たっこくさいこうじ|天台宗
達谷西光寺のお参りの記録一覧
達谷窟毘沙門堂。御本尊は、不動明王。
東北三十六不動尊霊場 第23番札所
境内入口に鳥居。神仏習合の社寺です。
狛犬
ずいぶん昔から守ってきたのですね。
懸造のお堂が見えてきました。😯
大きさに圧倒されます。
上がらせていただきました。
パワー感じます。😵💫
いただいた御朱印
散華付けていただきました。🎶😊🙌
毘沙門堂だけでなく不動堂(建替中)、岩面大仏、辨天堂、金堂と見どころがたくさんでした。
(拝観料¥500)
最強のお札と言われる牛王宝印(ごおうほういん)には頒布期間があるようです。
達谷窟毘沙門堂御朱印
蝦蟇ヶ池辨天堂御朱印
姫待不動明王御朱印
牛王宝印
岩手県西磐井郡平泉に在る岩壁に寺院が在る、達谷窟毘沙門堂に行きました、赤色の拝殿、岩面大仏。最強のお札が有名な寺院です、どの様な寺院か知識が無いので調べて見ました、延暦20年征夷大将軍坂上田村麻呂公の創建、一千二百余年の歴史を誇る護国の精舎で、その祭事を執行する別當の達谷西光寺は、翌延暦21年奥真上人によって開かれました。
東北地方を代表する古刹であり「達谷窟」として、国史跡に指定されております。毘沙門天が本尊として祀られ、ご利益としては、必勝祈願・長寿・縁結び・子宝・学業成就などのご利益があるとされています。拝観料掛かりますが建造物、色、木々、 隣の岩壁に刻まれる"北限の磨崖像"と言われる、岩面大佛どれをとっても見応えが在ります。紅葉時期に平泉とセットで巡るのが良いと思いますよ、歴史的建造物、パワースポット、参拝、仏閣、神社巡り、世界遺産平泉観光、絶景、景色撮影、東北三十六不動尊霊場巡り、御朱印集め等好きな方訪れて見て下さい。入り口受付にて、オリジナル御朱印帳、お札、御朱印、受付で販売してます。ここで頂ける護符、牛玉寳印(ごおうほういん)は、悪鬼を払い福を招く「最強のお札」と名高いですよ。
801年征夷大将軍・坂上田村麻呂の創建。
1615年伊達政宗再建の毘沙門堂が残っていたが、1946年の火災で焼失。現在の建物は1961年の再建である。
岩面大仏は毘沙門堂の西に刻まれている。
前九年の役、後三年の役で亡くなった敵味方の人々を供養するために源義家が彫ったと伝わる。
全高32m、顔の長さ3.6m。北限の磨崖佛とされる。
不動堂は補修工事中。屋根から木が生えるくらい痛んでいた。
毘沙門堂
毘沙門堂
毘沙門堂
毘沙門堂
毘沙門堂
毘沙門堂
蝦蟆ヶ池弁天堂
金堂
金堂
金堂
不動堂
不動堂
不動堂
壱之鳥居
弐之鳥居
参之鳥居
【陸奥国 古刹巡り】
達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわや・毘沙門堂)は、岩手県西磐井郡平泉町にある毘沙門天を祀った堂宇。別当は達谷西光寺。境内は国の史跡。
創建は平安時代初期の801年、桓武天皇の勅を受けた坂上田村麻呂が、蝦夷の惡路王、赤頭、髙丸を打ち破り、蝦夷が賽を構えたこの窟に京の清水の舞台を模した九間四面の精舎を建て、百八体の毘沙門天を祀り、鎮護国家の祈願所として毘沙門堂と名付けたのが始まり。翌802年、別当寺として達谷西光寺を創建し、奥真上人を開基として広大な寺領を定めた。のち前九年の役、後三年の役の折、源頼義・義家父子が戦勝祈願のため寺領を寄進、奥州藤原氏初代清衡、二代基衡が七堂伽藍を建立した。1189年には源頼朝が奥州合戦の帰路に参詣している。以後歴代領主に崇敬され、江戸時代には伊達政宗が毘沙門堂を再建、伊達家の祈願寺として寺領を寄進した。現在の毘沙門堂は昭和戦後の火災で焼失後、1961年に五代目として再建されたもの。
当堂宇は、JR東北本線・平泉駅の西南西6kmの平地にある。太田川という小川に沿って県道31号線が走り、その北側にある。境内は東西に長く、さほど広くはない。メインの毘沙門堂は数十mの崖に食い込むように建っているのが有名。その西側にある岩面大佛も知られている。この他、金堂、辨天堂、不動堂などが建っている。境内入口の三鳥居を含め、とっても印象に残る寺院で観光地として人気。
今回は、旅行情報サイト・じゃらん、ぐるたび、4travelで岩手県の人気寺社仏閣として挙がっていたことから参拝することに。参拝時は休日の午後で、多くの家族連れなどが参拝に訪れていた。
境内東端入口全景。県道に沿って境内は東西に伸びている。
境内入口の。鳥居があるけど、寺院?神社?日本人でも混乱させられる...(^_^;)
入口右側の<拝観案内所>。御朱印はこちら。
まず<一の鳥居>。江戸時代の建立。面白い形の扁額には「辨財」の文字。
つづいて<二の鳥居>。昭和戦後に再建。こちらの扁額には「達谷霊窟」とある。
最後に<三の鳥居>。明治初期の再建。扁額はデザイン文字で読みにくいが、たぶん「霊窟」。
当堂宇では江戸時代から鳥居が3つあったとのこと。
三の鳥居をくぐって、右前方に見える<毘沙門堂>。
三の鳥居をくぐって、左前方に見える<蝦蟆ヶ池(がまがいけ)>と<辨天堂>。
<毘沙門堂>の裏手の崖はこんな感じ。
毘沙門堂入口左側の<狛犬>。ずんぐりむっくり、髪の毛のカールが気になるかわいい狛犬。
毘沙門堂入口右側の<狛犬>。こちらはややオッサン顔でそんなにかわいくはない...(^_^;)
いよいよ<毘沙門堂>への階段を登る。
<毘沙門堂>入口。ここからは写真撮影禁止。順路を進むと反対側(西側)の階段から下りる。
毘沙門堂の南西側にある<岩面大佛>。高さ16.5m、顔面は3.6mある阿弥陀如来の磨崖仏。手前に拝所がある。
岩面大仏前から見た<毘沙門堂>。
辨天堂に向かう橋。立看板には「仲良き男女は別々にお参りください 別當」と面白い注意書き。
<辨天堂>全景。慈覚大師が辨財天女を自ら刻して祀ったとされる。
<辨天堂>正面。
辨天堂から見た<毘沙門堂>全景。
三の鳥居脇に立つ<奉行坊杉>。ここから杉の左側を東方向に進む。
小高い場所にある<鐘楼>。江戸時代初期1615年の建立。
鐘楼より低い場所にある<閼伽堂>。
参道進んで高い位置にある<姫待不動堂>。蝦夷の惡路王たちが京からさらって来た姫君を監禁、待ち伏せしたことからこう言われるみたい。現在の堂宇は江戸時代中期1789年の建立。
<姫待不動堂>正面。
<姫待不動堂>内部には不動明王の掛軸が見える。
姫待不動堂の裏手小高いところにある<金堂(本堂)>。本尊は薬師如来。
<金堂>正面。
<金堂>内部には金色の仏像が見える。
金堂の前にある、樹齢500年の<大オッコウ(イチイ)>。
巨木の根本にある、なんとか童子。
達谷毘沙門堂境内の東側にある、<達谷西光寺>の伽藍、境内。
最後に、自分が最も好きなアングルから<毘沙門堂>。(^▽^)/
抑々達谷窟は征夷大將軍坂上田村麿公により達谷の靈窟に創建された毘沙門堂を根本道場とし、その御神域に建つ諸堂と、別當達谷西光寺境内の諸堂、及び鎮守社からなる神佛混淆の社寺で、昔のまゝなのです。
古来毘沙門堂境内は殺生禁断地で、達谷西光寺境内と厳格に区別され、毘沙門様が主で別當は従来、毘沙門様に仕へ奉るのが勤めとされ、神事に関わる都合上、弔事に出仕した当日は、鳥居をくぐる事さえ叶わなくなるのです。從って壇家は一軒もなく、寺でありながら葬式を營まない大変珍しい寺であります。
嘗て達谷西光寺に於ては、飛澤にあった別當達谷西光寺廣照院正念坊を筆頭に、樺澤坊、下田坊の天台三箇院、さらに赤部あかぶの奉行坊を筆頭に敎覺院、龍覺坊、無量壽院といった本山派修驗の諸坊からなる一山寺院で、廣照院衆徒として勢い盛んでありました。然し度重なる戦乱で次第に荒廢し、江戸時代には本坊の正念坊と脇院の敎覺院を残すのみとなり、さらに明治維新の廢佛毀釋で、敎覺院は雲南神社として分離されて了ったのです。
参拝コースは決められており、まず受付をすませ両脇に木々が生い茂る参道を進むとすぐに清水寺を彷彿させる建物が姿を現します。これが毘沙門堂ですが、その壮麗は思わず立ち止まってしまうほどです。階段を登ってお香の匂いに包まれた堂内にはいるとその奥に数々の毘沙門天や仏様が整然とならんでいます。これだけでも必見の価値有りですが、毘沙門堂を出ると次に登場するのが源義家公が彫ったとされる岩面大佛です。その他辨天堂やアテルイ由来のお堂など境内はさほど広くはないのですが見応えじゅうぶんです。
国指定史跡・達谷窟毘沙門堂西側の大岩面壁に、11世紀に彫られたといわれる大磨崖仏[だいまがいぶつ]。高さ約16.5m、顔の長さ約3.6mもの貴重なもので、「北限の磨崖仏」として有名だ。明治29年(1895)、胸から下が崩落。風化が激しく、現在は顔のみが残る。
ここもお薦めしていただいたお寺です。なんでも、「最強の御札」がこの岩手県内で手に入る!ということで、足を伸ばしました!
毛越寺からさらに5キロほど離れたところにあり、寂しい場所ですが、駐車場には参拝客の車が多く停まっていました。
参拝路の順でお参りしましたが、やはりそびえる岩に沿って建つ毘沙門堂は素晴らしかったです!最強の御札「牛玉寳印」はこちらの中で頂けます。
写真を見ると、崖の上にあるようにも見えますが、駐車場から平坦な境内のなかにあるので、どなたでも無理なく参拝できますよ。
昨年末にこちらを知って、やっと念願叶い御札をGETして大満足です。
また、戦国ゆかりの神社巡りをしている子供の分とは別に、今回こちらで自分用にも御朱印帳を購入しました(^o^)
牛玉寳印をこんな感じで祀ってみました!
3種類の中から選べました。いちばんベーシックな御朱印。蝦蟇ヶ池辯天堂と姫待不動堂のものもありました。
今年の干支、虎の御朱印帳。御朱印帳って書いてないのはなんでだろう?
迫力のある場所でした。パワーを感じます。駐車場は道路の向かいでした。
達谷窟毘沙門堂
辯天堂、蝦蟇ケ池。カップルは別々に参拝する習わしだそうです。
岩面大佛。
金堂付近の大オッコウ。
厳美渓の帰りに寄りました。岩に張り付いているような本堂が特徴的です。
御朱印は拝観前に寺務所に預けるシステムです。
本堂
本堂
岩面大仏
蝦蟆々池辯天堂
姫待婦堂々
大オッコウ
いつかはお参りしたいと思っていた、達谷窟毘沙門堂についに来られた!
延暦二年(801)窟に籠る蝦夷を坂上田村麻呂率いる軍が激戦の末に打ち破り、それを毘沙門天の御加護と感じてそのお礼に京の清水の舞台を模し、百八躰の毘沙門天をお祀りしたのが、始まり、、すごいなぁ〰としか言葉がない!
毘沙門堂の入り口 道を挟んだ反対側には広い駐車場があります。
右側には寺務所。なんだかワクワクします。
ニノ鳥居
そして最後の鳥居
ここまでは林の中でしたが、毘沙門堂は拓けた場所にあるようです。
これか!
正面から
あっ狛犬さん、こんにちは!ちょっと、ほっぺた膨らませて怒ってる?
毘沙門様は悪鬼を降し福を招く。
合掌するのもよし、柏手を打つのもよし!
内部は圧巻です。撮影禁止。
御堂の中から外を撮影。結構高いです。
毘沙門堂の御朱印
御堂の前に蝦蟆ヶ池があります。
そこに浮かぶ辨天堂
慈覚大師が蝦蟆に化ける貧乏をもたらす貪欲神を、
弁財様のお使いである白蛇と共に封じ込めたという
蝦蟆ヶ池弁天堂の御朱印
毘沙門堂の横の顔面大佛
極楽の仏様、南無阿弥陀仏と唱えます。
前九年後三年の役で亡くなった敵味方の供養に、源義家が弓張を以て彫りつけたといわれている
寺務所の後ろにある姫待不動堂
蝦夷の悪路王らは京からさらってきた姫を窟上流の「籠姫」に閉じ込め「櫻野」で花見をする。逃げようとした姫を待ち伏せした瀧を「姫待瀧」と呼ぶようになる。
こちらは智証大師が飛び地境内の姫待瀧の本尊として祀られ、藤原基衡が再建、のちに現在地に移されている。
姫待不動明王の御朱印
金堂
御本尊は薬師如来
金堂前の大オッコウ
御供所
ごくうしょ、と読むようです。
供物を調える場所、神厨の事なんだそうだけど、具体的によくわからないが、内部は昔のかまどがあって、火が燃えていて暖かい雰囲気でした。
暖かい
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