こまがたじんじゃ
駒形神社
岩手県 水沢駅
社務所:09:00〜16:00
【陸奥国 式内社巡り】
駒形神社(こまがた~)は、岩手県奥州市水沢中上野町にある神社。式内社で、旧社格は国幣小社。現在は神社本庁の別表神社。全国一の宮会の認定する陸中国新一の宮。祭神は天照大御神、天常立尊、国狭立尊、吾勝尊、置瀬尊、産火尊の6柱で、駒形大神と総称される。馬の守護神で、馬頭観音や大日如来と習合し、東日本各地に勧請されている。神体山は駒ケ岳。なお、駒ケ岳に奥宮、奥宮と本社の間に中宮がある。
創建は不詳。社伝によると、雄略天皇の御代、第十代崇神天皇の末裔である上野毛胆沢公が焼石連峰の駒ケ岳山頂に駒形さまを祀ったのが始まり、のち平安時代前期の851年に慈覚大師が山頂に社殿を建立したとしている。国史の初見は『日本文徳天皇実録』で851年に「駒形神」の神階奉授、『日本三代実録』には862年に神階昇叙の記載がある。927年に編纂された『延喜式神名帳』に記載のある「陸奥國 膽澤郡 駒形神社 小」に比定されている。蝦夷平定の坂上田村麻呂、前九年の役・後三年の役の源頼義・義家父子から崇敬され、奥州藤原氏からの信仰も篤かった。
江戸時代には伊達仙台藩と南部盛岡藩から守護され、里宮はそれぞれの藩内に1社ずつあったが、駒ケ岳山頂が両藩の境界線であったため、奥宮は両藩によって20年ごとに交互に建替えが行われていた。明治時代に入ると、近代社格制度において国幣小社に列するにあたり、奥宮、里宮ともに参拝に不便であるとして、1874年に当時の水沢県庁に近い現在地に遷された。
当社は、JR東北本線・水沢駅の西南西600mの街の中心地、水沢公園の北西部にある。同公園内には野球場、陸上競技場、テニスコート、体育館などがある。境内は特別広くはないが、市民が集まる場所なので平常時でも入口鳥居付近には屋台がいくつも出ている。東向きに建つ社殿の周りに境内社がいくつも並んでいて、降雪時でも参拝して廻りやすい造りになっている。
今回は、陸奥国の式内社、旧国幣小社、新一の宮ということで参拝することに。参拝時は休日の午後で、祈祷も含め、家族連れなど多くの参拝者が訪れていた。
北側の水沢公園入口から南下すると見えてくる<鳥居>と<社号標>。
境内東端入口。屋台があって人がたくさんいるし、自転車が無造作に置いてあったりと、なにやら賑やかな雰囲気。(o^―^o)
鳥居前左側の<狛犬>。
鳥居前右側の<狛犬>。
鳥居をくぐって参道左側の屋台群。右側にも屋台が出ている。例祭日でもないのに、この屋台の数はスゴイかも。(o^―^o)
授与所近くで御朱印を待っている間にぱちり。拝殿左後方の桜が満開で華を添えている。
このあと、拝殿後ろの本殿や、神域北側を見て廻る。
参道は<神門>につづく。
神門の左手にある<社務所>。授与所は神域の内側にある。
<神門>をくぐる。さすが雪国、「落雪注意」の貼り紙がある。
神門をくぐったところからの眺め。左右両側にも建物が並び、包まれ感がある。
<拝殿>全景。
<拝殿>正面。
拝殿に向かって左手(南側)の<祈祷者控室>。室内と廊下にオレンジ色の「交通安全祈願」の札が大量に掛かっている。当社独特のものかな。
祈祷者控室の建物の左側(東側)にある<神楽殿>。これも雪国ならではなのか、渡廊下で左右の建物と繋がっている。
神楽殿の左側(東側)にある、社務所の<授与所>。御朱印はこちら。
拝殿後ろの<本殿>。
本殿の右隣にある<山神社>。
山神社の右隣の大きな境内社は<鹽竈神社>。明治時代に駒形神社が遷座して来る前から現在地にあった神社。
鹽竈神社の拝殿正面。
鹽竈神社の社殿全景。本殿は瑞垣でぐるっと囲まれている。
鹽竈神社の本殿。
財運が開けるという<塩吹き釜>。気仙郡(現大船渡市)の豪商・稲子沢家から奉納されたものとのこと。写真左端は巨大な<七宝しゃこ>。
境内北側中央にある<水沢招魂社>。
水沢招魂社の右前にある臨時授与所と御御籤掛け。
水沢招魂社の左前にある<縁美須(えびす)神社>。
神域内の見納めに、まぶしい太陽光と満開の桜に映える<社殿>。
神域を出て、屋台と手水舎の間にある<夫婦杉>。
境内南東部、駐車場の中にある<神馬舎>。
最後に、神馬舎内の<神馬>。あまりにかわいい表情だったので。(^▽^)/
岩手県の神社の初参拝につき、<陸中国一宮>の当社の御朱印帳を購入。
御朱印帳の裏面。
数年前に秋田駒ヶ岳に登った際に雄岳の
頂上に鳥居と祠がありました。
神社巡りをはじめてから何を祀る
祠だったのだろう?
調べてみると駒形神
駒形神とは?…
岩手県にその駒形神を祀る一の宮があると
知ると
必ず行こう。
そう決めた神社のひとつでした。
今回、同県内のアラハバキ神を祀る神社に
行く目的もあり
同日に
アラハバキ神の神社~駒形神社~平泉の宿へ…
と東北の旅1日目でした。
大雨の参拝ですが、桜が咲いており
最高のタイミングで初参拝出来た事
駒形神に感謝しています。
以下
駒形神社HPより
引用しました。
駒形神社は1500年ほど前、焼石連峰の駒ケ岳山頂に祀られ、明治36年(西暦1903年)、現在地にお遷り申し上げました。
雄略天皇の御代(西暦456年頃)、第十代崇神天皇の末裔である上毛野胆沢公が駒ケ岳山頂(現在は大日岳)に駒形さまをお祀り になりました。
坂上田村麻呂征夷大将軍(西暦802年頃)は、蝦夷のアテルイと無血の戦ののち、蝦夷の守護神でもあった駒形神社の神階昇格を幾度と朝廷に申し出ました。
西暦850年、駒ケ岳山頂(現在の駒ケ岳)に初めて社殿が建立されます。慈覚大師によるものと伝わります。
西暦862年には東北地方で最高階位の神格を得ます。西暦927年の延喜式神明帳に記載されることとなりました。この延喜式に記載された神社を「式内社」と呼びます。
平泉に栄華を築いた奥州藤原氏は、駒形さまを敬い、駒形大神様のご分霊を前沢の束稲山(駒形山)にお祀りしました。峻嶮な駒ケ岳に登頂することが厳しかったためと考えられています。
駒形神社の御祭神は不詳と言われています。ただし、奥宮の棟札(むなふだ)に記された6柱の神様を御祭神としています。
6柱の神様とは、国家安寧・世界平和の守護神・天照大御神(アマテラスオオミカミ)、宇宙を司る神様・天常立尊(アメノトコタチノミコト)、地球を守る土の神様・國狭槌尊(クニノサヅチノミコト)
天照様のお子様・吾勝尊(アカツノミコト)、天照様のお孫様・置瀬尊(オキセノミコト=天孫ニニギノミコト)、天照様の曽孫様・彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト=山幸彦)です。、奥宮の棟札(むなふだ)に記された6柱の神様を御祭神としています。
駒形神社のご利益はそれぞれの神様のお力から、産業開発(社業繁栄)、交通安全、必勝祈願、合格祈願、方位除け、家内安全、良縁祈願、厄除け、心願成就にご利益があると言われています。
また、駒形神社では、日本の古代からの思想・アニミズムにおける自然神である山の神様(駒形大神)をお祀りしてきました。そこに神道の6神信仰が融合され、「駒」から「馬の守護神」とも伝えられ、武運や難局を打開するパワースポットとされています。
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