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惣一郎
惣一郎
2022年07月04日(月)
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【陸奥国 式内社巡り】

日高神社(ひたか~)は、岩手県奥州市水沢字日高小路にある神社。旧社格は郷社。祭神は天之御中主神、火産霊神、大年神、御年神、若年神、水波乃売神、大国主神、倉稲魂神の8柱。別名は日高妙見。本殿は国指定の重要文化財。

社伝によると、平安時代初期の810年に嵯峨天皇の勅命により創建。当地・日高見国の首魁のアルテイ(阿弖流爲)が坂上田村麻呂に降伏し、胆沢城が造営されたのちの創建で、日高見国の信仰を継承する形で、中央政府の神々を祀る胆沢鎮守府の神社とされてきたと推測されている。平安後期、源頼義・義家父子が前九年の役、後三年の役で戦勝祈願に訪れたとされ、奥州藤原氏の崇敬を受け、1170年に藤原秀衡が社殿を再建している。戦国時代には伊達政宗が再興して社殿の造営と社領の寄進を行い、江戸時代には初代水沢城主・留守宗利(伊達宗利)が改築している。明治に入り、近代社格制度のもと郷社に列した。

当社は、JR東北本線・水沢駅の西北西1.5kmの街の住宅街の中の平地にある。旧郷社としては広々とした境内で、非常に大きな2本の古木を含め、社殿周りは緑が豊か。中心部に池があったり、境内社がたくさんあったりするので、見どころがたくさんあり、散策して廻るのも楽しい。

今回は、本殿が国指定の重要文化財であることから参拝することに。参拝時は休日の午後遅めの時間で、自分以外には特に参拝者は見掛けなかった。

日高神社の鳥居

境内東端入口の<鳥居>と<社号標>。

日高神社(岩手県)

参道を東向きに進むと、突き当りは巨木。

日高神社(岩手県)

巨木の裏手にある<池>。

日高神社の建物その他

池を避けるように南側に逸れて参道が続く。

日高神社の手水

参道左側にある<手水舎>。

日高神社(岩手県)

やがて参道の右側に現れる<神門>。

日高神社の本殿

神門をくぐったところからの眺め。

日高神社(岩手県)

参道左側の<狛犬>。どこを見ているのかしら?

日高神社の狛犬

狛犬の横には、極太幹の巨木。

日高神社の自然

狛犬は、この巨木を見上げていたんですね...(^_^;)

日高神社の狛犬

参道右側の<狛犬>。

日高神社の本殿

<拝殿>全景。

日高神社の本殿

斜めから<社殿>全景。

日高神社(岩手県)

拝殿後ろの<本殿>。江戸時代前期の1632年建立。三間社流造、北面突出部付、銅板葺。こちらは覆屋なのか、幣殿、拝殿と繋がっている。

日高神社の末社

本殿左側の境内社。

日高神社の建物その他

拝殿前から左方向(境内西側)に見える境内社群。

日高神社の末社

北から順に、1つ目は<天神社>。

日高神社の末社

次に、<瑞山神社>の鳥居。

日高神社(岩手県)

<瑞山神社>の社殿。

日高神社(岩手県)

つづいて、<氏子宮>。

日高神社の末社

最後は、境内社と<針塚>。

日高神社の本殿

社殿周り全景。

日高神社(岩手県)

社殿の右側(東側)にある<社務所>。御朱印はこちら。

日高神社の建物その他

境内の南西端にある<神楽殿>。

日高神社の建物その他

ここから入口に戻り始める。境内中央の池には、桜の花びらがいっぱい。

日高神社(岩手県)

池の中央に浮かぶのは、厳島社ではなく<道祖社>。交通安全守護と書かれている。

日高神社の鳥居

最後に境内東端入口全景。広くて緑がいっぱい、見どころも多い。(^▽^)/

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歴史

日高神社の創建は弘仁元年(810年)に第52代嵯峨天皇の勅命によりこの地に勧請した事が始まりとされる。この地の首魁であったアテルイが降服し、延暦21年(802年)に胆沢城が坂上田村麻呂によって造営されてから8年後の創建となり、日高見国の信仰を継承する形で中央政府の神々を祀る胆沢鎮守府の神社にされてきたと推測されている。

平安時代以降
征夷大将軍源頼義・義家父子が前九年と後三年両度の役で戦勝祈願に訪れたと伝えられており、伊沢氏(後の留守氏)を始めとする東北鎮護の国司、奥州藤原氏、伊達氏などから崇敬を受ける。

嘉応2年(1170年)には藤原秀衡が再造させている[1]。慶長年間(16世紀末)には伊達政宗が再興させ、社領の寄進と社殿の造営を行い、参拝の記録も残る。寛永9年(1632年)現社殿を初代水沢城主留守宗利(伊達宗利)が改築している。

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日高神社の基本情報

住所岩手県奥州市水沢区日高小路14番地
行き方
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名称日高神社
読み方ひだかじんじゃ
通称お日高さん・うぶつなさん
御朱印あり

限定御朱印なし

詳細情報

ご祭神《主》天之御中主神,《配》火産霊神,水波乃売神,御年神,大年神,若年神,倉稲魂神,大国主神
ご由緒

日高神社の創建は弘仁元年(810年)に第52代嵯峨天皇の勅命によりこの地に勧請した事が始まりとされる。この地の首魁であったアテルイが降服し、延暦21年(802年)に胆沢城が坂上田村麻呂によって造営されてから8年後の創建となり、日高見国の信仰を継承する形で中央政府の神々を祀る胆沢鎮守府の神社にされてきたと推測されている。

平安時代以降
征夷大将軍源頼義・義家父子が前九年と後三年両度の役で戦勝祈願に訪れたと伝えられており、伊沢氏(後の留守氏)を始めとする東北鎮護の国司、奥州藤原氏、伊達氏などから崇敬を受ける。

嘉応2年(1170年)には藤原秀衡が再造させている[1]。慶長年間(16世紀末)には伊達政宗が再興させ、社領の寄進と社殿の造営を行い、参拝の記録も残る。寛永9年(1632年)現社殿を初代水沢城主留守宗利(伊達宗利)が改築している。

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Wikipediaからの引用

概要
日高神社(ひたかじんじゃ)は、岩手県奥州市水沢に鎮座する神社。旧社格は郷社。 重要文化財の本殿や、日高火防祭で知られる。
歴史
歴史[編集] 創建伝承[編集] 日高神社の創建は弘仁元年(810年)に第52代嵯峨天皇の勅命によりこの地に勧請した事が始まりとされる。この地の首魁であったアテルイが降服し、延暦21年(802年)に胆沢城が坂上田村麻呂によって造営されてから8年後の創建となり、日高見国の信仰を継承する形で中央政府の神々を祀る胆沢鎮守府の神社にされてきたと推測されている。 平安時代以降[編集] 征夷大将軍源頼義・義家父子が前九年と後三年両度の役で戦勝祈願に訪れたと伝えられており、伊沢氏(後の留守氏)を始めとする東北鎮護の国司、奥州藤原氏、伊達氏などから崇敬を受ける。 嘉応2年(1170年)には藤原秀衡が再...Wikipediaで続きを読む
引用元情報日高神社」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E6%97%A5%E9%AB%98%E7%A5%9E%E7%A4%BE&oldid=100887202
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