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こうだにさんぜんりゅうじ|高野山真言宗神谷山

神谷山禅瀧寺の御由緒・歴史
公式兵庫県 滝野駅

歴史詳細情報

神谷山禅瀧寺の御由緒

大化年中、法道仙人の開基で、その後僧行基が訪れ堂宇を建立して薬師如来、日光菩薩、月光菩薩の像を刻み本尊としたのが始まりとされます。中世以前の最盛期には五十有余の堂塔院防を誇る天台宗の寺院であったと伝承されています。
その後度重なる戦火で衰退と復興を繰り返して現在に至っています。

江戸期の『古義真言宗本末帳』には「高野山寶城院末、御朱印二十七石寺中配分、加東郡神谷山禅瀧寺之中九宇末寺一宇」と記載されています。

また慶長~天保の国絵図の播磨国版にも「禅瀧寺」あるいは「神谷寺」として描かれています。

山号の由来

古来より神の住まう山の谷という意味で「神谷」と呼ばれてきました。禅瀧寺の名前のもととなった滝「禅瀧」に対する水源信仰の形跡や、禅瀧寺を囲む山に数基の古墳がある(全国史跡地図【兵庫】1982年版)のを見ても、古代からこの地が人々の信仰を集めていた事が伺えます。

寺号の由来

青山四方に横たわった両巖の間に懸泉を見つけた法道仙人が思わずもらした「禅瀧なり……」(静寂な瀧)という言葉とされています。

真言宗播磨中学林

明治14年に持明院17代目住職の瀧見常によって真言宗播磨中学林が開設されました。其の中からは後に金剛峯寺座主を務めた方や、大覚寺門跡を務めた方など、有力な僧侶が名を連ねています。

ご本尊本堂:薬師如来・日光菩薩・月光菩薩(伝、行基菩薩作)/不動堂:不動明王(伝、慈覚大師作)
創建時代西暦645年頃(大化年中)
開山・開基法道仙人
歴史
歴史[編集] 大化年中、法道仙人が開基し、その後行基菩薩が訪れ、堂宇を建立して薬師如来、日光菩薩、月光菩薩の像を刻み本尊としたのが始まりとさる。寺名の由来については、青山四方に横たわった両巖の間に懸泉を見つけた法道仙人が思わずもらした「禅瀧なり……」(静寂な瀧)という言葉とされる[1][2][3]。 開基については伝承の域を出ないが、禅瀧寺を囲う山の上には古墳群が在り[4][5]、東条川流域にも古代の集落や田畑の遺跡があるため[6]、古代から当地が信仰の対象になっていた事を伺うことができる。 1601年(慶長6年)、領主池田輝政から境内高27石の寄進を受け、徳川三代将軍家光の時に改めて2...Wikipediaで続きを読む
引用元情報禅瀧寺」『ウィキペディア日本語版』。
この版のURL:https://ja.wikipedia.org/w/index.php?%E7%A6%85%E7%80%A7%E5%AF%BA&oldid=98224838

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