鎌足神社のお参りの記録一覧
《ミックジャギーの神社探訪》【21】
「もしもし、どないしたんや?ミックはん」
『あ、すみません、山下さん。ちょっとお願いしたい事がありまして』
「なんや、何でも言うてみ!」
『あの、この前、神田明神に行った時、一緒に行った鳥居君って青年が、しでかしちゃいまして、監督責任で、自分が一週間、神社参拝禁止の謹慎処分になっちゃったんですよ..』
「なんや、そりゃ?そんな事あるんか」
『はい。ちょっと、狛犬さんに怒られちゃいまして』
「コマイヌさん?誰や、それ」
『あぁ..えっと..かなり高い地位の..』
「..ほお、それで?」
『それで、自分の代わりに、その鳥居君って青年と一緒に《鎌足神社》に行ってもらえませんか?』
「おぉ..別にカマヘンけど、その子、一人じゃアカンのかいな?」
『はい、ちょっと、藤原鎌足の偉業をレクチャーする役が必要なんで』
「えっ、ワイ、歴史とか、からきしやで!」
『あっ、資料のデータを送りますんで、それで池上彰ばりにバシッと決めてもらえませんか?』
「..ほう..池上はんか..ワイの知的なイメージにピッタリやんか..分かった、任せなさい!」
『あっ、有難うございます』
.................................
ちょっと、遅れてしもたか..
藤原鎌足...カマタリやな...
そいで...敵が《ソガノイルカ》か..
おっ、あの待ってる若者が鳥居君やな..
「よお!アンタが鳥居君か?」
「あっ、はい!本日は宜しくお願い致します!」
「おぉ、ワイ、山下や。宜しく頼むで!」
「はい!お願いします!」
「聞いたで。神田明神で、しでかしたんやって?」
「えっ、いや、あれは、しでかしというか..」
「まぁ、済んだことは、はよ忘れる事やで!」
「..いや、あんな事、忘れられないですよ..」
「まぁ、気楽に行こうや!」
「あ、はい!あの、山下さん、実は僕、10代の殆どを海外に留学してまして、日本の歴史に疎いんです」
「ほうか。じゃあ、ワイの出番やな!」
「はい!ご教示、お願いします!」
「じゃあ、早速、お邪魔しよか」
「はい!」
「諸説あるらしいけど、ここは、藤原鎌足の出生地の一つと言われてるらしいで」
「あの、すみません!僕、ホントに日本の歴史に疎くて、その藤原鎌足が誰かも解らないんです」
「ほうか..じゃあ...まず..」
げっ..アカン...
ゆうべ、飲み過ぎて、読んだはずの資料が、全く頭に入っとらんわ..どないしよ..
..アドリブで切り抜けるしかないな..
「あの..その..むかしむかし、あるところに悪いイルカがおったんや」
「えっ!イルカって、あの、海にいるイルカですか?」
「えっ?ちゃうよ、いや、ん?そうかな..海にいるイルカやな..」
「あの、悪いイルカなんているんですか?凄く頭が良くて、人に優しいイメージなんですけど..」
「いや、その..イルカが悪い訳やなくてやな..イルカを操ってる悪い奴がおったんや」
「へえ..その悪者、なんて名前なんですか?」
「それは、その..イルカの背中に乗って操ってる......《城みちる》って人やな」
「《ジョーミチル》..なんか、歴史上の人物らしからぬ名前ですね」
「あぁ..せやな、今のキラキラネームみたいな名前つける親はいつの時代もおったんやな」
「そうなんですか..子供からしたら大変ですよね..で、その《ジョーミチル》がどうしたんですか?」
「それで..その、《城みちる》は、多分、名前を付けた親への反抗心やろな..イルカを手下につけて、村人達をイジメとったんやな」
「..なんか、切ない話ですね。親は良かれと思って付けたはずなのに..」
「せやな..よく聞く話やけどな」
「もっと可哀想なのは、《ジョーミチル》の手下にされたイルカですよ」
「せ、せやな..イルカには何の罪もないで」
「あの、それで藤原鎌足は、いつ登場するんですか?」
「か、鎌足はんが登場するのは、冬の事やな」
「..冬ですか..」
「ちょっと、鎌足はんに、ご挨拶しよか」
「はい、そうですね」
「お邪魔しとります。よろしくお願いします」
「本日は宜しくお願い致します!」
「それで、冬に登場した藤原鎌足はどうしたんですか?」
「えっ?あぁ..村人からの訴えを聞いた鎌足はんは、早速、《城みちる》を退治しに行ったんや」
「藤原鎌足と《ジョーミチル》の一騎討ちですか!」
「まぁ、そういう事になるかな..」
「一体、どこで対決したんですか?」
「それは...崖の近くやな..」
「えっ、崖?」
「そうや、崖や!火曜サスペンス劇場にでてきそうな崖や!」
「あ、あぁ..そうですか..」
「そうや!そいで、刀を持って、襲い掛かってくる《城みちる》に、鎌足はんは崖に追い込まれたんや!」
「あ、あぁ、それで..」
「それでやな、もう少しで突き落とされそうな鎌足はんを救ったのは..」
「あっ、はい!救ったのは?」
「...雪や」
「雪ですか!」
「せやで。いきなり降ってきた、大量の雪に視界を奪われた《城みちる》の隙をついて、鎌足はんのウッチャリが決まったんや!」
「えっ?いきなり相撲に?」
「えっ..まぁ、細かい事はええやんか」
「はぁ..まぁ、藤原鎌足が英雄だって事は判りましたけど」
「そういう事やな..そして、自由の身になったイルカが鎌足はんにお礼を言いにきたんや」
「はぁ..」
「そ、それでやな...イルカが鎌足はんと別れるのをメチャクチャ名残惜しそうにしとったんで、その時、降っとった雪を【なごり雪】って呼ぶらしいで...よう知らんけど..」
「あ.................はい」
【つづく】
《よいこのみんなへ》
このおはなしは【ふぃくしょん】ですよ!
【ふじわらのかまたり】さんについて、しりたいおともだちは、おとうさん、おかあさんにおねがいして、【いんたーねっと】でしらべてもらってね!
とっても、りっぱなひとですよ!
みっくじゃぎーより
『《城みちる》じゃないですよ』
撮影/世界の巨匠.ミックジャギー
鹿嶋市宮中にある鎌足神社にお詣りして来ました。
鹿島神宮西の一の鳥居から神宮方面に向かった住宅地の一画にあります。
ここは、中臣鎌足が生まれた場所と伝えられています。
当時の湖岸がどの辺りにあったのかはわかりませんが、現在よりも内陸まで水際が迫っていましたから、この神社の標高から考えるとかなりの水際だったことが想像できます。
鎌足の出生地には畿内説など諸説あり、鹿島説はあまり有力な説ではありませんが、春日大社との関係や後の神宮格への大出世を考えると、藤原氏とのつながりはとても強かったと思われます。
初めてここを訪れたとき、中臣家の屋敷ははたしてこんな低地にあったのだろうか?と不思議に思いました。
後に、鹿島神宮宮司の東実さんの「鹿島神宮」を読む機会があり謎が解くことができました。
[この鎌足神社の場所は、当時、北浦に面していたものと考えられる。当時の出産は海辺か川岸に産屋(うぶや)を建て、そこで子供を産み忌日があけると、その産屋を水に流して家に帰ってきたものである。だから鎌足が生まれたころまでは、このあたりに水があったものと思われる。]とあります。ナルホド!
鹿嶋市宮中にある鎌足神社にお詣りして来ました。
ひさびさのお詣りです。時計の針を鎌足の時代に戻して周りの風景を見てみる。脳内トラベルを開始してみる。
鎌足が生きた時代…、「蒸しごめ(645年)で祝う大化の改新」で歴史に登場した人だからおよそ1400年前の人か…。
(出生地は畿内ですが)この場所で産まれたという伝説があるということは、この辺に産屋を作っていたということか…。(鹿島城跡のある鹿島台地を見上げつつ)すると海岸線もこの辺まで迫っていたのかなぁ…。一面の葦原が広がってたのかな…。大神の社は何処にあったのかな…。それはSUZUKIさんにまかせよ………。
はたから見れば、知らないおじさんがふらふら歩いているだけですが、頭の中では古代を旅しています。
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