こまがたじんじゃ
駒形神社岩手県 水沢駅
社務所:09:00〜16:00
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楽しみ方
岩手県奥州市に鎮座する『駒形神社』へ参拝に上がりました👏旧社格が『国幣小社』そして『陸中一宮』として崇敬を集めてきた名社です。秋の雨☔が静かに降りしきる中での参拝になりました。参道に足を踏み入れると、雨に濡れた杉の古木が立ち並び、静寂に包まれていました。秋雨が社殿の色合いを一層深く見せ、その威厳を感じさせます。手水舎で身を清め、本殿へ進みました。
丁寧に整備された境内は清々しく、古社の風格が感じられます。本殿前で深く頭を垂れ、1500年もの長きにわたり、この地を見守ってきた駒形大神に、日頃の感謝をお伝えしました👏 境内社の『山神社』『鹽竈神社』『水沢招魂社』にも手を合わせました。荘厳な雰囲気の中での参拝は、より深く神様との対話ができたように感じられ、心身ともに清められました😊
【由緒・歴史】
駒形神社の創祀年代は不詳ですが、非常に古い歴史を持ちます。
◯駒ヶ岳山頂からの遷座
古くは焼石連峰の駒ヶ岳山頂に祀られており、最も古い伝承では、雄略天皇の御代(456年頃)、上毛野(かみつけの)氏の一族である上毛野胆沢公が駒形さまをお祀りしたとされています。
◯神階昇叙と式内社
平安時代に入ると、征夷大将軍の坂上田村麻呂による崇敬が篤く、朝廷に神階昇格が幾度となく奏上されました。その結果、貞観4年(862年)には従四位下に昇叙され、これは当時の陸奥国で最高位の神階でした。
そして、延喜5年(927年)に編纂された『延喜式神名帳』に記載され、式内社としての地位を確立しました。
◯水沢への遷座
峻険な駒ヶ岳山頂への登拝が困難であったため、平泉に栄華を築いた奥州藤原氏も駒形大神の分霊を束稲山(駒形山)にお祀りするなど、各地で崇敬されてきました。現在の奥州市水沢の鎮座地には、明治36年(1903年)に駒ヶ岳山頂の本宮の御神霊が奉遷され、現在の社殿が建立されました。
【ご祭神】
ご祭神は以下、6柱を総称し「駒形大神」とされます。
・天照大御神(アマテラスオオミカミ)
・天常立尊(アメノトコタチノミコト)
・國狭槌尊(クニノサヅチノミコト)
・吾勝尊(アカツノミコト)
・置瀬尊(オキセノミコト)
・彦火尊(ヒコホノミコト)
国幣小社そして陸中一宮の風格を感じます。
国幣小社そして陸中一宮の風格を感じます。
もみじ🍁の手水舎が素敵でした💕
御社殿
雨に濡れた御社殿は色合いを一層引き立てて、素敵な光景でした😊
末社(山神社)
別宮(鹽竈神社)
塩炊き釜
シャコガイ
境内社(招魂社)
境内社(縁美須神社)
縁美須神社の社の周りに、七福神が座っていました。なんか可愛いらしい😊
赤提灯🏮に和傘の飾りが素敵
雨に濡れより一層、色合いが濃く境内に華やかさを添えていました。
境内は心安らぐ素敵な空気感😊
境内は心安らぐ素敵な空気感😊
一ノ宮専用御朱印帳へ、お書き入れいただきました😊
9月19日(例祭)
例祭・神事をもっと見る|上古の代、関東に毛野一族が台頭し、赤城山を崇敬し、赤城の神を祀って上野平野を支配したが、後に上毛野国と下毛野国に分れ、下毛野氏は日光火山に二荒山神社を創建。休火山を背景として奉祀されたもので、赤城火山の外輪山にも駒形山があり、二荒山神社の古縁起に『馬王』という言葉が散見する。
上毛野・下毛野氏は、勢力を北にのばし、行く先々に祖国に習い、休火山で外輪山を持つ形のいい山を捜し出し、連山の中で二番目の高峰を駒ケ岳又は駒形山と名付け、駒形大神を奉祀した。奥州にも及び、胆沢平野から雄姿を目にし、山頂に駒形大神を勧請し、駒ケ岳と命名した。これは、上毛野胆沢公によるものであり、時は雄略天皇の御代(456年ころ)であった。このように全国の秀峰に祀られた駒形神社の中で、延喜式神名帳にあるのは宮城県栗原郡駒形根神社と当社の二社のみである。当社が従四位下に神階を進めたのは、陸奥国胆沢城を創建した征夷大将軍坂上田村麻呂による崇敬の念の篤かったことから始まり、この鎮守府の度々の上奏によるものだった。
駒形という名称は、古く赤城神社をカラ社と呼んだ歌があり、コマをカラと歌った。当時の朝鮮は高麗朝時代であり、文化伝来の憧れの国でもあったのでコマということばを用い世間に誇示した。箱根山縁起の箱根神社が駒形神社を奉祀するのは、朝鮮から高麗大神を勧請したと記載しているのと同様である。このように赤城の神は駒形の神とも言える。坂上田村麻呂や源頼義・義家父子も駒形大神を篤く崇敬し、武運祈願成就した事実を知るにつけ、奥州に栄華を築いた藤原四代の崇敬も篤かった。
平泉より北上川を隔てて、東に望む束稲山は駒形山とも言う。このことは峻険な駒ケ岳を度々登拝することは困難を来たす事もあり、この山に駒形大神を奉祀したと考えられる。箱根縁起に藤原秀衡が銅をもって神像を鋳。駒形の神を祀ったことは藤原氏がいかに崇敬の誠を捧げたか想像することが出来る。かくして駒形神社の崇敬は華々しく、分社は東北各県より関東に亘り、その数、百余社に及んでいる。
歴史をもっと見る|| 名称 | 駒形神社 |
|---|---|
| 読み方 | こまがたじんじゃ |
| 通称 | 駒形さん |
| 参拝時間 | 社務所:09:00〜16:00 |
| 参拝にかかる時間 | 30分 |
| 参拝料 | なし |
| トイレ | あり |
| 御朱印 | あり |
| 限定御朱印 | なし |
| 御朱印帳に直書き | あり ■お書き入れ
|
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | あり |
| 電話番号 | 0197-23-2851 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
| ホームページ | http://komagata.iwate.jp |
| おみくじ | あり |
| 絵馬 | あり |
| 日本全国の一宮まとめ |
|---|
| ご祭神 | 《主祭神》 駒形大神 ・天照大御神 ・天常立尊 ・国狭槌尊 ・吾勝尊 ・置瀬尊 ・彦火尊 |
|---|---|
| ご神体 | 駒ケ岳 |
| 創建時代 | 継体天皇年間(1500年ほど前) |
| 創始者 | 不詳(諸説あり) |
| 本殿 | 三間社流造 |
| ご由緒 | 上古の代、関東に毛野一族が台頭し、赤城山を崇敬し、赤城の神を祀って上野平野を支配したが、後に上毛野国と下毛野国に分れ、下毛野氏は日光火山に二荒山神社を創建。休火山を背景として奉祀されたもので、赤城火山の外輪山にも駒形山があり、二荒山神社の古縁起に『馬王』という言葉が散見する。
駒形という名称は、古く赤城神社をカラ社と呼んだ歌があり、コマをカラと歌った。当時の朝鮮は高麗朝時代であり、文化伝来の憧れの国でもあったのでコマということばを用い世間に誇示した。箱根山縁起の箱根神社が駒形神社を奉祀するのは、朝鮮から高麗大神を勧請したと記載しているのと同様である。このように赤城の神は駒形の神とも言える。坂上田村麻呂や源頼義・義家父子も駒形大神を篤く崇敬し、武運祈願成就した事実を知るにつけ、奥州に栄華を築いた藤原四代の崇敬も篤かった。 平泉より北上川を隔てて、東に望む束稲山は駒形山とも言う。このことは峻険な駒ケ岳を度々登拝することは困難を来たす事もあり、この山に駒形大神を奉祀したと考えられる。箱根縁起に藤原秀衡が銅をもって神像を鋳。駒形の神を祀ったことは藤原氏がいかに崇敬の誠を捧げたか想像することが出来る。かくして駒形神社の崇敬は華々しく、分社は東北各県より関東に亘り、その数、百余社に及んでいる。 |
| ご利益 | 縁結び・恋愛成就金運交通安全家内安全勝負運 |
| 体験 | 祈祷おみくじお祓いお宮参り絵馬結婚式七五三御朱印お守り祭り武将・サムライ札所・七福神巡り一の宮伝説夏詣花手水 |
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