しゅっしゃかじ|真言宗御室派|我拝師山(がばいしざん)
出釋迦寺香川県 善通寺駅
7:00~17:00
3回目の1泊2日四国八十八か所巡り 2日目の7寺院目です。
曼荼羅寺から車ですぐの所にあります。近いと助かります。
本堂や大師堂の内陣を必ず見るようにしているのですが こちらはありがたかったです。
アクリル板があって 光が反射して見にくかったり 格子戸になっていて 見にくかったり まあいろいろなお寺があったのですが こちらはどうぞご覧くださいなのです。
さらに ちょっと写真では見にくいのですが ご本尊が すだれかなにかで隠されているのですが うっすら見えるのです。
ご本尊がはっきり拝顔できるお寺も無いわけではないのですが これで十分ありがたいです。
残念だったのは 時間の都合なのですが そんなに遠くない奥の院にお参りできなかったことです。
帰宅してから調べたのですが 車ですぐそこだったのです。御朱印も拝受できるのです。
あーーー残念。
1回目の四国巡礼は とっても駆け足だったので 2回目は奥の院もしっかりゆっくり巡りたいなぁと思いました。
山号は我拝師山 院号は求聞持院 宗旨宗派は真言宗御室派 ご本尊は釈迦如来 開基は(伝)空海(弘法大師)です。あれっ開山は?
ご真言とご詠歌は
本尊真言:のうまく さんまんだ ぼだなん ばく
ご詠歌:迷いぬる六道衆生(ろくどうしゅじょう)すくわんと 尊き山に出づる釈迦寺(でら)
でした。
由緒については
寺伝によれば 空海が7歳の時に倭斬濃山(わしのやま)(現、我拝師山)に登り 「仏門に入って多く人と衆生を救いたいのです。私の願いが叶うなら釈迦如来様、お姿を現して下さい。もし、願いが叶わないのなら私の命を仏に捧げます」と願い 山の断崖から谷へと飛び降りた。
すると 落下する空海の前に釈迦如来と天女が現れて抱きとめ 「一生成仏」と宣し 彼の願いが成就された。
成人の後に空海は思い出の霊験の山に再度登って 釈迦如来が現われた山を「我拝師山」と名づけ その山に出釈迦寺を建立し 釈迦如来の尊像を刻んで本尊としたという。
とありました。開山については分かりませんでした。
駐車場から続く参道
子宝の三鈷の松
干支別守り本尊
山門
手水は龍でした
恵比寿さんがお出迎え
求聞持大師
本堂
内陣
仏足石
大師堂
扁額が 弘法 ではありませんでした
内陣
地蔵堂
納経所
瓦に 鷹?
【我拝師山(がはいしざん) 求聞持院(ぐもんじいん )出釈迦寺(しゅっしゃかじ)】
本尊:釈迦如来
宗派:真言宗御室派
開基:弘法大師
出釈迦寺の開基には、弘法大師(774-835)の幼少期の数ある伝説のひとつ「捨身ヶ嶽」縁起にゆかりがある。大師は、成人になって幼少期の願いが成就された思い出の霊験の山に再度登り、釈迦如来が現われた山を「我拝師山」と名づけ、その山に出釈迦寺を建立し、釈迦如来の尊像を刻んで本尊としたという。この場所は「捨身ヶ嶽禅定」といわれ元は札所だったが、今は出釈迦寺の奥之院となっている。弘法大師が「虚空蔵求聞持法」を修めたことから院号は「求聞持院」としている。(虚空蔵求聞持法:虚空蔵菩薩の真言「のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん ありきゃ まりぼり そわか」を1日1万回ずつ100日かけて100万回唱えるという修行法)
【73_修行大師像】
【73_捨身ヶ嶽】
「捨身ヶ嶽」は、弘法大師が7歳の時「願いが叶うなら釈迦如来よ、姿を現したまえ」と、断崖絶壁から身を投げた場所。その時、釈迦如来と天女が舞い降り、紫雲の中で大師を抱きとめたとされる。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)
【73_捨身ヶ嶽(しゃしんがだけ)】
山門をくぐると、大師が身を投げた逸話が描かれた絵がある。
【73_本堂】
【73_大師堂】
【73_山門】
【73_龍の手水舎】
【73_求聞持大師】
【73_幸福の鐘】
奥之院の鐘は、「天空の鐘」と呼ばれている。
【73_捨身ヶ嶽遥拝所】
捨身ヶ嶽禅定まで登れなくても、ここでご念仏を唱え、祈願すれば同じぐらいのご利益があるといわれる。
【73_捨身ヶ嶽禅定 入口(出釈迦寺奥之院)】
【73_御神木ひのき(出釈迦寺奥之院)】
捨身ヶ嶽禅定の参道(世坂(よさか))の途中にある。
【73_柳の水(出釈迦寺奥之院)】
弘法大師加持水。捨身ヶ嶽禅定の参道(世坂(よさか))の途中にある。
【73_山門(出釈迦寺奥之院)】
【73_根本御堂(ねもとみどう)(出釈迦寺奥之院)】
【73_天空の鐘(出釈迦寺奥之院)】
【73_釈迦如来(出釈迦寺奥之院)】
【73_御行場入口(出釈迦寺奥之院)】
根本御堂の右下の通路をくぐる。
【73_岩倉大師(出釈迦寺奥之院)】
根本御堂の裏には小さな洞窟があり岩倉大師が祀られている。
【73_行場の崖(出釈迦寺奥之院)】
根本御堂の裏からみた行場。
【73_行場の鎖(出釈迦寺奥之院)】
【73_稚児大師石像(出釈迦寺奥之院)】
鎖場を越え岩場を約100m登ると稚児大師石像がある。
【73_捨身誓願之聖地(出釈迦寺奥之院)】
【73_捨身ヶ嶽禅定参道からの眺め(出釈迦寺奥之院)】
【73_七段花(しちだんか)(出釈迦寺奥之院)】
七段花は江戸時代に来日したオランダ人の医師シーボルトが「日本植物誌」で紹介して以来、日本人の誰もがその実物を見たものがなく「幻の花」と呼ばれて長い間探し続けられていた。1959(昭和34)年、約130年ぶりに六甲山(神戸)で見つかり「神戸市立森林植物園」などが栽培を続けている。捨身ヶ嶽禅定の参道に植栽されている。
出釋迦寺の開基には、弘法大師幼少期の数ある伝説のひとつ「捨身ヶ嶽」縁起にゆかりがあります。それは、弘法大師が“真魚”と呼ばれていた7歳の時。我拝師山に登り「私は将来仏門に入り、仏の教えを広めて多くの人を救いたい。私の願いが叶うなら釈迦如来よ、姿を現したまえ。もし叶わぬのなら一命を捨ててこの身を諸仏に捧げる」と、断崖絶壁から身を投じました。すると、紫色の雲が湧き、釈迦如来と羽衣をまとった天女が舞い降り、雲の中で弘法大師を抱きとめました。命を救われ、願いが叶うことを示された弘法大師は、青年になって我拝師山の山頂で刻んで安置し、堂宇を建てたといいます。
この場所は「捨身ヶ嶽禅定」といわれ元は札所でしたが、今は寺の奥の院となり、境内から急坂を50分ほど上がった場所にあります。弘法大師が虚空蔵菩薩の真言を100万回唱える「求聞持法」を修めたことから「求聞持院」という院号がつきました。ここで拝むとすばらしい記憶力が得られ、学業成就や物忘れにご利益があるといわれています。
また、弘法大師が身を投じた場所は、ここからさらに50mほど登った場所にあります。下を見れば足のすくむような深い谷底ですが、眼下には讃岐平野や瀬戸内海を一望できる絶景が広がります。
住所 | 香川県善通寺市吉原町1091 |
---|---|
行き方 | 72【曼荼羅寺】より
|
名称 | 出釋迦寺 |
---|---|
読み方 | しゅっしゃかじ |
参拝時間 | 7:00~17:00 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
電話番号 | 0877-63-0073 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
四国八十八ヶ所霊場(お遍路) | |
---|---|
七ヶ所まいり(しちかしょまいり・ななかしょまいり) 第3番 | 御本尊:釈迦如来、恵比寿天 御詠歌: おんいんだらやそわか |
ご本尊 | 釈迦如来 |
---|---|
山号 | 我拝師山(がばいしざん) |
院号 | 求聞持院(ぐもんじいん) |
宗旨・宗派 | 真言宗御室派 |
創建時代 | 奈良後期〜平安時代前期 |
開山・開基 | 弘法大師 |
文化財 | 木造不動明王立像、禅定石造層塔(善通寺市指定有形文化財) |
ご由緒 | 出釋迦寺の開基には、弘法大師幼少期の数ある伝説のひとつ「捨身ヶ嶽」縁起にゆかりがあります。それは、弘法大師が“真魚”と呼ばれていた7歳の時。我拝師山に登り「私は将来仏門に入り、仏の教えを広めて多くの人を救いたい。私の願いが叶うなら釈迦如来よ、姿を現したまえ。もし叶わぬのなら一命を捨ててこの身を諸仏に捧げる」と、断崖絶壁から身を投じました。すると、紫色の雲が湧き、釈迦如来と羽衣をまとった天女が舞い降り、雲の中で弘法大師を抱きとめました。命を救われ、願いが叶うことを示された弘法大師は、青年になって我拝師山の山頂で刻んで安置し、堂宇を建てたといいます。
|
体験 | 御朱印札所・七福神巡り |
ホトカミには、日本最大となる全国15万8千件の神社お寺の情報や、2万件以上の御朱印のオリジナルデータがあります。
ご利用になりたい法人様やメディア関係の方々は、こちらよりお気軽にご相談ください。
利用開始をもって利用規約・プライバシーポリシーに
同意したものとみなします。
ホトカミで困ったこと、不具合のご報告はこちらから
お問い合わせ
18
0