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四天王寺聖徳太子1400年限定御朱印大バナー2022年10月※達谷西光寺ではいただけません

たっこくさいこうじ|天台宗

達谷西光寺

岩手県 平泉駅

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0191-46-4931

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御朱印について
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惣一郎
2022年07月02日(土)
971投稿

【陸奥国 古刹巡り】

達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわや・毘沙門堂)は、岩手県西磐井郡平泉町にある毘沙門天を祀った堂宇。別当は達谷西光寺。境内は国の史跡。

創建は平安時代初期の801年、桓武天皇の勅を受けた坂上田村麻呂が、蝦夷の惡路王、赤頭、髙丸を打ち破り、蝦夷が賽を構えたこの窟に京の清水の舞台を模した九間四面の精舎を建て、百八体の毘沙門天を祀り、鎮護国家の祈願所として毘沙門堂と名付けたのが始まり。翌802年、別当寺として達谷西光寺を創建し、奥真上人を開基として広大な寺領を定めた。のち前九年の役、後三年の役の折、源頼義・義家父子が戦勝祈願のため寺領を寄進、奥州藤原氏初代清衡、二代基衡が七堂伽藍を建立した。1189年には源頼朝が奥州合戦の帰路に参詣している。以後歴代領主に崇敬され、江戸時代には伊達政宗が毘沙門堂を再建、伊達家の祈願寺として寺領を寄進した。現在の毘沙門堂は昭和戦後の火災で焼失後、1961年に五代目として再建されたもの。

当堂宇は、JR東北本線・平泉駅の西南西6kmの平地にある。太田川という小川に沿って県道31号線が走り、その北側にある。境内は東西に長く、さほど広くはない。メインの毘沙門堂は数十mの崖に食い込むように建っているのが有名。その西側にある岩面大佛も知られている。この他、金堂、辨天堂、不動堂などが建っている。境内入口の三鳥居を含め、とっても印象に残る寺院で観光地として人気。

今回は、旅行情報サイト・じゃらん、ぐるたび、4travelで岩手県の人気寺社仏閣として挙がっていたことから参拝することに。参拝時は休日の午後で、多くの家族連れなどが参拝に訪れていた。

達谷西光寺(岩手県)

境内東端入口全景。県道に沿って境内は東西に伸びている。

達谷西光寺(岩手県)

境内入口の。鳥居があるけど、寺院?神社?日本人でも混乱させられる...(^_^;)

達谷西光寺(岩手県)

入口右側の<拝観案内所>。御朱印はこちら。

達谷西光寺(岩手県)

まず<一の鳥居>。江戸時代の建立。面白い形の扁額には「辨財」の文字。

達谷西光寺(岩手県)

つづいて<二の鳥居>。昭和戦後に再建。こちらの扁額には「達谷霊窟」とある。

達谷西光寺(岩手県)

最後に<三の鳥居>。明治初期の再建。扁額はデザイン文字で読みにくいが、たぶん「霊窟」。
当堂宇では江戸時代から鳥居が3つあったとのこと。

達谷西光寺(岩手県)

三の鳥居をくぐって、右前方に見える<毘沙門堂>。

達谷西光寺(岩手県)

三の鳥居をくぐって、左前方に見える<蝦蟆ヶ池(がまがいけ)>と<辨天堂>。

達谷西光寺(岩手県)

<毘沙門堂>の裏手の崖はこんな感じ。

達谷西光寺の狛犬

毘沙門堂入口左側の<狛犬>。ずんぐりむっくり、髪の毛のカールが気になるかわいい狛犬。

達谷西光寺(岩手県)

毘沙門堂入口右側の<狛犬>。こちらはややオッサン顔でそんなにかわいくはない...(^_^;)

達谷西光寺(岩手県)

いよいよ<毘沙門堂>への階段を登る。

達谷西光寺(岩手県)

<毘沙門堂>入口。ここからは写真撮影禁止。順路を進むと反対側(西側)の階段から下りる。

達谷西光寺(岩手県)

毘沙門堂の南西側にある<岩面大佛>。高さ16.5m、顔面は3.6mある阿弥陀如来の磨崖仏。手前に拝所がある。

達谷西光寺(岩手県)

岩面大仏前から見た<毘沙門堂>。

達谷西光寺(岩手県)

辨天堂に向かう橋。立看板には「仲良き男女は別々にお参りください 別當」と面白い注意書き。

達谷西光寺の建物その他

<辨天堂>全景。慈覚大師が辨財天女を自ら刻して祀ったとされる。

達谷西光寺(岩手県)

<辨天堂>正面。

達谷西光寺(岩手県)

辨天堂から見た<毘沙門堂>全景。

達谷西光寺の自然

三の鳥居脇に立つ<奉行坊杉>。ここから杉の左側を東方向に進む。

達谷西光寺(岩手県)

小高い場所にある<鐘楼>。江戸時代初期1615年の建立。

達谷西光寺(岩手県)

鐘楼より低い場所にある<閼伽堂>。

達谷西光寺(岩手県)

参道進んで高い位置にある<姫待不動堂>。蝦夷の惡路王たちが京からさらって来た姫君を監禁、待ち伏せしたことからこう言われるみたい。現在の堂宇は江戸時代中期1789年の建立。

達谷西光寺(岩手県)

<姫待不動堂>正面。

達谷西光寺(岩手県)

<姫待不動堂>内部には不動明王の掛軸が見える。

達谷西光寺(岩手県)

姫待不動堂の裏手小高いところにある<金堂(本堂)>。本尊は薬師如来。

達谷西光寺(岩手県)

<金堂>正面。

達谷西光寺の仏像

<金堂>内部には金色の仏像が見える。

達谷西光寺の自然

金堂の前にある、樹齢500年の<大オッコウ(イチイ)>。

達谷西光寺(岩手県)

巨木の根本にある、なんとか童子。

達谷西光寺(岩手県)

達谷毘沙門堂境内の東側にある、<達谷西光寺>の伽藍、境内。

達谷西光寺(岩手県)

最後に、自分が最も好きなアングルから<毘沙門堂>。(^▽^)/

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のぶさん
2022年05月08日(日)
1212投稿

抑々達谷窟は征夷大將軍坂上田村麿公により達谷の靈窟に創建された毘沙門堂を根本道場とし、その御神域に建つ諸堂と、別當達谷西光寺境内の諸堂、及び鎮守社からなる神佛混淆の社寺で、昔のまゝなのです。
古来毘沙門堂境内は殺生禁断地で、達谷西光寺境内と厳格に区別され、毘沙門様が主で別當は従来、毘沙門様に仕へ奉るのが勤めとされ、神事に関わる都合上、弔事に出仕した当日は、鳥居をくぐる事さえ叶わなくなるのです。從って壇家は一軒もなく、寺でありながら葬式を營まない大変珍しい寺であります。

嘗て達谷西光寺に於ては、飛澤にあった別當達谷西光寺廣照院正念坊を筆頭に、樺澤坊、下田坊の天台三箇院、さらに赤部あかぶの奉行坊を筆頭に敎覺院、龍覺坊、無量壽院といった本山派修驗の諸坊からなる一山寺院で、廣照院衆徒として勢い盛んでありました。然し度重なる戦乱で次第に荒廢し、江戸時代には本坊の正念坊と脇院の敎覺院を残すのみとなり、さらに明治維新の廢佛毀釋で、敎覺院は雲南神社として分離されて了ったのです。

参拝コースは決められており、まず受付をすませ両脇に木々が生い茂る参道を進むとすぐに清水寺を彷彿させる建物が姿を現します。これが毘沙門堂ですが、その壮麗は思わず立ち止まってしまうほどです。階段を登ってお香の匂いに包まれた堂内にはいるとその奥に数々の毘沙門天や仏様が整然とならんでいます。これだけでも必見の価値有りですが、毘沙門堂を出ると次に登場するのが源義家公が彫ったとされる岩面大佛です。その他辨天堂やアテルイ由来のお堂など境内はさほど広くはないのですが見応えじゅうぶんです。

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国指定史跡・達谷窟毘沙門堂西側の大岩面壁に、11世紀に彫られたといわれる大磨崖仏[だいまがいぶつ]。高さ約16.5m、顔の長さ約3.6mもの貴重なもので、「北限の磨崖仏」として有名だ。明治29年(1895)、胸から下が崩落。風化が激しく、現在は顔のみが残る。

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歴史

801年に創建されたお堂(現在のお堂は1961年に再建)で、その歴史は世界遺産に名を連ねる中尊寺や毛越寺よりも古いです。
日本初の征夷大将軍として日本史に登場する、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が蝦夷(えみし/えぞ)討伐の記念とお礼のために毘沙門天を祀り、建てたといわれています。
創建後も奥州藤原氏をはじめ、源頼義・義家、源頼朝、伊達政宗などによって、保護・参拝されてきました。
また、毘沙門堂は達谷西光寺というお寺が別当として管理をしていますが、鳥居をくぐって入る境内は神域とされています。

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達谷西光寺の基本情報

住所岩手県西磐井郡平泉町平泉北沢16
行き方
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名称達谷西光寺
読み方たっこくさいこうじ
御朱印あり

限定御朱印なし
御朱印帳あり
電話番号0191-46-4931
お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。
ホームページhttps://iwayabetto.com
絵馬あり

詳細情報

宗旨・宗派天台宗
ご由緒

801年に創建されたお堂(現在のお堂は1961年に再建)で、その歴史は世界遺産に名を連ねる中尊寺や毛越寺よりも古いです。
日本初の征夷大将軍として日本史に登場する、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)が蝦夷(えみし/えぞ)討伐の記念とお礼のために毘沙門天を祀り、建てたといわれています。
創建後も奥州藤原氏をはじめ、源頼義・義家、源頼朝、伊達政宗などによって、保護・参拝されてきました。
また、毘沙門堂は達谷西光寺というお寺が別当として管理をしていますが、鳥居をくぐって入る境内は神域とされています。

体験御朱印お守り武将・サムライ伝説

Wikipediaからの引用

概要
達谷窟(たっこくのいわや)は、岩手県西磐井郡平泉町に所在する毘沙門天をまつった堂。国の史跡。
引用元情報達谷窟」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E9%81%94%E8%B0%B7%E7%AA%9F&oldid=91646834

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