こうだにさんぜんりゅうじ|高野山真言宗|神谷山
神谷山禅瀧寺
公式兵庫県 滝野駅
9:00 - 11:00/13:00 - 17:30 (納経・御朱印の受付時間です。参拝は24時間可能です)【年番寺院、持明院】
こうだにさんぜんりゅうじ|高野山真言宗|神谷山
公式兵庫県 滝野駅
9:00 - 11:00/13:00 - 17:30 (納経・御朱印の受付時間です。参拝は24時間可能です)【年番寺院、持明院】
檀家以外の参拝 | 歓迎 | ||
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御朱印 | 播磨八薬師霊場六番札所 | ||
限定 | |||
御朱印帳にお書き入れ | |||
御朱印帳 | - | ありません | |
駐車場 | あり
|
令和5年の年番寺院は持明院です。
納経・御朱印などは持明院までお願い致します。
本年の納経担当寺院は持明院です。
高野山真言宗 神谷山 禅瀧寺
加東四国八十八ヶ所霊場の七十三番となっております。
645~649年頃、法道仙人の開基と伝えられているそうです。
御本尊は薬師如来で行基上人の作だそうです。
その他に日光菩薩、月光菩薩の像など。
最盛期には50を超える塔頭寺院があったそうですが、
現在は金蔵院、持明院の二院のみのようです。
御朱印は本堂前に書き置きが置かれていますが、
この塔頭二院での年交代の輪番制で拝受することができます。
今年は持明院さんでいただくことができるそうです。
加東市栄枝72
山門
山門を抜けてすぐ左手に塔頭の持明院、
禅瀧寺本堂手前右手に金蔵院となります
極楽橋
本堂
現在の本堂は、元和6年(1620年)に再建されたものだそうです。
本堂斜め前方から
芝の緑と青空がとても気持ちよかった!
本堂横にある不動堂
手水舎
不動明王像
帰り際に西日越しの本堂
御朱印
神谷山禅瀧寺の御由緒
大化年中、法道仙人の開基で、その後僧行基が訪れ堂宇を建立して薬師如来、日光菩薩、月光菩薩の像を刻み本尊としたのが始まりとされます。中世以前の最盛期には五十有余の堂塔院防を誇る天台宗の寺院であったと伝承されています。
その後度重なる戦火で衰退と復興を繰り返して現在に至っています。
江戸期の『古義真言宗本末帳』には「高野山寶城院末、御朱印二十七石寺中配分、加東郡神谷山禅瀧寺之中九宇末寺一宇」と記載されています。
また慶長~天保の国絵図の播磨国版にも「禅瀧寺」あるいは「神谷寺」として描かれています。
山号の由来
古来より神の住まう山の谷という意味で「神谷」と呼ばれてきました。禅瀧寺の名前のもととなった滝「禅瀧」に対する水源信仰の形跡や、禅瀧寺を囲む山に数基の古墳がある(全国史跡地図【兵庫】1982年版)のを見ても、古代からこの地が人々の信仰を集めていた事が伺えます。
寺号の由来
青山四方に横たわった両巖の間に懸泉を見つけた法道仙人が思わずもらした「禅瀧なり……」(静寂な瀧)という言葉とされています。
真言宗播磨中学林
明治14年に持明院17代目住職の瀧見常によって真言宗播磨中学林が開設されました。其の中からは後に金剛峯寺座主を務めた方や、大覚寺門跡を務めた方など、有力な僧侶が名を連ねています。
住所 | 兵庫県加東市栄枝72 |
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行き方 | 神姫バス下厚利停留所より北へ徒歩15分
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名称 | 神谷山禅瀧寺 |
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読み方 | こうだにさんぜんりゅうじ |
通称 | お大師さん |
参拝時間 | 9:00 - 11:00/13:00 - 17:30 (納経・御朱印の受付時間です。参拝は24時間可能です)【年番寺院、持明院】 |
参拝にかかる時間 | 15~30分 |
参拝料 | 無料 |
トイレ | 境内トイレ故障中につき納経担当寺院にてご利用ください。 |
御朱印 | あり 播磨八薬師霊場六番札所 |
限定御朱印 | あり |
御朱印帳に直書き | あり |
御朱印帳 | なし |
電話番号 | 0795-46-0004 お問い合わせの際は「ホトカミを見た」とお伝えいただければ幸いです。 |
SNS |
ご本尊 | 本堂:薬師如来・日光菩薩・月光菩薩(伝、行基菩薩作)/不動堂:不動明王(伝、慈覚大師作) |
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山号 | 神谷山 |
宗旨・宗派 | 高野山真言宗 |
創建時代 | 西暦645年頃(大化年中) |
開山・開基 | 法道仙人 |
本堂 | 宝形造 |
札所など | 播磨八薬師霊場第6番札所
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文化財 | 本堂、弁天堂、大般若経165巻、不動明王像(市指定文化財) |
体験 | 祈祷御朱印武将・サムライ花の名所札所・七福神巡り伝説法話 |
概要 | 禅瀧寺(ぜんりゅうじ)は兵庫県加東市にある高野山真言宗の仏教寺院。山号は神谷山(こうだにさん)。本尊は薬師如来、日光菩薩、月光菩薩(秘仏)。開祖は法道仙人と伝わる。 |
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歴史 | 歴史[編集] 大化年中、法道仙人が開基し、その後行基菩薩が訪れ、堂宇を建立して薬師如来、日光菩薩、月光菩薩の像を刻み本尊としたのが始まりとさる。寺名の由来については、青山四方に横たわった両巖の間に懸泉を見つけた法道仙人が思わずもらした「禅瀧なり……」(静寂な瀧)という言葉とされる[1][2][3]。 開基については伝承の域を出ないが、禅瀧寺を囲う山の上には古墳群が在り[4][5]、東条川流域にも古代の集落や田畑の遺跡があるため[6]、古代から当地が信仰の対象になっていた事を伺うことができる。 1601年(慶長6年)、領主池田輝政から境内高27石の寄進を受け、徳川三代将軍家光の時に改めて2...Wikipediaで続きを読む |
引用元情報 | 「禅瀧寺」『ウィキペディア日本語版』。 この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%A6%85%E7%80%A7%E5%AF%BA&oldid=88540031 |
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