いきすじんじゃ
息栖神社茨城県 延方駅
9:00~15:30
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楽しみ方御朱印 (1種類)
息栖神社でいただける御朱印帳は1種類です。
息栖神社の御朱印
真ん中に「息栖神社」の印と三笠宮崇仁親王から下賜されたという水晶製の印が押されています。
右側に「東國三社」、左側に年号日付が墨書きされています。

⭐️東国三社レイラインを巡る③⭐️
【息栖神社】
念願かなって東国三社を巡ってきました😆
鹿島、香取の神々と共に東国三社の一社と称される息栖神社へ参拝に上がりました👏
日本三霊水に数えられる『忍潮井』も自身の目でみることが出来ましたぁ😄
日本三霊水、他の二つは『伊勢の明星井』と『伏見の直井』なのだそうです。
【ご祭神】
久那戸神(クナドノカミ)
天鳥船神(アメノトリフネノカミ)
住吉三神
【ご神徳】
久那戸神による厄除け・交通守護、天鳥船神による航海・航空の守護、住吉三神による海上漁業の守護など。
一の鳥居
忍潮井(右側:女甕 左側:男甕)
男甕
女甕
天気も良くて、底の甕が見えました😄
天気も良くて、底の甕が見えました😄
二の鳥居
参道
神門
拝殿
拝殿と本殿
御神木
礎石
招霊の木
五柱合祀
四柱合祀
力石
稲荷神社
耳掛けが可愛い💕
耳掛けが可愛い💕
息栖神社の御朱印
東国三社(鹿島神宮、香取神宮、息栖神社)の御朱印
◆御由緒
久那戸大神は古く国史にも見え、鹿島、香取の神々と共に東国三社の一つと称され、上下の信仰の厚い神社であります。
久那戸神「岐神」は、路の神であり除厄招福の神であり、井戸の神でもあります。天鳥船神は交通守護に、住吉三神は海上守護の神として御神徳が顕著で、神前に祈念する者にその限りない御恩頼を垂れさせられ御守護下さるものであります。
◆創祀沿革
息栖神社の創祀は応神天皇の御代と伝えられるものの祭神の御神格からして神代時代に鹿島・香取、両神社の御祭神に従って東国に至り、鹿島・香取の両神宮はもともと大地に御鎮座するものの久那斗及び天鳥船神は海辺の港(日川)に姿を留めてやがて応神明に神社として祀られたと思われます。日川に御鎮座当時の御社名に付いては記録がありません。【出雲の大神様より鹿島香取の大神様の道案内を命ぜられた久那斗神は現在出雲大社の近くに出雲大社の摂社・出雲井神社(路神社)として祀られております】
国史(三代実録)書かれてある「於岐都説神社」が現在の息栖神社です。常陸風土記によれば香島神郡が出来たのは大化五年(今からおよそ約千三百年前)であり、和尚年間の鹿島地方は鹿島丘陵の南は今の鹿嶋市国末で終わり、その後沖州であったものがようやく陸続きとなりいくつかの集落ができて一段と低く南へ伸びていったことがわかる。息栖神社はこのような沖州に鎮座され大同二年四月十三日(807)平城天皇の勅命を受けた藤原内麻呂によって現在地に遷されたと伝えられている。
三代実録にも、光孝天皇の御代(仁和元年・1120)の記に『正六位於岐都説神従五位下を授く』とあり、於岐都説は於岐都州であり沖州であり、息栖になったものであります。(別説あり)。上下の崇高篤く、弘安の元冠には勅使を報じて国家安泰を祈願し、明治元年には勅使として、(神̪祇判官事正四位右近衛少将源朝臣植松雅言)が参向奉幣され、大正三年日独の国交断絶の際も宣戦報告の供進使が参向される等、又、下三宮(三社詣り)水郷の景を称しながら青葦・真菰の茂る息栖の河岸より一の鳥居をくぐって社前に額ずき、大神の御思頼をいただき、さらに香取・鹿島へ詣でる人達、今では車での三社詣での人達が絶えません。
| 名称 | 息栖神社 |
|---|---|
| 読み方 | いきすじんじゃ |
| 参拝時間 | 9:00~15:30 |
| 参拝にかかる時間 | 15分 |
| 参拝料 | なし |
| 御朱印 | あり 右に東国三社と書かれ、真ん中に息栖神社の印、その下には三笠宮崇仁親王から下賜されたという水晶製の印が押されています。
|
| 限定御朱印 | なし |
| 御朱印帳に直書き | あり |
| 御朱印の郵送対応 | なし |
| 御朱印帳 | あり |
| ホームページ | http://ikisujinja.com/ |
| おみくじ | あり |
| お守り | あり |
| 絵馬 | あり |
| ご祭神 | 《主》久那戸神,《配》天乃鳥船命,住吉三神 |
|---|---|
| 創建時代 | 270年頃(応神天皇元年) |
| 本殿 | 入母屋造 |
| ご由緒 | ◆御由緒
久那戸大神は古く国史にも見え、鹿島、香取の神々と共に東国三社の一つと称され、上下の信仰の厚い神社であります。
◆創祀沿革
息栖神社の創祀は応神天皇の御代と伝えられるものの祭神の御神格からして神代時代に鹿島・香取、両神社の御祭神に従って東国に至り、鹿島・香取の両神宮はもともと大地に御鎮座するものの久那斗及び天鳥船神は海辺の港(日川)に姿を留めてやがて応神明に神社として祀られたと思われます。日川に御鎮座当時の御社名に付いては記録がありません。【出雲の大神様より鹿島香取の大神様の道案内を命ぜられた久那斗神は現在出雲大社の近くに出雲大社の摂社・出雲井神社(路神社)として祀られております】
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| 体験 | 御朱印伝説 |
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