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楽しみ方常陸第三宮 吉田神社のお参りの記録(1回目)
投稿日:2021年08月30日(月) 19時04分21秒
参拝:2020年8月吉日
吉田神社は、茨城県水戸市にある神社。式内社(名神大)で、常陸国三之宮。旧社格は県社。祭神は、日本武尊。
『常陽式内鎮座本紀』『常陸二十八社考』によると、日本武尊が東征の際、当地(朝日山/三角山)で兵を休ませたといい、これに因んで社伝を造営したのが創建としている。蝦夷討伐の過程で古くから朝廷の強い崇敬を受けた。国史の初見は『続日本後紀』で、平安時代前期846年に神階奉叙の記載があり、『日本文徳天皇実録』、『日本三代実録』でも神階昇叙の記載がある。927年に編纂された『延喜式神名帳』には「常陸国 那賀郡 吉田神社 名神大」と記載されている。中世には神階が正一位に達し、広い社領を有し隆盛を極めたが、神宮寺であった薬王院が天台宗の中心地として隆盛したため総論が増え、神威は衰退した。江戸時代になると水戸徳川家からの篤い崇敬を受け、2代藩主・徳川光圀は社殿を修造し、9代藩主・徳川斉昭は『大日本史』と社領100石を寄進した。明治時代になると、近代社格制度の下で県社に列した。1945年に米軍による空襲で社殿をすべて焼失したが、1948年に再建された。
当社は、JR常磐線・水戸駅の南東1.5kmほどの傾斜のある市街地にある。交通量の多い道に面した低い境内南端から階段を登っていくと、広々としたメイン境内に到着し、社殿周りの神域は神門と透塀で囲われている。メイン境内からは、水戸市街が一望できる。
今回は、常陸国の式内社、三之宮ということで参拝することに。参拝時は平日(お盆休み)の夕方で、時間が遅かったこともあり、参拝者は自分たち以外にはいなかった。
※到着時、すでに社務所は閉まっていて、御朱印を拝受できなかった。要再参拝...涙
『常陽式内鎮座本紀』『常陸二十八社考』によると、日本武尊が東征の際、当地(朝日山/三角山)で兵を休ませたといい、これに因んで社伝を造営したのが創建としている。蝦夷討伐の過程で古くから朝廷の強い崇敬を受けた。国史の初見は『続日本後紀』で、平安時代前期846年に神階奉叙の記載があり、『日本文徳天皇実録』、『日本三代実録』でも神階昇叙の記載がある。927年に編纂された『延喜式神名帳』には「常陸国 那賀郡 吉田神社 名神大」と記載されている。中世には神階が正一位に達し、広い社領を有し隆盛を極めたが、神宮寺であった薬王院が天台宗の中心地として隆盛したため総論が増え、神威は衰退した。江戸時代になると水戸徳川家からの篤い崇敬を受け、2代藩主・徳川光圀は社殿を修造し、9代藩主・徳川斉昭は『大日本史』と社領100石を寄進した。明治時代になると、近代社格制度の下で県社に列した。1945年に米軍による空襲で社殿をすべて焼失したが、1948年に再建された。
当社は、JR常磐線・水戸駅の南東1.5kmほどの傾斜のある市街地にある。交通量の多い道に面した低い境内南端から階段を登っていくと、広々としたメイン境内に到着し、社殿周りの神域は神門と透塀で囲われている。メイン境内からは、水戸市街が一望できる。
今回は、常陸国の式内社、三之宮ということで参拝することに。参拝時は平日(お盆休み)の夕方で、時間が遅かったこともあり、参拝者は自分たち以外にはいなかった。
※到着時、すでに社務所は閉まっていて、御朱印を拝受できなかった。要再参拝...涙

境内南端にある<一の鳥居>と<社号標>。

鳥居をくぐって階段を登ると、右側には<御神木・大欅(ケヤキ)>が立っている。樹齢約300年だそうで、太平洋戦争時の米軍による水戸空襲で社殿や樹木がことごとく焼失した中で、唯一焼けずに残ったとのこと。

さらに進むと階段があり、階段の上には<二の鳥居>がある。ちょうど夕陽が差し込んで神々しい。

二の鳥居をくぐると、左側に<朝日三角山>の鳥居があり、正面には<三の鳥居>が現れる。

三の鳥居をくぐって真っ直ぐ進むと右手にある<手水舎>。

やがて正面には<隋神門>。隋神門手前右側に<吉田天満宮>がある。

隋神門をくぐると、正面にある<拝殿>。拝殿と幣殿は入母屋造銅板葺。太平洋戦争中、米軍による水戸空襲で、御神木の大欅以外すべて焼失したため、全ての建造物は戦後の再建。

<拝殿>正面。すでに扉は閉まっている。

拝殿前から左前方を見たところにある<社務所・授与所>。おそらく御朱印はこちら。
写真左側から神域外に出ると、<鳳凰>と名付けられた境内末社がある。
写真左側から神域外に出ると、<鳳凰>と名付けられた境内末社がある。

社殿の左側から見た<本殿>。神明造銅板葺。写真右側に<中門>が見える。

社殿の左側にある<縁結びの笹>。水戸光圀公お手植えと伝わり、利き手と反対の手で笹の葉を結ぶとご縁が結ばれるとのこと。

神域西端にある<白虎>と名付けられた境内末社。<水戸神社>と<飯神社>。

神域北端にある<玄武>と名付けられた境内末社。<早歳神社>と<國見神社>。

拝殿に向かって右側、神楽殿近くにある<枝垂れ桜>。樹齢80年とのこと。

神域東端にある<青龍>と名付けられた境内末社。左から順に<疱瘡守護神社>、<大國主事代主神社>、<八幡宮>、<住吉神社>、<多賀神社>、<松尾神社>。

拝殿に向かって、拝殿の右隣にある<神楽殿>。拝殿とは渡り廊下で繋がっている。

境内から見た、水戸市内の様子。

帰り道、階段の上から下を見下ろす。

一の鳥居のそばにある石碑。囲いがしてあるので何か大事なものなのかな?特に解説はない。

社務所が閉まってしまい、御朱印がもらえなかったショックで、①朝日三角山、②吉田天満宮、③神域外南端にある境内摂社<鳳凰>の3つを見逃してしまった。また来るから良いかな...涙
すてき
投稿者のプロフィール

惣一郎1269投稿
2020年1月から寺社仏閣巡りを始めた初心者です。東京在住です。 クルマとバイク、旅行が趣味なので、近くから遠くまで、精力的にお参りしています~♪ ■2023年も引き続き、日本各地(目標:寺社...もっと読む
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