しゅっしゃかじ|真言宗御室派|我拝師山(がばいしざん)
出釋迦寺香川県 善通寺駅
7:00~17:00
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楽しみ方
昨日、四国霊場八十八ヶ所第七十三番出釈迦寺様にうかがいました。
昨日、うかがって頂いた直書きの御朱印になります。
四国霊場八十八ヶ所納経帳に頂きました。

3回目の1泊2日四国八十八か所巡り 2日目の7寺院目です。
曼荼羅寺から車ですぐの所にあります。近いと助かります。
本堂や大師堂の内陣を必ず見るようにしているのですが こちらはありがたかったです。
アクリル板があって 光が反射して見にくかったり 格子戸になっていて 見にくかったり まあいろいろなお寺があったのですが こちらはどうぞご覧くださいなのです。
さらに ちょっと写真では見にくいのですが ご本尊が すだれかなにかで隠されているのですが うっすら見えるのです。
ご本尊がはっきり拝顔できるお寺も無いわけではないのですが これで十分ありがたいです。
残念だったのは 時間の都合なのですが そんなに遠くない奥の院にお参りできなかったことです。
帰宅してから調べたのですが 車ですぐそこだったのです。御朱印も拝受できるのです。
あーーー残念。
1回目の四国巡礼は とっても駆け足だったので 2回目は奥の院もしっかりゆっくり巡りたいなぁと思いました。
山号は我拝師山 院号は求聞持院 宗旨宗派は真言宗御室派 ご本尊は釈迦如来 開基は(伝)空海(弘法大師)です。あれっ開山は?
ご真言とご詠歌は
本尊真言:のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
ご詠歌:迷いぬる六道衆生(ろくどうしゅじょう)すくわんと 尊き山に出づる釈迦寺(でら)
でした。
由緒については
寺伝によれば 空海が7歳の時に倭斬濃山(わしのやま)(現、我拝師山)に登り 「仏門に入って多く人と衆生を救いたいのです。私の願いが叶うなら釈迦如来様、お姿を現して下さい。もし、願いが叶わないのなら私の命を仏に捧げます」と願い 山の断崖から谷へと飛び降りた。
すると 落下する空海の前に釈迦如来と天女が現れて抱きとめ 「一生成仏」と宣し 彼の願いが成就された。
成人の後に空海は思い出の霊験の山に再度登って 釈迦如来が現われた山を「我拝師山」と名づけ その山に出釈迦寺を建立し 釈迦如来の尊像を刻んで本尊としたという。
とありました。開山については分かりませんでした。
駐車場から続く参道
子宝の三鈷の松
干支別守り本尊
山門
手水は龍でした
恵比寿さんがお出迎え
求聞持大師
本堂
内陣
仏足石
大師堂
扁額が 弘法 ではありませんでした
内陣
地蔵堂
納経所
瓦に 鷹?
出釋迦寺の開基には、弘法大師幼少期の数ある伝説のひとつ「捨身ヶ嶽」縁起にゆかりがあります。それは、弘法大師が“真魚”と呼ばれていた7歳の時。我拝師山に登り「私は将来仏門に入り、仏の教えを広めて多くの人を救いたい。私の願いが叶うなら釈迦如来よ、姿を現したまえ。もし叶わぬのなら一命を捨ててこの身を諸仏に捧げる」と、断崖絶壁から身を投じました。すると、紫色の雲が湧き、釈迦如来と羽衣をまとった天女が舞い降り、雲の中で弘法大師を抱きとめました。命を救われ、願いが叶うことを示された弘法大師は、青年になって我拝師山の山頂で刻んで安置し、堂宇を建てたといいます。
この場所は「捨身ヶ嶽禅定」といわれ元は札所でしたが、今は寺の奥の院となり、境内から急坂を50分ほど上がった場所にあります。弘法大師が虚空蔵菩薩の真言を100万回唱える「求聞持法」を修めたことから「求聞持院」という院号がつきました。ここで拝むとすばらしい記憶力が得られ、学業成就や物忘れにご利益があるといわれています。
また、弘法大師が身を投じた場所は、ここからさらに50mほど登った場所にあります。下を見れば足のすくむような深い谷底ですが、眼下には讃岐平野や瀬戸内海を一望できる絶景が広がります。
| 住所 | 香川県善通寺市吉原町1091 |
|---|---|
| 行き方 | 72【曼荼羅寺】より
|
| 名称 | 出釋迦寺 |
|---|---|
| 読み方 | しゅっしゃかじ |
| 参拝時間 | 7:00~17:00 |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 電話番号 | 0877-63-0073 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| 四国八十八ヶ所霊場(お遍路) | |
|---|---|
| 七ヶ所まいり(しちかしょまいり・ななかしょまいり) 第3番 | 仏さま:釈迦如来、恵比寿天 御詠歌: おんいんだらやそわか |
| ご本尊 | 釈迦如来 |
|---|---|
| 山号 | 我拝師山(がばいしざん) |
| 院号 | 求聞持院(ぐもんじいん) |
| 宗旨・宗派 | 真言宗御室派 |
| 創建時代 | 奈良後期〜平安時代前期 |
| 開山・開基 | 弘法大師 |
| 文化財 | 木造不動明王立像、禅定石造層塔(善通寺市指定有形文化財) |
| ご由緒 | 出釋迦寺の開基には、弘法大師幼少期の数ある伝説のひとつ「捨身ヶ嶽」縁起にゆかりがあります。それは、弘法大師が“真魚”と呼ばれていた7歳の時。我拝師山に登り「私は将来仏門に入り、仏の教えを広めて多くの人を救いたい。私の願いが叶うなら釈迦如来よ、姿を現したまえ。もし叶わぬのなら一命を捨ててこの身を諸仏に捧げる」と、断崖絶壁から身を投じました。すると、紫色の雲が湧き、釈迦如来と羽衣をまとった天女が舞い降り、雲の中で弘法大師を抱きとめました。命を救われ、願いが叶うことを示された弘法大師は、青年になって我拝師山の山頂で刻んで安置し、堂宇を建てたといいます。
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| 体験 | 御朱印札所・七福神巡り |
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