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楽しみ方常陸第三宮 吉田神社のお参りの記録一覧(2ページ目)

水戸まで電車で行き、レンタサイクルで周辺を回ります。水戸に着いたのは、8時半ごろ。
神社が閉まるのは早いので、いくつ回れるでしょうか。
吉田神社の境内にある神社です。
御朱印は、吉田神社で頂けます。
吉田天満宮に投稿したつもりでしたが…後からみたら吉田神社になってました…境内の中の神社なので訂正しなくても良いかな
御朱印
鳥居

神社左手から入って境内に駐車出来ます。
三之宮とのことですが、沢山の方々がお詣りに来られてました。
(御朱印第876号)
直書き
御神木がとても素晴らしい
拝殿
鈴がにぎやかでいい感じです
本殿

常陸第三宮 吉田神社にお参りしました😊創建は顕宗天皇(485)と仁賢天皇(498)の御代に遡り、日本武尊を祀る神社としては関東最古の社だそうです✨参道の立派な御神木にパワーをいただきました😊💓
一の鳥居✨
御神木✨
パワースポット✨
参道✨
二の鳥居✨
三の鳥居✨
随神門✨
手水舎✨
境内✨
拝殿✨
利き手と反対の手で結ぶと願いが叶うという縁結びの笹🌿
末社(白虎)✨
境内のしだれ桜🌸
末社(玄武)✨
朝日三角山✨
吉田天満宮✨
ありがとうございました😊
直書き御朱印✨

茨城県十二社詣の一社、どの様な神社か引用を用いて調べて見ました、主祭神は日本武尊、社格等は式内社(名神大)常陸国三宮、旧県社、創建は不詳、本殿の様式は神明造、例祭は10月13日(秋季例大祭)吉田神社所蔵の古文書によれば、正安4年(1301年)に鎮座以来800余年を経過した旨の記載が見える、1985年10月19、20日開催の秋季例大祭は創建1500年祭として実施した、休憩場所とされる地は、現在も境内一角に伝えられている。
この伝承に対して、『常陸国風土記』では那賀郡における日本武尊の説話が見えないことから、日本武尊への結びつけを平安時代初期頃と推測する説もある、国史での初見は承和13年(846年)で、従五位下勲八等の神階にある「吉田神」が名神に列したと記されている、その後、神階は天安元年(857年)に従四位下勲八等、貞観5年(863年)に従四位上勲八等、元慶2年(878年)に正四位下勲八等に昇った、
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では、常陸国那賀郡に「吉田神社 名神大」と記載され、名神大社に列している、また、吉田社は常陸国において鹿島神宮(一宮)、静神社(二宮)に次ぎ三宮に位置づけられ、鹿島神宮に次いで式年造営も行われたという、このように常陸国で第3位、那賀郡(那珂郡)で第1位に位置づけられたのは、武神である祭神の日本武尊と蝦夷征伐との関係や、水戸西方で勢力を張っていた那賀郡領の宇治部氏の衰退との関係が背景にあるといわれる、中世には吉田社の神郡として那賀郡から「吉田郡」が分立したが、吉田社の社領は158町で吉田郡の半分に及んだ、この社領は以後荘園としての性格を強め、「吉田庄」とも称された、また当社は薬王院を神宮寺とし、神社には6間と3間の回廊や鳥居・玉垣があり、多くの付属建物や末社が存在したといい、神階も正一位に達したと伝える、その後は薬王院が天台宗の中心地として隆盛するとともに争論が増え、神威は衰退した、
江戸時代には水戸藩から篤い崇敬を受け、特に徳川光圀は寛文6年(1666年)に本殿・拝殿ほか多くの社殿を修造し、徳川斉昭は天保15年(1844年)に『大日本史』と社領100石を寄進した。

(2024年3月の参拝です)
常陸第三宮の吉田神社に参拝し通常の御朱印・枝垂れ桜の御朱印・
辰年の御朱印・朝日三角山(書置き)の御朱印・境内社の吉田天満宮の御朱印を頂きました。
風神雷神の御朱印帳をいただきました。
この御朱印帳は前から欲しくて拝受できて良かったです。
水戸市宮内町に鎮座します。
階段のご神木の大欅は樹齢300年以上といわれています。
朝日三角山は日本武尊が東夷平定の帰途、この朝日三角山に兵を留めて休ませたといわれ
ここに良い田ができるとおっしゃったことから吉田神社の名前と言われています。
拝殿の前には枝垂れ桜がありきれいでした。
ご祭神は日本武尊です。
拝殿・幣殿は入母屋造銅板葺、
日本武尊が東征の際にこの地(朝日山/三角山)で兵を休ませたといい、これにちなんで社殿が造営されたのが創建であるという[2]。創祀年代は不詳であるが、吉田神社所蔵の古文書によれば、正安4年(1301年)に鎮座以来800余年を経過した旨の記載が見える
江戸時代には水戸藩から篤い崇敬を受けたといわれています。
本殿は神明造銅板葺です。
縁結びの笹は徳川光圀公(水戸黄門)お手植えと伝えられる笹です。
方位守護末社がそれぞれ四神の名前で
(白虎)は水戸神社と飯神社が鎮座されています。
ご祭神はそれぞれ速秋津彦命、足仲彦命です。
(青龍)は疱瘡守護神社・大國主事代主神社、八幡宮、
住吉神社、多賀神社、松尾神社が鎮座しています。
(玄武)は早歳神社と國見神社が鎮座されています。
ご祭神は前者は兩道入姫命、後者は彦國見加岐建與束命が祀られています。
(鳳凰)は皇大神宮、豊受大神宮、稲荷神社、
土師神社、星宮神社、稲荷様が鎮座しております。
境内には吉田天満宮が鎮座します。ご祭神は菅原道真公です。
#吉田神社
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通常の御朱印
枝垂れ桜の御朱印
辰年の御朱印
吉田天満宮の御朱印
朝日三角山の御朱印
御朱印帳
由緒書兼挟み紙
一の鳥居
社号標
ご神木の大欅
二の鳥居
朝日三角山
朝日三角山の石碑
三の鳥居
吉田天満宮の鳥居
ハート型の手水鉢
吉田天満宮
天満宮拝殿
手水舎
狛犬
随神門
枝垂れ桜
拝殿
拝殿の扁額
本殿
神馬舎
縁結びの笹
ハート形に飾られた砂
方位守護末社(白虎)
方位守護末社(青龍)
ご神木の夫婦杉
方位守護末社(鳳凰)

遅ればせながらあけましておめでとうございます!
今年も波乱の年明けとなりましたが、引き続きよろしくお願いします。
本年初めの投稿ですが昨年の参拝記録から消化していきます。
まずは常陸国那賀郡の名神大社、吉田神社です。常陸国は鹿島神宮を筆頭とした武甕槌神さまの伝承と、当社のように日本武尊さまの東征伝説の大きく2パターンの神社があります。
《一の鳥居と社号碑》
《ニの鳥居》
ここまでは駐車場で上がって来られます。
《随身門》
《手水舎》
水は出て来ませんでした。
《吉田天満宮》
境内社です。別ページとして登録されていますが、実質同じ神社なのでこちらに載せます。
《拝殿》
コロナ禍もかなり緩和されてきたので鈴の緒も復活してます。
《境内》
休憩用か催し物があったのかパイプ椅子たくさん。
《しだれ桜》
この辺ではかなり有名みたいですね。また春になったら観に行きたい。
《本殿》
👁チェックポイント‼️
常陸国はまた面白い特徴の郷土で、前述した通り一宮の鹿島神宮、二宮の静神社は武甕槌神さまと天津甕星さまの闘いを起源にしていますが、三宮である当社は打って変わって日本武尊さまの休憩した地域を起源としています。またその他にも『常陸国風土記』に記載のある民間伝承に関連した神社、かつてあった新治国を由来とする神社もあったりと、多岐に渡ります。こういった伝承が消えずに残っているのが神道の面白いところですね。
《おみくじ》
《御朱印》
参拝時は年末でしたがもう早くも辰年の御朱印を出していました。個人的に気になるのは兼務の八坂神社のこれは…にんにく?
《納札所》
《縁結びの笹》
この笹に祈願して利き手と反対の手で笹を結べたら成就する、というものらしいです。
…多分結べたはず!
《御幣》
社頭においてありましたので2体拝受。大晦日前に神棚を祓い清めました。
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