が蜂になって元親軍を襲ったとあります。

《手水舎》
水は流れていました。洗ひつるここも…(略)

《拝殿》
👁チェックポイント‼️
金刀比羅宮は創建当時から現在に至るまで象頭山の中腹に鎮座していますが、御神徳には海上安全があり北海道などでは沿岸部に多くの分社があります。
こちらの本社の前から讃岐平野を見渡せますが、遠くに岡山と香川を繋ぐ瀬戸大橋がはっきり見えるのです。また、四国まで行くことができない本州や九州の崇敬者がお供物を樽に入れて流し、それを地元の漁師が拾い上げこんぴらさんまで届けたという「流し樽」が風習にあったことも関係があるでしょう。
今でこそ瀬戸大橋、明石鳴門大橋、しまなみ海道がありますが、江戸時代などは海を渡るなどなかなかに困難だったでしょうから、それでもお供えをしたい、その意志を汲んだ漁師がちゃんと届けるというとても篤く崇敬されていたことが窺えます。

《拝殿内部》🙏
こちらの本殿は大社関棟造という唯一の建築様式ですが、どのような構造なのかはよく分かりません。

《別宮》
本社の左の方にあります。

《参道の土産屋》
コロナ禍以降久しぶりの参拝でしたが、それほどお店が閉業している様子ではありませんでした。無事乗り越えられたようです。


《うどん屋》
ちなみに美味しいうどん屋を地元民に聞くコツは「1番美味しいうどん屋」ではなく「よく行くうどん屋」を聞くと良い所を紹介されます。というのも県内のうどん屋はコンビニと同レベルで点在するので、わざわざ遠方でなく住まいや職場の近所で美味しい店に行く傾向にあるからです。
基本的にハズレがないうどん屋を探す豆知識です。

GWに実家の高知へ帰る途中、立ち寄りました。小学校の修学旅行以来約40年振りの参拝です。金毘羅大権現(大物主神)を祀り、相殿に崇徳天皇を合祀しているそうです。


長い階段が続きます

案内図


御本宮、785段。
GWだけあってなかなかの人出です。

御本宮を横から

嚴魂神社(奥社)、1368段です。

奥社からの景色


最新の限定御朱印情報が届く!
御朱印メルマガを受け取ろう
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。

ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ






















































































































































1
0