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みつかいどうてんまんぐう

水海道天満宮の御由緒・歴史
茨城県 水海道駅

ご祭神《主》菅原道真,《配》紅梅姫命,須佐之雄命
創建時代延暦十六年(799)
創始者坂上田村麻呂
ご由緒

当神社の創祀は定かではないが、社伝によると、桓武天皇延暦十六年(799年)坂上田村麿が征夷大将軍として、東国征定のため下総国森谷(守谷)に軍を進めて来た時、当地方の武人足葉広武なる者七千余騎の軍勢を率い、田村麿の陣内に奇襲をかけ、田村麿の軍を駆け散らしたと云う。田村麿は思いがけない奇襲にやむ得ず兵を引くが、その前方は大海のような大沼があり、それ以上進むことが出来ず、後からは足葉軍が怒涛の如く責め寄せてくるし、田村麿大いに困り果て、これが一生の終りかと観念したが、その時突然前の大沼、不思議にもにわかに沼水が逆立ちに巻き上り、その中から一人の姫が現れ「如何ニ田村麿」と声をかけたと云う。田村麿馬を降りて「不思議ヤ例ナラヌ女此ノ沼ヨリ出デタリ何者ナル」と尋ねれば「我ハ是此の処に跡ヲタレシ梅明神ノ霊ナリ。汝此度勅ヲ請ケ東夷征伐ニ来ル所ニ計ラザリキ、今急難ニ遇イリ、我今汝ニ見エ、急難ヲ救ワンタメニ現ワレタリ・此水筋ヨリ西ニ向ヒテ沼ヲ超エタランニ、水膝ヲ過グマジキ」と云われた。田村麿大いに感激し神勅に身をまかせようと立ち上がれば姫は何処ともなく姿を消してしまった。田村麿郎党を伴い沼に入れば神勅に疑いなく、水は膝を越すこともなく西に向かって三里程進むと丘に辿り着いた。そこは今井と云う所であった。田村麿一行は危うき急難を逃れることが出来たと云う。これは梅明神の御加護であると感謝をし、その丘に祠を建て梅明神(紅梅姫)を祀り戦勝を祈願したと云う。つまり田村麿が上陸した丘が現在の天神社の境内であり、天神社の前身である。
 その後南北朝時代、後村上天皇の御代(1340年頃)に菅原道真公の神霊を勧請し合祀して、社名も「天神社」と改称し、現在に至る。

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