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さぬきこくぶんじ|真言宗御室派白牛山(はくぎゅうざん)

讃岐國分寺
公式香川県 国分駅

7:00~17:00
(入山は16:30まで)

讃岐國分寺について

四国で唯一の国指定の特別史跡。1300年前の創建寺の金堂と七重の塔の礎石が残る。史跡公園が隣接し、出土遺物を展示する讃岐国分寺跡史料館(市営)も隣接。

おすすめの投稿

くるくるきよせん
くるくるきよせん
2024年03月11日(月)
1989投稿

憧れの四国八十八霊場巡り日帰り5回目です。
白峯寺から車で20分ほどで着きます。
駐車場に停められる台数も多く お参りしやすいです。
仁王門をくぐって真っすぐ行くと本堂があります。
ご本尊の十一面千手観世音菩薩は見ることができます。
あくびちゃんという幸せの白猫もいます。
境内社で 春日神社と良縁社があります。
良縁社は 金箔を貼って祈願することになっていました。
また狛犬が珍しいタイプでした。
池にはお願い弁財天がいます。七福神勢ぞろいです。
願掛け不動明王もいます。
願掛け大師像もあります。
願掛けばかりですね。
大師堂の地下には千体地蔵が並んでいます。
大師堂では様々な拝受品を購入できます。
大日如来堂は工事中で 大日如来像を500年ぶりに完全再現するためのクラウドファンディングが行われていました。
すでに目標を達成されているようでした。
境内にはミニ四国八十八か所の石仏が並んでいます。
見どころが多くて 時間が早く経ってしまいます。

山号は白牛山 院号は千手院 宗旨宗派は真言宗御室派 寺格は別格本山 ご本尊は十一面千手観世音菩薩 創建年は天平勝宝8歳(756年)以前 開基は(伝)行基です。

ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ばさら たらま きりく
ご詠歌:国を分け野山をしのぎ寺々に まいれる人を助けましませ
でした。

由緒については
国分寺は天平13年(741年)聖武天皇が発した国分寺建立の詔により全国六十八箇所に建立されたとされ 当寺もその頃の創建と推測される。
寺伝では 行基が丈六の十一面千手観世音菩薩を本尊として開基したとされる(現存する本尊像は当時のものではないが 四国霊場の江戸期以前作の仏像で 丈六仏は善通寺の薬師如来坐像と当寺本尊のみで しかも立像であるので四国霊場で最大の大きさである)。
史実としての具体的な創建年は定かでない。
『続日本紀』には天平勝宝8歳(756年)に「讃岐国を含む26か国の国分寺に仏具等を下賜」との記載があり この頃に寺観が整っていたと考えられる。
明徳2年(1391年)の文献には当寺が西大寺の末寺である旨が記されており その他の文献から鎌倉末期までには西大寺末となっていたと推測されており現存本堂の建造も西大寺系の僧が関わっていたものと考えられる。
天正の兵火により本堂と本尊と鐘楼を残しほとんどが焼失した。
その後 江戸時代には讃岐高松藩主から崇敬され 63石前後の寺領寄進を受けた。
とありました。

讃岐國分寺(香川県)

山門(仁王門)

讃岐國分寺(香川県)
讃岐國分寺(香川県)
讃岐國分寺(香川県)
讃岐國分寺(香川県)
讃岐國分寺の歴史

縁起略記

讃岐國分寺(香川県)

山門の扁額

讃岐國分寺(香川県)

鐘楼

讃岐國分寺(香川県)

鐘楼の由緒

讃岐國分寺(香川県)

お迎え弁財天

讃岐國分寺(香川県)

閻魔堂

讃岐國分寺(香川県)

国分寺由来

讃岐國分寺(香川県)

延命地蔵尊

讃岐國分寺(香川県)

本堂

讃岐國分寺(香川県)

本堂由緒

讃岐國分寺(香川県)

本堂内陣

讃岐國分寺(香川県)

こういう鐘は何と呼ぶのでしょうか

讃岐國分寺の末社

春日神社

讃岐國分寺(香川県)

福龍の看板 ぼろぼろ

讃岐國分寺(香川県)

本殿でしょう

讃岐國分寺(香川県)

古木とお地蔵様

讃岐國分寺(香川県)

良縁社

讃岐國分寺(香川県)

珍しいタイプの狛犬

讃岐國分寺(香川県)

金箔を貼って祈願します

讃岐國分寺(香川県)

松葉でハートマーク

讃岐國分寺(香川県)

お願い弁財天

讃岐國分寺(香川県)

水かけ地蔵

讃岐國分寺の手水

手水は龍

讃岐國分寺(香川県)

願かけ不動明王

讃岐國分寺(香川県)

修行大師像と寿老人

讃岐國分寺(香川県)

願掛大師 金箔を貼って願掛けします

讃岐國分寺(香川県)

稚児大師

讃岐國分寺(香川県)

釈迦如来と仏足石

讃岐國分寺(香川県)

水子地蔵

讃岐國分寺(香川県)

鳥芻沙摩明王尊

讃岐國分寺(香川県)

千躰地蔵

讃岐國分寺(香川県)

入口

讃岐國分寺(香川県)

それぞれのお地蔵様に 奉納者のお名前が

讃岐國分寺(香川県)
讃岐國分寺(香川県)

しだれ梅

讃岐國分寺(香川県)
讃岐國分寺(香川県)

福松

讃岐國分寺(香川県)

大師堂

讃岐國分寺(香川県)
讃岐國分寺(香川県)

仏足石

讃岐國分寺(香川県)

大日如来堂

讃岐國分寺(香川県)

ミニ四国八十八か所の石仏が並んでいます

讃岐國分寺(香川県)
讃岐國分寺の仏像
讃岐國分寺(香川県)

千体地蔵堂

讃岐國分寺(香川県)
讃岐國分寺(香川県)

ミニ四国八十八か所の石仏が並んでいます

讃岐國分寺(香川県)

石柱

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かっこ
かっこ
2022年05月31日(火)
463投稿

四国お遍路第80番札所、白牛山千手院国分寺。聖武天皇勅願の国分寺の一つ。ご本尊は行基菩作十一面千手観世音菩薩。

讃岐國分寺(香川県)
讃岐國分寺の建物その他
讃岐國分寺(香川県)

ミニ四国88ヶ所巡り。

讃岐國分寺の像

お迎え弁財天。

讃岐國分寺の本殿

入母屋造の本堂は鎌倉中期。

讃岐國分寺(香川県)

本堂。

讃岐國分寺の仏像
讃岐國分寺(香川県)

えんむすび

讃岐國分寺の像

七福神。紫外線は女性の敵ですからね。弁財天さまだけ屋根付き。

讃岐國分寺(香川県)

稚児大師。

讃岐國分寺の建物その他

多分長沢芦雪のうしといぬ。「看板の後ろでしゃがんで、こっち向くよ」素直に顔はめパネルで🐶になるおじい。

讃岐國分寺(香川県)

またまた良縁結び。

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歴史

奈良時代の創建当時の遺構をよく残した寺で、旧境内の全域が四国で唯一の国の特別史蹟。本堂は、前面と背面に桟唐戸のある鎌倉中期に再建されたものです。また境内地の中心部には創建当時の本堂の礎石・33個が点々と配置されていて、現在の唐招提寺の金堂に匹敵する規模です。また、山門を入ってすぐ右手には七重の塔の礎石も残り、現存すれば京都・東寺の五重塔を超す大塔だったと推定されます。寺の創建は聖武天皇の時代。勅命を受けた行基菩薩がの開基した讃岐の国の国分寺です。その後、弘仁年間(810〜823)に弘法大師が本尊千手観音像を修理し、霊場に定めますが、「天正の兵火」で堂塔のほとんどを焼失。鎌倉時代には西大寺の末寺であったとする記録があり、その頃、現在の本堂が建てられ、その後、高松藩主・生駒氏や松平氏のひ護を受け、今に至ります。
また、この寺で有名なのは四国最古の梵鐘(ぼんしょう)大蛇がかぶっていたという伝説とともに次のような実話があります。江戸初期の藩主・生駒一正公は、当時この鐘を高松城の鐘にしようと、田1町(ちょう)と引き換えに手に入れます。ところが、城へ運ぼうとすると思ったより異様に、大勢の人馬を必要としました。しかも、城についた途端音がならず、おまけに城下では悪病が流行。そして、自身も病に倒れた 一正公の枕元に毎夜鐘が現れ「もとの国分へいぬ(帰りたい)」と泣くのです。そこで結局、鐘は国分寺へ返すことに。城に運んだ時と違い、今度はなぜか少人数でも軽々と運べた上、鐘が国分寺へ戻った途端悪病は治まり、再び美しい音色を聞かせるようになったという伝説が残っています。

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讃岐國分寺の基本情報

住所香川県高松市国分寺町国分2065
行き方

国分駅より徒歩4分(0.3km)
79【天皇寺】より
(自家用車)約15分 約7km
(徒歩)約1時間30分 約6.3km
81【白峯寺】より
(自家用車)約30分 約14km
(徒歩)約2時間 約6.7km
高松空港より車で25分
大阪神戸から当寺すぐそばまで直通バス有り(社名:フットバス)

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名称讃岐國分寺
読み方さぬきこくぶんじ
通称四国80番札所
参拝時間

7:00~17:00
(入山は16:30まで)

参拝にかかる時間

30分

参拝料

なし

トイレ大師堂への門を入ってすぐ右側
御朱印あり

限定御朱印あり
御朱印帳あり
電話番号087-874-0033
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttp://sanukikokubunji.jp/
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巡礼の詳細情報

四国八十八ヶ所霊場(お遍路)

詳細情報

ご本尊十一面千手観世音菩薩(像高5.7m、四国最大の一木造りの仏像、国の重要文化財)
この観音様に願い事をすれば、「叶わぬということなし」と
江戸時代の文献に記されるほどの御利益がある。
山号白牛山(はくぎゅうざん)
院号千手院(せんじゅいん)
宗旨・宗派真言宗御室派
創建時代天平13年(741)
開山・開基行基
本堂単層本瓦葺屋根入母屋造り
文化財

本堂、木造千手観音立像、銅鐘(重要文化財)
讃岐国分寺跡(国の特別史跡)

ご由緒

奈良時代の創建当時の遺構をよく残した寺で、旧境内の全域が四国で唯一の国の特別史蹟。本堂は、前面と背面に桟唐戸のある鎌倉中期に再建されたものです。また境内地の中心部には創建当時の本堂の礎石・33個が点々と配置されていて、現在の唐招提寺の金堂に匹敵する規模です。また、山門を入ってすぐ右手には七重の塔の礎石も残り、現存すれば京都・東寺の五重塔を超す大塔だったと推定されます。寺の創建は聖武天皇の時代。勅命を受けた行基菩薩がの開基した讃岐の国の国分寺です。その後、弘仁年間(810〜823)に弘法大師が本尊千手観音像を修理し、霊場に定めますが、「天正の兵火」で堂塔のほとんどを焼失。鎌倉時代には西大寺の末寺であったとする記録があり、その頃、現在の本堂が建てられ、その後、高松藩主・生駒氏や松平氏のひ護を受け、今に至ります。
また、この寺で有名なのは四国最古の梵鐘(ぼんしょう)大蛇がかぶっていたという伝説とともに次のような実話があります。江戸初期の藩主・生駒一正公は、当時この鐘を高松城の鐘にしようと、田1町(ちょう)と引き換えに手に入れます。ところが、城へ運ぼうとすると思ったより異様に、大勢の人馬を必要としました。しかも、城についた途端音がならず、おまけに城下では悪病が流行。そして、自身も病に倒れた 一正公の枕元に毎夜鐘が現れ「もとの国分へいぬ(帰りたい)」と泣くのです。そこで結局、鐘は国分寺へ返すことに。城に運んだ時と違い、今度はなぜか少人数でも軽々と運べた上、鐘が国分寺へ戻った途端悪病は治まり、再び美しい音色を聞かせるようになったという伝説が残っています。

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