あえじんじゃ
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💜💚梅谷七右衛門清政 四代目奉納🤍💜
阿閇神社(あえ神社)⛩️🌊
本殿は、1702年(元禄2年、江戸時代中期)建立
一間社春日造、檜皮葺の同形・同規模の本殿が
南北線上に四棟並び、いずれも正面を廊橋で結ぶ形式をとっており、特に四社が軒を近接して一直線に並立
📍 兵庫県加古郡播磨町本荘4丁目11-21
魚介類供養塔(1750年)🐟🐟🌊
本庄中央公会堂裏手にひっそりとありました
📍 兵庫県加古郡播磨町本荘2丁目16
播磨無量壽寺 梅谷七右衛門清政氏奉納の
三界萬霊地蔵尊(1743年)
神戸市中央区元町駅北
「中央区下山手通8の道標」
💜インフラ整備や秋祭り復活で村おこし💜
江戸時代の庄屋、梅谷七右衛門らの功績伝える特別展
(略)〜清政が16歳で庄屋を継ぎ、同時に父親の負債も背負ったと説明。当時、村は風害での米価高騰や不漁で困窮しており、治めていた姫路藩主に直談判し、金を借りて村人に分配した。新田開発や喜瀬川の改修工事などインフラ整備にも注力し、村の財政を安定化させ、5年後には藩への返済を完了。さらに、自身は魚問屋を始め、10年かけて私的な債務の返済も終えたことを伝える。
#阿閇神社(同町本荘4)の社殿修復や
#蓮花寺(同町北本荘7)の再建にも尽力するなど、厚い信仰心にも注目。
阿閇神社で100年以上も途絶えていた秋祭りを復活させ、太鼓やみこしを新調したことに触れる。
(10月23日に近い土日)
江戸時代の祭りの様子を再現したミニチュアも展示している。
井上珠彦館長は「自分のためではなく、多くの人を救うために汗を流した清政の功績を知ってほしい」と話す。
〜2021年1月神戸新聞より〜
会下山善光寺 蔵人大夫平業盛之塚 揮毫
神田 兵右衛門(こうだ ひょうえもん)
天保12年2月18日(1841年4月9日)
〜 大正10年(1921年)1月13日)
日本の実業家。本姓は梅谷で、名は胤保、
号は松雲
播磨国印南郡大塩村(現在の兵庫県姫路市
大塩町)出身
慶應3年に兵庫開港商社取締役世話役に就任し、
兵庫運河建設に大きく貢献
明治11年兵庫商法会議所頭取となり、
神戸港の拡張に尽力された
神戸市会議長を務める
(幕府が崩壊すると明治新政府は、
開港された兵庫港の管理運営等の為に
兵庫県を設置。
兵右衛門と同年の伊藤博文が県知事となった。)
「神戸発展の父」とも呼ばれる
神戸市中央区元町駅の北にある
「中央区下山手通8の道標」
こちらは 金刀比羅宮神戸別院と投稿させて
頂きます🙏💜
播州無量寿院に同氏の建てた石造物が有ります
💜🤍💚💜🤍💚

阿閇神社(あえじんじゃ)⛩️
主祭神 底筒男命(北、左より)
中筒男命
表筒男命
息長帯姫命
阿閑神社本殿(県指定文化財)
この本殿は、一の宮から四の宮に至る四社からなり、 南北線上に西向きに近接して並立している。
北端の一の宮には表筒男命、二の宮には中筒男命、三の宮には 底筒男命、南端の四の宮には息長帯姫命をまつっている。
建立年代については、普請関係文書が残されており、 それによれば、元禄14年(1701年) 5月に
大阪・ 宮屋藤兵衛から「皇子造一間社仕様帳」を
出させて工 事に着手し、翌15年11月には、
すべて作事は完成
現在の本殿は、様式作法からも、そのときのものに 相違なく、各四社は、一間社春日造りの同形・同規模 からなり、いずれも正面の縁を廊橋で結ぶ形式をとっ ている。
屋根は檜皮葺で、切妻の妻入正面に軒唐破風つきの庇を出し、棟には、千木堅男木を飾っている。
各四社とも、元禄造営後は、寛政12年(1800年) の屋根替えをはじめとして幾度かの修理を経ており、 柱間装置・緑まわりなどにその跡がみられるが、
主要 軸部には旧材が残されている。
特に組物や蟇股(かえるまた)・木鼻 ・手挾などの細部手法は江戸時代中期ごろの特色を
良 く表していて、保存もよい。
各部には、良質の材料を用い、工作も優秀である。 この本殿は、江戸中期の造建ではあるが、
正規の春日 造り形式をよく伝え、
特に、四社が軒を近接して並立 する配置は
他に類似例が少なく、神社建築史研究上
注目される遺構である。
平成2年2月 播磨町教育委員会
🌊🐰🌸🐰🌊
創立年不詳
摂津国「住吉大社神代記」(天平3年・731年)に
「阿閇社」と記載されていることから
「子神」(本社祭神を親神と申すに対し末社分社を
子神という)として御分霊を奉齋したものである
村上天皇の第七皇子一品具平親王の六世の孫、
従三位侍従大納言源季房朝臣(赤松氏の祖)が、
天永2年(1111年)に播磨の守護職兼西征将軍となり
加古郡に下向、大内村(野口町に古大内の地名が
ある)に移住せられた時、この阿閇ノ庄住吉大明神を信仰し、国家安泰を祈願された
後、赤穂郡赤松庄に白旗城を築き居城とした
と伝え、赤松家の祈願所として
深く崇敬された(赤松盛衰記)。
江戸時代に姫路藩主池田輝政公が
社領10石を寄進され、
京都所司代板倉伊賀守がこれを安堵された
明治7年(1874年)、郷社に列せられる
〜兵庫県神社庁より〜
阿閇神社の祭神は住吉神で、
阿閇荘は中世に住吉大社の荘園として
存在していた事や、周辺地域に住吉神社が
多数立地しています
賀胡郡阿閇津浜 の中心地にあたると
考えられています
阿閇恵美須神社
戦後、当地域の海岸線が埋め立てられ、
一大工業地帯に発展したことから、
その繁栄を願い、1965年(昭和40年)に
島根県(出雲国)美保関神社より勧請されました
📍 兵庫県加古郡播磨町本荘4丁目11-21
079-422−5676(尾上神社)
079ー435ー2918(阿閇神社)
御朱印 について
現在は、阿閇神社総代さまが管理下さっているようで、行事日や行事前日等御在所の時に拝受できるようです。

創立年不詳。
「住吉大社神代記」(天平3年・731)に「阿閇社」と記載されていることから「子神」として御分霊を奉齋したとあるので、それより前から鎮座しているということでしょうか。
御祭神を見てもわかるとおりここは住吉神社の一つですが、ここの本殿は西向きです。
大阪の住吉大社も西向きで諸説ありますが、住吉大社は大阪湾に向かって建てたためという話が多く見られます。
しかしここは・・・海は南側にあるのでなぜ西向きなのか・・・
住吉神社の全てではないですが、西向きの社殿が結構あるように思います。
もしかして住吉大社の真似をした?
と色々妄想していると、阿閇神社の本殿が西向きの理由が御由緒に書かれていました。 下記の御由緒の画像を読んでいただければと思います。
社務所は閉まっており、尾上神社の宮司さんが兼務されているようなので、御朱印は尾上神社で拝受できるのかもしれません。
もっと読む阿閇神社の基本情報
| 名称 | 阿閇神社 |
|---|---|
| 読み方 | あえじんじゃ |
詳細情報
| ご祭神 | 《主》表筒男命,中筒男命,底筒男命,息長足姫命 |
|---|---|
| 本殿 | 一間社春日造檜皮葺 |
| 文化財 | 本殿4棟(県指定文化財) |
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