さぬきこくぶんじ|真言宗御室派|白牛山(はくぎゅうざん)
讃岐國分寺公式香川県 国分駅
7:00~17:00
(入山は16:50まで)
2023年06月02日(金) 00時00分〜
いよいよ最終回となる「空海の大日如来像」再現プロジェクトのクラウドファンディングが始まりました。6/2〜8/31までです。
讃岐国分寺【空海の大日如来像】史上初の完全再現にご参加を!|最終章
https://readyfor.jp/projects/sanukikokubunji_03
苦節10年、ついにこの秋完成を迎えます。そごう美術館では明日6/3から大森暁生展も始まります。本プロジェクトより、仏頭や獅子4体の展示があります。
クラウドファンディングへのご支援をお願い申し上げますとともに、大森暁生展、ぜひ、ご覧くださいませ。
ここまで来ることができたのも、皆様のご支援のおかげです。これまでのご支援に対し、心より御礼申し上げます。そごう美術館の展示、楽しんでいただければ幸いです。合掌
NHK高松放送局の夕方のニュース番組『ゆう6かがわ』にて、当山がご支援者の皆様とともに取り組んでいる「空海の大日如来像再現プロジェクト」について、特集ニュースで報道していただきました。
こちらのNHK高松放送局のサイトにて全国の方がご覧いただけますとともに、画像と文章でも詳しく説明が掲載されております。なお、仏像の顔だけが黒いのはまだ制作中で、金箔を貼っていない漆塗りの状態だからです。今後、顔にも金箔を貼り金色になります。
https://www.nhk.or.jp/takamatsu/report/article/20230419/index.html
2013年5月に彫刻家の大森暁生先生に初めてお会いして依頼をご快諾いただき、それから大森先生は構想を練りつつ、仏像用に最高の材木を大量に集め始めました。10年前の当時でもすでに今回の造仏に適した国産ヒノキの大きな材というのは滅多になく、大森先生から「近来稀に見る最高の材木が手に入った」と聞き、私も喜んだことを覚えております。
以来、当山では参拝客に対して口頭での勧進を続けながら、東京の工房ではひたすら制作を続けてまいったわけですが、その間、さまざまなことがありました。中でもとりわけ、新型コロナウイルスによる影響は大きく、参拝客が激減し、勧進もできなくなってしまいました。そこで、クラウドファンディングに挑戦し、大勢の方からご支援いただくことで、ようやく、今日の完成目前のところまで来ることができました。ひとえに、このプロジェクトにご賛同いただき、ご支援いただいた皆様のおかげと、心より感謝申し上げます。まことに、ありがとうございます。
この仏像は、これまでに誰も見たことがないような美しさと神秘性を兼ね備えたものであり、参拝者の心を打つこと間違いありません。しかし、この仏像を輝かせるためには、お堂の改修が必要不可欠です。そこで、現在、当山では改修工事の方を着々と進めているところですが、計画の長期化と最近の建築資材の高騰により想定を大きく上回る工事費用が必要となり、皆様からのご支援を募っております。寄せられたご支援は、完成までの仏像造りとお堂の改修に充てさせて頂き、ご支援いただくことで素晴らしい仏像を多くの人に拝観していただくために貢献することになります。
6/3~7/9は横浜そごう美術館、7/22~8/16は富山県氷見市芸術文化館にて、それぞれ大森暁生先生の特別展があり、今回の大日如来像再現プロジェクトの展示コーナーが設けられます。この機会にぜひご高覧賜れば幸いです。それとともに、6月から8月までの3か月間、本プロジェクトの最終クラウドファンディングを開催する予定です。完成と公開までには、まだまだ多くの方からのご支援を必要としております。本年10月に予定している公開まで、引き続き温かいご支援とご協力を何卒よろしくお願いいたします。
合掌 南無大師遍照金剛
讃岐国分寺住職 大塚純司九拝
御朱印 | |||
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限定 | - | ||
御朱印帳 | |||
駐車場 | 山門前 約20台(無料)
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四国で唯一の国指定の特別史跡。1300年前の創建寺の金堂と七重の塔の礎石が残る。史跡公園が隣接し、出土遺物を展示する讃岐国分寺跡史料館(市営)も隣接。
憧れの四国八十八霊場巡り日帰り5回目です。
白峯寺から車で20分ほどで着きます。
駐車場に停められる台数も多く お参りしやすいです。
仁王門をくぐって真っすぐ行くと本堂があります。
ご本尊の十一面千手観世音菩薩は見ることができます。
あくびちゃんという幸せの白猫もいます。
境内社で 春日神社と良縁社があります。
良縁社は 金箔を貼って祈願することになっていました。
また狛犬が珍しいタイプでした。
池にはお願い弁財天がいます。七福神勢ぞろいです。
願掛け不動明王もいます。
願掛け大師像もあります。
願掛けばかりですね。
大師堂の地下には千体地蔵が並んでいます。
大師堂では様々な拝受品を購入できます。
大日如来堂は工事中で 大日如来像を500年ぶりに完全再現するためのクラウドファンディングが行われていました。
すでに目標を達成されているようでした。
境内にはミニ四国八十八か所の石仏が並んでいます。
見どころが多くて 時間が早く経ってしまいます。
山号は白牛山 院号は千手院 宗旨宗派は真言宗御室派 寺格は別格本山 ご本尊は十一面千手観世音菩薩 創建年は天平勝宝8歳(756年)以前 開基は(伝)行基です。
ご真言とご詠歌は
本尊真言:おん ばさら たらま きりく
ご詠歌:国を分け野山をしのぎ寺々に まいれる人を助けましませ
でした。
由緒については
国分寺は天平13年(741年)聖武天皇が発した国分寺建立の詔により全国六十八箇所に建立されたとされ 当寺もその頃の創建と推測される。
寺伝では 行基が丈六の十一面千手観世音菩薩を本尊として開基したとされる(現存する本尊像は当時のものではないが 四国霊場の江戸期以前作の仏像で 丈六仏は善通寺の薬師如来坐像と当寺本尊のみで しかも立像であるので四国霊場で最大の大きさである)。
史実としての具体的な創建年は定かでない。
『続日本紀』には天平勝宝8歳(756年)に「讃岐国を含む26か国の国分寺に仏具等を下賜」との記載があり この頃に寺観が整っていたと考えられる。
明徳2年(1391年)の文献には当寺が西大寺の末寺である旨が記されており その他の文献から鎌倉末期までには西大寺末となっていたと推測されており現存本堂の建造も西大寺系の僧が関わっていたものと考えられる。
天正の兵火により本堂と本尊と鐘楼を残しほとんどが焼失した。
その後 江戸時代には讃岐高松藩主から崇敬され 63石前後の寺領寄進を受けた。
とありました。
山門(仁王門)
縁起略記
山門の扁額
鐘楼
鐘楼の由緒
お迎え弁財天
閻魔堂
国分寺由来
延命地蔵尊
本堂
本堂由緒
本堂内陣
こういう鐘は何と呼ぶのでしょうか
春日神社
福龍の看板 ぼろぼろ
本殿でしょう
古木とお地蔵様
良縁社
珍しいタイプの狛犬
金箔を貼って祈願します
松葉でハートマーク
お願い弁財天
水かけ地蔵
手水は龍
願かけ不動明王
修行大師像と寿老人
願掛大師 金箔を貼って願掛けします
稚児大師
釈迦如来と仏足石
水子地蔵
鳥芻沙摩明王尊
千躰地蔵
入口
それぞれのお地蔵様に 奉納者のお名前が
しだれ梅
福松
大師堂
仏足石
大日如来堂
ミニ四国八十八か所の石仏が並んでいます
千体地蔵堂
ミニ四国八十八か所の石仏が並んでいます
石柱
四国お遍路第80番札所、白牛山千手院国分寺。聖武天皇勅願の国分寺の一つ。ご本尊は行基菩作十一面千手観世音菩薩。
ミニ四国88ヶ所巡り。
お迎え弁財天。
入母屋造の本堂は鎌倉中期。
本堂。
えんむすび
七福神。紫外線は女性の敵ですからね。弁財天さまだけ屋根付き。
稚児大師。
多分長沢芦雪のうしといぬ。「看板の後ろでしゃがんで、こっち向くよ」素直に顔はめパネルで🐶になるおじい。
またまた良縁結び。
奈良時代の創建当時の遺構をよく残した寺で、旧境内の全域が四国で唯一の国の特別史蹟。本堂は、前面と背面に桟唐戸のある鎌倉中期に再建されたものです。また境内地の中心部には創建当時の本堂の礎石・33個が点々と配置されていて、現在の唐招提寺の金堂に匹敵する規模です。また、山門を入ってすぐ右手には七重の塔の礎石も残り、現存すれば京都・東寺の五重塔を超す大塔だったと推定されます。寺の創建は聖武天皇の時代。勅命を受けた行基菩薩がの開基した讃岐の国の国分寺です。その後、弘仁年間(810〜823)に弘法大師が本尊千手観音像を修理し、霊場に定めますが、「天正の兵火」で堂塔のほとんどを焼失。鎌倉時代には西大寺の末寺であったとする記録があり、その頃、現在の本堂が建てられ、その後、高松藩主・生駒氏や松平氏のひ護を受け、今に至ります。
また、この寺で有名なのは四国最古の梵鐘(ぼんしょう)大蛇がかぶっていたという伝説とともに次のような実話があります。江戸初期の藩主・生駒一正公は、当時この鐘を高松城の鐘にしようと、田1町(ちょう)と引き換えに手に入れます。ところが、城へ運ぼうとすると思ったより異様に、大勢の人馬を必要としました。しかも、城についた途端音がならず、おまけに城下では悪病が流行。そして、自身も病に倒れた 一正公の枕元に毎夜鐘が現れ「もとの国分へいぬ(帰りたい)」と泣くのです。そこで結局、鐘は国分寺へ返すことに。城に運んだ時と違い、今度はなぜか少人数でも軽々と運べた上、鐘が国分寺へ戻った途端悪病は治まり、再び美しい音色を聞かせるようになったという伝説が残っています。
住所 | 香川県高松市国分寺町国分2065 |
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行き方 | 国分駅より徒歩4分(0.3km)
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名称 | 讃岐國分寺 |
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読み方 | さぬきこくぶんじ |
通称 | 四国80番札所 |
参拝時間 | 7:00~17:00
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参拝にかかる時間 | 30分 |
参拝料 | なし |
トイレ | 大師堂への門を入ってすぐ右側 |
御朱印 | あり |
限定御朱印 | なし |
御朱印帳 | あり |
電話番号 | 087-874-0033 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
ホームページ | http://sanukikokubunji.jp/ |
SNS |
四国八十八ヶ所霊場(お遍路) |
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ご本尊 | 十一面千手観世音菩薩(像高5.7m、四国最大の一木造りの仏像、国の重要文化財) この観音様に願い事をすれば、「叶わぬということなし」と 江戸時代の文献に記されるほどの御利益がある。 |
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山号 | 白牛山(はくぎゅうざん) |
院号 | 千手院(せんじゅいん) |
宗旨・宗派 | 真言宗御室派 |
創建時代 | 天平13年(741) |
開山・開基 | 行基 |
本堂 | 単層本瓦葺屋根入母屋造り |
文化財 | 本堂、木造千手観音立像、銅鐘(重要文化財)
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ご由緒 | 奈良時代の創建当時の遺構をよく残した寺で、旧境内の全域が四国で唯一の国の特別史蹟。本堂は、前面と背面に桟唐戸のある鎌倉中期に再建されたものです。また境内地の中心部には創建当時の本堂の礎石・33個が点々と配置されていて、現在の唐招提寺の金堂に匹敵する規模です。また、山門を入ってすぐ右手には七重の塔の礎石も残り、現存すれば京都・東寺の五重塔を超す大塔だったと推定されます。寺の創建は聖武天皇の時代。勅命を受けた行基菩薩がの開基した讃岐の国の国分寺です。その後、弘仁年間(810〜823)に弘法大師が本尊千手観音像を修理し、霊場に定めますが、「天正の兵火」で堂塔のほとんどを焼失。鎌倉時代には西大寺の末寺であったとする記録があり、その頃、現在の本堂が建てられ、その後、高松藩主・生駒氏や松平氏のひ護を受け、今に至ります。
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体験 | おみくじ絵馬仏像御朱印博物館お守り重要文化財札所・七福神巡り除夜の鐘伝説 |
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