じんねいん|真言宗大覚寺派|七宝山(しっぽうざん)
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神恵院の御朱印・御朱印帳
限定 | - | ||
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御朱印帳 | |||
参拝時間 | 7:00~17:00 | ||
電話番号 | 0875-25-3871 | ||
巡礼 | 四国八十八ヶ所霊場(お遍路) 四国八十八箇所68番 |
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神恵院 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)
観音寺と同一境内です。
神恵院 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)
神恵院 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)
神恵院 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)
神恵院 お遍路 四国八十八霊場(逆打ち)
真言宗大覚寺派別格本山 七宝山 神恵院
四国八十八箇所霊場 第68番札所
琴弾公園内に位置しています。
こちら68番神恵院と、69番観音寺は同じ境内にある、ということは事前に知ってはいたものの、二寺の本堂は50mほどの距離にあることに驚きました。
本堂は平成14年の改修で、現在の位置に移されコンクリート造りとなっていました。
旧本堂は観音寺薬師堂となっています。
旧本堂は観音寺本堂から25mほどのところになるので、今よりもさらに近かったんですね。
ご本尊 阿弥陀如来
ご詠歌
笛の音も 松吹く風も 琴弾くも
歌うも舞うも 法のこえごえ
大宝3年(703年)、海の彼方に八幡大菩薩が降臨した神船が琴の音と共に現れた。
日證上人が里人とともに神船と琴を引き上げ、山頂に琴弾八幡宮として祀られ神宮寺を建立。
大同2年(807年)に弘法大師がここを訪れ、七堂伽藍を建立。
山号を七宝山、寺号を観音寺と改められ、八幡宮の別当に神恵院があてられました。
四国八十八ヶ所霊場の始まりに際して、琴弾八幡宮が第68番札所、観音寺が第69番札所となりましたが、神仏分離令により琴弾八幡宮が霊場から切り離され、神恵院が第68番札所になったとのこと。
納経所にてお納経を書いていただいた際に、「お遍路を始めたばかりであまり作法がわかっていないのですが、こんな服装でお参りしてもよろしいのでしょうか」というお話をすると、笑顔で次のように答えていただけました。
「他のお遍路さんにご迷惑や不快な思いをさせなければ、まったく問題ないですよ。ご本人が気持ちよくお参りできることが一番です。」と。
でもいつかは白衣に輪袈裟姿でお参りしたいなと思います。
仁王門
奥に見えてるのが閼伽井
本堂
交通厄除地蔵
この先も車で長距離移動の予定だったため、交通安全を祈願しました。
大師堂
鐘楼
ものすごい彫刻でした!
観音寺薬師堂
神恵院の旧本堂になります。
大楠は大迫力でした
【七宝山(しっぽうざん)神恵院(じんねいん)】
本尊:阿弥陀如来
宗派:真言宗大覚寺派
開基:日証上人
第68番札所 神恵院と第69番札所 観音寺は同じ境内に存在する珍しい霊場。703(大宝3年)、法相(ほっそう)宗の高僧・日証(にっしょう)上人がこの地で修行中、琴を弾く老人が乗る舟を海上に見た。この老人は八幡大明神であることを知った上人は、その琴と舟を山上に祀り琴弾八幡宮を建てた。このとき、別当寺として開いた神宮寺が起源とされる。その後、807(大同2)年、弘法大師(774-835)が琴弾八幡宮の本地仏である阿弥陀如来を描き本尊として祀り、「神恵院」とし、第68番霊場とした。
その後、明治の神仏分離令で、琴弾八幡宮に安置されていた阿弥陀如来図は観音寺境内の西金堂(さいこんどう)に移され、これをきっかけに西金堂は神恵院本堂となった。
【68_T.Hamada's view】
階段の上が薬師堂。薬師堂は、元神恵院本堂で、西金堂。
【68_巍巍園(ぎぎえん)】
山の斜面を利用して築庭された「巍巍園」は、手入れの行き届いた室町時代の回遊式庭園。春にはツツジが美しく咲き誇る。(四国霊場開創1200年記念絵はがき)
【68_巍巍園(ぎぎえん)】
【68_本堂】
境内の別の場所に、2002(平成14)年に鉄筋コンクリートで新築。元の本堂は薬師堂に戻された。
【68_本堂の内部】
【68_本堂の天井】
【68_大師堂】
【68_預修殿(よしゅうでん)の閻魔大王】
新しくなった納経所に安置。
【68_石楠花(しゃくなげ)】
トイレの横で咲いていた石楠花。何とも言えず美しい色で咲いていた。
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